第23話 白金の少女と勇者の影

 砂漠の夜は静かで、凍えるほどに寒かった。

 リオルは崩れ落ちた神殿の奥で、古びた布を衣のようにまとい、眠る少女の傍らに座っていた。

 この遺跡はかつて“理の尖塔”と呼ばれた場所。再誕の大地以前に存在した古代の研究施設だといわれている。

 教会が完全に存在を封じていたはずの禁地のひとつであり、この砂の下に何千年も眠っていた。


 リオルは焚き火の赤を見つめ、少女の様子をうかがう。

 彼女はまだ目を覚まさない。だが、生命反応は確かにあった。

 胸のあたりで淡い光が脈打つたび、砂の上に刻まれた古代文字が反応してわずかに光を返す。

 まるで世界の呼吸と一緒に眠っているようだった。


「……この反応。まるでアレンの理に直接繋がっているようだな。」


 呟きに答えるように、少女の唇が僅かに震えた。

 リオルは驚きながら身を寄せる。彼女の瞼がゆっくりと上がっていく。

 白金の髪が光を反射し、夜の中で銀の帯となって揺れた。

 瞳はやわらかな蒼で、まるで空の色を閉じ込めているようだった。


「……ここは……どこ……?」

 声は細く、かすれていた。


「君がいたのは、砂に埋もれた封印施設だ。」

 リオルは手短に説明をした。少女はしばらく黙って聞いていたが、やがてゆっくりと身を起こした。


「私……“アリア”。それ以外は、何も思い出せないの。」


「アリア……。それが君の名前か。」


「たぶん、そう。脳の奥で誰かがそう呼んでいる気がするの。」


 リオルは薪の炎を足で寄せながら、穏やかに息を吐いた。

 彼女は人間にしては整い過ぎている。顔の造形も、声の響きも――そして漂う気配も。

 その存在感が人知を超えていることを、直感で理解していた。


「お前は何だ。人か、それとも理の残響か。」


 問いに、アリアは首を傾げる。

 少しの沈黙の後、彼女は胸元を押さえた。


「胸の奥に、知らない人の記憶があるの。名前は……“アレン・フェルド”。」


 その名を聞いた瞬間、リオルは息を呑んだ。

 炎が一瞬揺らぎ、空気が収縮したように感じた。


「……アレンの……記憶だと?」


「はい。夢を見るんです。見たことのない都市、紫の光で満ちた天井、そこに立つ青年の背中。

 『壊すことで救う』って……その言葉だけが、私の中に残ってる。」


 リオルの拳が音を立てて握りしめられる。

 あの男の声が蘇る。かつて共に戦い、理解し合い、そして袂を分かったその瞬間。

 リオルが剣を向けて初めて流れた血――その記憶が胸を締め上げた。


「……アレンは死んだ。再誕の儀で自らを犠牲にして理を封じたんだ。

 その記憶が君にあるなら、おそらく君は“再誕の副産物”だ。」


「副産物……つまり、私は人じゃないの?」


「いや。」リオルは即座に首を振った。

「人だよ。体温も呼吸もある。それで十分だ。アレンの残した力をどう使うかは君しだいだ。」


 アリアは小さく微笑んだ。その微笑にはどこか懐かしさがあった。

 その顔を見て、リオルの中で奇妙な確信が芽生える。

 ――この少女は、きっとアレンの“代わり”ではない。

 彼が人として果たせなかった“未来”そのものだ。


 外では風が強まり、砂の地平線が唸る。

 その瞬間、空に光が走った。再誕星がいつになく明るく輝き、雷鳴のような低音が地下に響いた。

 リオルは直感的に剣を抜いた。


「何か来る。」


 アリアも胸を押さえ、苦悶の声を漏らす。

 その痛みは、彼女の中の理の共鳴が呼び覚まされた証だった。

 光が地面から立ち上がり、半透明の人影が複数浮かび上がる。

 それは以前カイたちを襲った虚構体に酷似していたが、より精密で、人間そのものの輪郭を持っていた。


