2話 目覚めた村と「素材解析」スキル
翌朝、村のどこからともなく聞こえてくる鳥の声で目を覚ました。
木造の屋根裏部屋の天井が、薄い朝光に照らされている。昨夜、少女――リナが用意してくれた空き小屋の一室だ。ふかふかとは言えないが、藁のベッドは温かかった。
扉を開けると、冷たい朝の風が頬を撫でた。外ではもう村人たちが畑仕事を始めている。牛のような大きな背の獣が耕運を引き、緑の作物の匂いが漂った。どこを見ても、穏やかで静かな朝だ。
「黒江さん、もう起きてたんですね!」
リナが明るい声で駆けてきた。昨日と同じエプロン姿、手には籠いっぱいのパンが入っている。
「村の朝は早いな。もう仕事してるのか?」
「ええ、朝露のうちに収穫しておけば、野菜が瑞々しく残りますから! ……あ、これ朝ごはんです。焼き立てですから熱いですよ!」
差し出された木皿には、香ばしく焼けたパンと、野草のスープ。
手作りの素朴な料理だが、腹にじんわり染み渡るような味だった。
「うまいな、このパン。」
「お母さんの自慢なんですよ。旅人さんもこの村に慣れたら、お料理教えてくれると嬉しいなあ。」
「料理を? ……鍛冶屋の俺に?」
「黒江さん、昨日の鍬を直したとき、すごく集中してましたよね。あんなに丁寧な手付き、きっと包丁も使えます!」
あはは、と笑うリナ。
その何気ない言葉の中に、妙な真理がある気がした。素材を選び、火を調整して、温度を見極める――それは確かに料理にも通じる。
スープを飲み干して息をつくと、リナが声を落として言った。
「……あの、今日、村長さんに会ってもらいたいんです。昨日のお礼もあるし、お願いしたいことがあって。」
「村長、か。わかった。」
二人は朝の畑道を歩いた。
イステル村は緩やかな丘に沿って広がる小さな集落で、木造の家々が十数軒並んでいる。中心には井戸と、少し立派な館。リナの案内で扉を叩くと、皺だらけの老人が姿を現した。
「おうおう、リナじゃないか。そちらが昨日の鍛冶師殿だな?」
「ええ、鉄の鍬を直してくれたんです! 新品みたいで!」
老人――村長ハーベルは目を細めて頷いた。
「そうか……我々のような田舎にはな、もう職人様は滅多に来てくれんのだ。素材も売れず、修理も頼めず、道具が壊れたら買い替える金もない。昨日の話を聞いてのう、あんたに頼みたいことがある。」
蓮は静かに聞いた。村長は机の上に一つの物体を置く。
ひび割れた鉄鍋だった。見るからにくたびれている。
「これは代々村で使ってきた竈鍋じゃ。もう十年以上も修理を繰り返しておるが、ついに穴が空いた。」
蓮は鍋を手に取って目を閉じた。その表面に手をかざす。
――――
素材:鉄(純度48%)/魔素浸食7%
状態:構造崩壊寸前/再構成可能(補正値+2)
注記:高温耐性残存
――――
「ふむ……いけそうだ。」
鍋底の傷に指を滑らせ、金槌を軽く当てる。音の響きが妙に澄んでいた。
「一晩もらえれば、直せます。」
「ほ、本当に!?」リナが目を輝かせる。
村長は信じられないように眉を上げた。「そんなボロを……できるのか。」
「少し試したいことがある。」
蓮は鍛冶小屋へ戻り、炉の前にしゃがみ込んだ。
昨日復旧させた火は、まだ微かに炭の熱を残していた。
「錬金分離……だったな。」
胸の中で呟く。
――――
サブ機能【錬金分離】:素材を構成要素に分離可能。エネルギー消費:MP20
――――
「……まるで精錬炉みたいだ。」
蓮は割れた鍋を炉の中に置き、スキルを発動させた。
金属表面が淡い光を放ち、黒い不純物が蒸気のように浮き上がる。
残ったのは純度の高い鉄片。金鎚を取る手が自然に動いた。カン、と火花が舞い、音が空気を震わせる。
懐かしい感覚だ――だが、違う。
素材が言葉を発している。どこを叩き、どこを伸ばせばよいか、頭の中に響く。
汗が滲み、時間を忘れた。
陽が傾くころ、炉から取り出した鍋は、もう裂け目一つない。
むしろ、以前より光沢が増していた。蓮は満足げに息をついた。
炉の側で見ていたリナが拍手した。
