第13話 罪の光と誓いの剣

 地上に再び朝が訪れる。

 だが、王都ルイザークの空はどこか濁っていた。

 聖堂崩壊の翌日、王都を包む光は霞み、風が重い。

 広場では人々が祈りと恐怖を混ぜた声を上げ、兵士たちはその報せを避けるように喧騒の中を走り回っていた。


 「聖女が……倒れた?」

 「賢者が生きていたって本当か?」

 「あれは敵なのか、味方なのか――」


 断片的な噂が、街を覆い尽くす毒のように広がっていた。

 その中心、城の尖塔にある謁見の間で、勇者リオルは玉座の前に膝をついていた。

 王の視線は冷たく、周囲の重臣たちは誰も口を開かなかった。


「報告を聞かせよ。聖女エリナは確かに救出したのか?」


「はい……命はとりとめました。ですが――」


「ですが?」


「原因は……私にも、説明がつきません。あの結界を破ったのは……賢者アレンです。」


 言葉が落ちた瞬間、場の空気がひきつれた。

 王がゆっくりと腰を浮かせ、細い指で肘掛けを叩く。


「やはり、“あれ”は生きていたか。」


「賢者アレンは――敵ではありません。」


 リオルの声に、議場がざわついた。

 王の冷たい目が彼に向けられる。

 リオルはそれでも視線を逸らさず、地を睨みつけるように言葉を続けた。


「彼は確かに我々と剣を交えました。しかし、聖堂で暴走した闇を押さえたのも彼なんです。……彼がいなければ、ルイザークは消滅していたでしょう。」


「我らが禁術にまで手を伸ばした者を“救い主”と呼ぶつもりか?」

 側仕えの宰相が声を上げた。

 怒気を孕むその声に、リオルは歯を食いしばる。


「少なくとも彼は、誰よりも理屈に忠実でした。王も、教会も、罪を押し付けた。……だからこそ、あれほどまでに冷たくなったんです。」


「言い訳は無用だ。」


 王が手を上げた。

 その声には一切の感情がなかった。


「リオル、お前はまだ“勇者”である自覚を失っていないな?」


「……はい。」


「ならば、命じる。賢者アレンを討て。再び現れたその者を、この地より永遠に消し去れ。それが、我が国の最後の秩序だ。」


 リオルの唇が固く閉じられる。

 誰も口を出せない沈黙の中、彼はゆっくりと頭を下げた。

 だがその拳は、震えていた。


 その夜、リオルは城を抜け出した。

 誰に呼ばれるでもなく、ただ自分の意思で。

 月のない夜に、鎧の鈍い音が街の外れへと響いていた。

 広場の外、瓦礫に佇む影――それは、聖堂の入口を守るように立つエリナだった。


「来ると思っていました。」


 リオルは顔を上げる。

 その目の下には、疲弊と焦りがにじんでいる。

 しかし、エリナの表情は穏やかだった。

 修道服の上から包帯が巻かれ、胸の位置にはまだ淡い光が脈動している。


「無理をするな。あの時の傷が癒えていないだろう。」


「それでも、伝えなければならないことがあります。」

 彼女は静かに手を合わせ、瞼を閉じた。

 次の瞬間、彼女の背後に黒と銀の残滓が揺れた。


「私の中にあった“魔王の心核”……アレン様が封じてくださったもの。あれは完全な滅却ではありません。」


「まさか……まだ、残っているのか。」


「彼は、自分の力で封じきれない部分をノルドの核心に戻しました。つまり、彼が動くたびにその封印が揺らぐ。……世界の理そのものが、彼の内部で軋んでいるのです。」


 リオルは息を呑んだ。

 それはつまり、アレンが生きている限り、世界が滅びにもつながるということ。

 だが、その事実を彼は認めなかった。

 片膝をつき、エリナの前で首を振る。


「そんなものは関係ない。俺が剣を向けるのは、まだ罪を選んでいない者たちを守るためだ。」


「でも……今度、あなたが手を下せば、アレン様は――」


「分かってる。」


 短く遮るようなその声には、かつての仲間を想う感情が滲んでいた。

 ほんの一瞬、二人の間に沈黙が落ちる。

 エリナはそっとリオルの肩に触れ、絞り出すように言った。


「リオル様……アレン様は、まだ人間の心を失ってはいません。彼を討つのではなく――救ってください。」


 その願いを聞いた時、リオルの胸に残っていた勇者の誇りが揺れた。

 彼はかつて、アレンと長い旅をした。

 魔王討伐の折、誰よりも信じ、頼りにしたのがあの男だった。

 あの日、仲間が呼んだ“無能の賢者”の背中を、心の片隅で誇りに思っていた。


「……エリナ。」


「ええ。」


「俺は、罪を消すために剣を振るったことは一度もない。けれど、“友”を見捨てたまま勇者を名乗ることもできない。だから――」


 リオルは腰の聖剣をゆっくりと抜いた。

 蒼く光る刃が空気を割り、夜に青の道を描く。

 剣の中で、光が二つに揺れる。

 ひとつは清廉な光、もうひとつは、紫に染まる沈んだ色。

 それは、アレンがかつて施した改良痕だった。


「この剣は、もう俺ひとりのものじゃない。だからこそ、答えを探すために使う。」


「……王の命令に背くことになります。」


「勇者は王の剣じゃない。“人”の剣だ。」


 エリナの表情がほころぶ。

 闇夜に浮かぶ彼女の姿は、まるで聖教に描かれた天使のように見えた。

 リオルはしばらく彼女を見つめ、そして踵を返す。


「エリナ、城を離れろ。お前まで巻き込まれる。」


「私はもう、留まっていられません。――だって、また会いたいから。」


 その言葉を背中で受け止めながら、リオルは再び夜の街を歩き出した。

 背に聖剣を負い、足元に淡い光が宿る。

 その瞳は迷いながらも、失われた絆を探し出す者のそれに変わっていた。


         ◇


 同じ夜、黒霧山脈の地下帝国ノルドでは、微かな揺れが走っていた。

 リナが中央制御層の魔導盤に向かい、異常値を読み取る。


「アレン様、エネルギー核の振動が定常値を超えています。上層の魔力が不安定です!」


 アレンは立ったまま手を翳し、額に指を当てる。

 思考の渦の中で、一筋の熱が脳裏を走った。


「やはり……まだ封じきれていないか。エリナの心核が、“世界の理”を侵食している。」


「止められるんですか?」


「止められるさ。ただ――代償が必要だ。」


 リナが息を呑む。その声に、アレンは短く付け加えた。


「俺という存在を、構造の一部に変える。完全な人間ではいられなくなる。」


「そんな……!」


 否定の声を上げる彼女を見て、アレンは微かに笑った。

 優しく、どこか遠くを見るように。


「構わない。俺はもとより、人として扱われていない。だが、それでもいい。

 リオルがまだ“剣”を握っている限り、俺はこの理を進化させる。」


 リナの頬を一筋の涙が伝う。

 アレンが杖を握り直し、中央の制御陣に両手をかざす。

 遺跡全体が低くうなる。

 光がうねり、刃のように鋭く天へ伸びていく。


「さあ、リオル。次はお前の番だ。」


 地上と地下を隔てる空間がわずかに裂け、光の糸が二つの運命を繋いでいった。

 それは、途切れた友情が再び交わるための、最初で最後のしるしだった。

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