「また、“理の欠片”……。」


 リオルが剣を構える。

 しかし、その中の一体が動かないまま、低い声で言葉を発した。


『観測者リオル、そしてアレンの継承体。ここに命ず。理の均衡を守るため、君たちは再び干渉してはならない。』


「干渉もしないで死に絶えろってか。」リオルが吐き捨てる。


『再誕は失敗だ。人は理に適応できなかった。君たちの行動を修正する。』


 声と同時に、虚構体たちが一斉に動き出した。

 一瞬で距離が詰まり、空気が凍るほどの圧力が襲う。

 リオルは半身を翻して回避し、剣を地へ突き立てた。

 地面が裂け、蒼白い光が対抗するように弾けた。

 強烈な爆風が吹き荒れ、砂塵の中で一瞬敵影が掻き消える。


「アリア! 後ろへ!」


 リオルの叫びに、アリアは震える手で胸を押さえた。

 そこから光が滲み、空間そのものが歪む。

 彼女の体から浮かぶ光紋が広がり、虚構体の動きを止めた。


「これは……止まらない……!」


「制御が利かないのか!」


「いいえ……私が望んでいる。」


 アリアの声が変わる。柔らかく、しかし絶対的な響きを帯びた。

 彼女の中で眠るアレンの記憶――その断片が現れた瞬間だった。


『リオル……。もし俺が理を残したことで新たな災いが生まれるなら、

 それを止められるのは、お前だけだ。だから、もう一度――俺を斬れ。』


 その声に、リオルの体が凍り付く。

 少女の姿に、かつての友の幻影が重なって見えた。

 剣を握る手がわずかに震える。


「……冗談じゃねぇ。お前が戻ってきてようやく救われたってのに。」


『理は呼び戻されねばならない。世界が安定するには、余分な記憶を削がねばならない。

 俺はそれを自らの意思で選んだ――お前の手ならば本望だ。』


「ふざけんな! それを願うお前を、俺はまた救う!」


 叫びと共に、リオルは地を蹴った。

 剣が閃き、虚構体の胴を貫く。光の破片が爆ぜ、次々と砕け崩れていく。

 アリアを取り囲んでいた幻影がひとつずつ消滅していった。


 だが、最後の一体だけが踏みとどまり、空へ逃れようとする。

 アリアが手を伸ばし、光の線を放つ。

 その軌跡が青白い刃となり、虚構体を正確に断ち切った。

 一瞬の閃光、そして沈黙。


 残されたのは彼女の荒い息と、砂の焼ける音だけだった。

 リオルは剣を地に突き刺し、深く息を吐いた。


「……生きてるか。」


「ええ。」


 アリアは微笑み、額の汗を拭った。

 しかしその笑顔の奥に、確かな違和感があった。

 彼女の瞳の色が、以前よりも深く紫に染まっていたのだ。


「アレン……?」

 彼女が小さく言うと、胸の光が一定のリズムで脈打つ。

 風が止まり、周囲の砂粒が一斉に宙へと浮かび上がった。


 リオルには分かった。

 彼女の中で何かが――人ではなく、理の力そのものが目覚め始めている。


「リナ、カイ……このままだと本当に、誰も止められなくなる。」


 祈るように呟くリオルの背で、夜空が裂けた。

 再誕星が二重に膨張し、世界全体に新しい光を投げかける。

 それは夜明けの到来を告げるものではなく、

 第二の再誕――さらなる理の試練の始まりを告げる光だった。


 沈黙の中、アリアがぽつりと呟く。


「“分解”と“再構築”……この世界は、また選ばれるのね。」


 風が震える。

 リオルは剣を構え直し、夜明けに向けて目を細めた。

 希望と絶望が混ざり合う空の果てに、再び新しい戦いの予感があった。

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