「わぁぁ! 本当に直ってる! すごい! ……前より綺麗!」
蓮は鍋の縁を指で弾いた。高く澄んだ音が鳴る。
「これならまた十年は使える。いや、二十年でも。」
「黒江殿……感謝する!」村長は深く頭を下げた。
「こんな奇跡、王都の職人でもできぬことじゃ。」
「奇跡なんて大げさですよ。素材が、教えてくれただけです。」
自分でも不思議だった。
解析スキルを通すと、鉄がまるで呼吸しているように聞こえたのだ。火の温度、叩くリズム、魔力の流れ――すべてが自然に繋がる。
ふと、メッセージがまた浮かんだ。
――――
【素材解析】熟練度上昇。Lv2 → Lv3
サブ機能【特殊合成】を開放。
新スキルツリー【クラフトマイスター】発現条件達成。
――――
「……スキルツリー、だと?」
思わず呟く。まるでゲームのようだが、確かに画面の端に光の線が広がっていく。そこには、新たな枝がいくつも現れていた。
【鍛冶】
【錬金】
【料理】
【魔道具】
【採取/加工】
選べ、というのだろう。
だが彼は苦笑した。どれか一つを選ぶなど、もったいない。全部試したくなるのが職人の性だ。
「とりあえず……何か料理でもしてみるか。」
鍋をテーブルに置き、リナに頼んで村の食材を集めさせた。
野菜、穀物、そして魔猪という魔物の肉。表面が青黒く硬い。普通なら煮込みに不向きだが、素材解析を起動すれば、肉質の魔素結合を読み取ることができた。
「……熱で魔素がほぐれる構造か。なら、解体して低温から煮込めばいい。」
鍋に魔力を流し、微妙な火力をキープする。
カン、と調理用の匙で鍋縁を叩くと、まるで悦ぶように金属が鳴いた。
リナが興味津々に覗き込む。
「鉄が喋ってるみたいですね。」
「さあな。でも、料理も鍛冶も似たようなもんだよ。火加減と素材の声を聞くだけだ。」
数時間後、部屋中に芳しい香りが満ちた。
魔猪の濃厚なスープは奇妙に味が丸く、口にすれば柔らかく溶けてゆく。
村長もリナも驚いたように目を見開き、あっという間に鍋は空になった。
「……これは、ギルドの料理長に出しても驚く味だ。」村長が唸る。
「鍛冶も料理もできるとは……黒江殿、まるで万能職人よ!」
「スキルが勝手にそうしてくれてるだけですよ。」
とは言いつつも、胸の奥に新たな確信が生まれつつあった。
この力は、ものを直すだけじゃない。作り変え、繋ぎ直し、新しい価値を生み出せる。まるで世界そのものを鍛え直すような感覚。
その夜、村の焚き火を囲み、村人たちは即席の宴を開いた。
鍬を直した礼、鍋を甦らせた祝い、そして新しいスープの感動。
歌い、笑い、素朴な光が夜空を照らす。
焚き火の向こう、リナが小声で呟いた。
「ねえ、黒江さん。ギルドには行かないんですか?」
「ギルド?」
「はい。イステルには採取ギルドとクラフトギルド、二つしかなくて……正式登録すればお仕事も増えますよ。きっとすぐにランク上がります!」
ギルド。確かにさっき出てきたスキル分岐にも「クラフト」という文字があった。
世界の仕組みを知るためには、避けて通れない場所なのだろう。
「面白そうだな。ただ、登録するには紹介人が必要なんじゃないか?」
「それなら私が! わたし、ギルド補助員なんです!」
驚いてリナを見ると、得意げに胸を張っていた。
「明日、ギルドまでご案内しますっ!」
笑う彼女の瞳には、村では見られないきらめきが宿っていた。
誰かを支えたい、何かを変えたいという光。その強さに、蓮は少し胸を突かれた。
「助かる。じゃあ、頼りにさせてもらうよ。」
その夜、月が昇るまで炉の火は消えなかった。
蓮は火花を見つめながら、思う。
この世界は確かに荒削りだ。だが、不完全な素材ほど、打ちがいがある。
「明日は、もっと面白い素材に出会えるといい。」
夜風が炉の火を揺らし、鉄を叩く幻の音がどこかで響いた。
異世界の鍛冶師の物語は、まだ始まったばかりだった。
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