第2章「はじめての友達」

第2章「はじめての友達」

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 赤ん坊の体は、マジで不便だった。


 首が座らない。手足が動かない。言葉が出ない。おしっこもうんちも自分の意思でコントロールできない。


 七十二年生きた記憶があるのに、母親におむつを替えてもらう屈辱。


(……これが転生か)


 泣きたくなった。いや、実際泣いた。赤ん坊だから泣くしかできない。


 それでも、悪いことばかりじゃなかった。


 母さん──リーナは、いつも優しかった。夜中に泣いても、嫌な顔一つせずに抱き上げてくれる。子守唄を歌ってくれる。前世じゃ誰にも歌ってもらったことなんてなかった。


 父さん──ガルドは、荒っぽいけど温かかった。「男は泣くな」なんて言いながら、結局は俺が泣き止むまであやしてくれる。不器用な手つきで。


(……家族、か)


 前世で失ったもの。いや、最初から持っていなかったもの。


 それが、今は当たり前みたいにここにある。


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 一年が経った。


 首が座り、寝返りを打ち、ハイハイができるようになった。


 二年が経った。


 立ち上がり、歩き、片言だが言葉を話せるようになった。


 三年が経った。


 俺は三歳になっていた。


「ハル、ご飯よー」


「はーい」


 母さんの声に返事をして、庭から家の中へ駆け込む。


 この三年で分かったことがいくつかある。


 一つ。ここは「エルディア大陸」という場所の、「カルム村」という小さな村だ。人口は百人ちょっと。農業と狩猟で生計を立てている、典型的な田舎の村。


 二つ。この世界には「魔法」がある。


「ほら、ハル。手、洗った?」


「あらった」


「見せて」


 母さんが俺の手を取る。そして、何でもないように指先から水を出した。


「《浄水》」


 ぴちゃぴちゃと、冷たい水が俺の手を洗う。


「……」


 何度見ても慣れない。前世の常識が根底から覆される瞬間だ。


 三つ。父さんは元冒険者で、母さんも元冒険者だった。


「父さんはな、若い頃はそりゃあ強かったんだぞ」


「うん」


「魔獣を何十匹も倒してな」


「うん」


「モテたんだ、これが」


「ガルド、ご飯中にその話はやめて」


「なんでだよ、事実だろ」


「事実じゃないから言ってるの」


 両親の会話を聞きながら、俺はスープをすする。


 冒険者。魔法。魔獣。


 ファンタジーだ。


 前世でさんざんゲームや小説で触れてきた世界が、今は現実になっている。


(……チャンスだ)


 この世界なら、強くなれる。努力すれば、何者かになれる。


 そして──モテる。


 ハーレムを作る土台がある。


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 四歳になった春のことだった。


「ハル、今日は父さんと一緒に来い」


「どこに?」


「村の広場だ。お前にも会わせたい奴がいる」


 父さんに手を引かれて、家を出た。


 カルム村は小さい。家が数十軒、ぽつぽつと並んでいるだけだ。畑があって、井戸があって、村の真ん中に広場がある。


 その広場に、人だかりができていた。


「よう、ガルド! 久しぶりじゃねえか!」


「おう、ダリオ! 元気してたか!」


 父さんが、大柄な男と抱き合う。赤茶色の髪に、日焼けした肌。父さんと同じくらい……いや、もう少しガタイがいい。


「こっちが息子か。デカくなったな」


「まだ四つだぞ。デカいも何もねえよ」


「いや、目つきがいい。お前に似て、いい面構えだ」


 ダリオと呼ばれた男が、俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。大きな手だ。父さんに負けないくらい。


「ダリオはな、父さんの昔の仲間だ。一緒に冒険者やってたんだよ」


「へえ」


「今は宿屋をやっててな。この村の『鋼鉄キメラ亭』って知ってるか?」


「しってる」


 村で唯一の宿屋だ。酒場も兼ねていて、大人たちが夜になると集まる場所。


「そこの主人がダリオだ。今日は娘も連れてきてる。お前と同い年だから、仲良くしろよ」


「むすめ?」


「おーい、ティナ! こっち来い!」


 ダリオが振り返って叫ぶ。


 人だかりの向こうから、小さな影が走ってきた。


 金色の髪。


 それが最初に目に入った。


 陽の光を受けて、きらきらと輝く金髪。セミロングで、風になびいている。


「パパ、呼んだー?」


「おう。こいつがハルだ。ガルドんとこの息子」


 目が合った。


 ヘーゼル色の瞳。明るくて、まっすぐで、どこか人懐っこい。


「あたし、ティナ! ティナ・ブランシュ!」


 女の子が、満面の笑みを浮かべた。


「よろしくね、ハル!」


「…………」


 声が出なかった。


 可愛い。


 四歳の女の子を捕まえて何を言ってるんだと、自分でも思う。でも、可愛いものは可愛い。


 金髪。大きな瞳。屈託のない笑顔。


 前世で画面越しに見ていた「理想のヒロイン」が、目の前にいる。


「ハル? どしたの?」


「……あ、いや」


 我に返る。


「おれ、ハル。ハル・カーマイン」


「うん、知ってる! パパが言ってた!」


「そ、そっか」


 緊張している。四歳の体で、七十二年分の緊張が襲ってくる。


 女の子と話すのが苦手だった。前世でも、今世でも。


「ねえねえ、ハルは何して遊ぶのが好き?」


「えっと……」


「あたしはね、お人形遊び! あと、お花摘み! あと、かけっこ!」


「お、おう……」


「ハルも一緒に遊ぼ!」


 ティナが、俺の手を取った。


 小さな手。柔らかい。


「……っ」


 胸の奥がざわついた。


 たぶん、この感覚を「ときめき」と呼ぶんだと思う。前世では味わったことのない感覚だ。


「ほら、行こ!」


「え、ちょ、どこに」


「広場の向こう! お花がいっぱい咲いてるの!」


 引っ張られるまま、走り出す。


 後ろで父さんとダリオさんが笑っている声が聞こえた。


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 広場の外れに、確かに花畑があった。


 名前は分からない。白と黄色の小さな花が、一面に咲いている。


「きれいでしょ!」


「……うん」


「あたし、ここが好きなの。パパには内緒の場所なんだよ」


「内緒?」


「うん。だって、あたしだけの場所だから」


 ティナが、花畑の真ん中にしゃがみ込む。小さな手で、花を一輪摘んだ。


「でも、ハルには教えてあげる」


「なんで?」


「んー……」


 ティナが首を傾げる。金髪が揺れた。


「なんとなく?」


「なんとなく……」


「だって、ハル、なんか寂しそうな顔してたから」


「……え?」


「さっき会った時。笑ってなかったよ」


 図星だった。


 俺は笑い方を知らない。前世で誰かと笑い合った記憶がほとんどない。だから、咄嗟に笑顔を作れない。


「寂しいの?」


「……」


「友達、いないの?」


 その言葉が、胸に刺さった。


 友達。


 前世で、一度も持てなかったもの。


「……いない」


 正直に答えた。


「そっか」


 ティナが立ち上がる。そして、俺の前に来た。


「じゃあ、あたしがなってあげる!」


「え?」


「友達! あたしが、ハルの友達になってあげる!」


 まっすぐな目だった。


 嘘がない。打算がない。ただ純粋に、そう言っている。


「……いいの?」


「うん!」


「おれ、つまんないやつだよ」


「そんなことないよ!」


「話すの、下手だし」


「練習すればいいじゃん!」


「……」


 どう返せばいいか分からなかった。


 こんなふうに、まっすぐ向き合われたことがない。


「ねえ、ハル」


 ティナが、小指を差し出した。


「約束しよ」


「約束?」


「うん。ずっと友達でいるって約束」


 小指。


 前世でも知っている。指切りげんまん。


「いいの?」


「いいの!」


 迷った。


 でも、迷う理由がなかった。


 俺は、小指を絡めた。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます!」


 ティナが歌うように言う。


「指切った!」


 小指が離れる。


 ティナが、にっこり笑った。


「これで、ハルとあたしは友達だよ!」


「……うん」


 笑った。


 自分でも驚くほど、自然に笑えた。


「あ、笑った!」


「……わらってない」


「笑ってたよ! 見た見た、今笑ってた!」


「だから、わらって──」


「ハルって、笑うとかわいいね!」


「──っ」


 顔が熱くなる。


 四歳の体で、何を赤くなってるんだ。


 でも、嬉しかった。


 生まれて初めて──いや、二度目の人生で初めて、「友達」ができた。


(……ああ)


 この感覚か。


 誰かとつながる感覚。必要とされる感覚。


 前世で欲しかったものが、少しだけ手に入った気がした。


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 その日の夜。


 布団の中で、俺は天井を見上げていた。


(ティナ、か)


 金髪の女の子。明るくて、まっすぐで、屈託がない。


(……可愛かったな)


 四歳だぞ。四歳。


 いや、でも、将来的には──


(いや待て。俺も四歳だ。何も問題ない)


 前世の感覚が混乱を招く。中身は七十二歳だが、体は四歳。ティナも四歳。


 年齢的には、何も問題ない。


(将来、あの子が成長したら……)


 想像する。


 金髪の美少女。ヘーゼルの瞳。明るい笑顔。


(……悪くない)


 いや、悪くないどころじゃない。最高だ。


 いつか大人になった時、俺が目指す「ハーレム」の一人になってくれたら──なんて、まだずっと先の未来を、つい思い描いてしまう。


(でも)


 頭を振る。


(まずは、友達からだ)


 焦るな。前世の俺みたいに、何もせずに終わるなんてことにはさせない。


 今度こそ、ちゃんとやる。


 ちゃんと関係を築いて、ちゃんと信頼を得て、ちゃんと好きになってもらって──


(……全力で、いくぞ)


 目を閉じた。


 隣の部屋から、両親の笑い声が聞こえる。


 穏やかだ。


 この穏やかさを、もっと広げたい。


 もっとたくさんの人と、こういう関係を作りたい。


 それが俺の、二度目の人生の目標だ。


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【第2章 終】

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