第9話 紫の黎明と対峙の前兆

 夜空が紫に染まったのは、その日の深夜だった。

 ルイザーク王都から遠く離れた地平線上に、光の柱が幾重にも立ち昇る。

 それはまるで大地の裂け目から、世界の理そのものが噴き出しているような光景だった。

 王宮の上層では、魔導士たちが慌ただしく観測装置を操作している。


「光柱の中心座標を特定! ……位置、黒霧山脈地下域! “遺跡グラトス”です!」


「やはり、狂賢者アレン……!」


 報告を受けた王は立ち上がり、豪奢な玉座の前に歩み出る。

 白髪の混じった髭を撫でながら、低い声で問うた。


「勇者リオルは、動けるか?」


「はい、陛下。既に王国騎士団及びギルド部隊と共に、現地へ進軍中とのこと。あと二日ほどで到達すると。」


「よい。奴には誰にも近付かせるな。あの災厄は“封じた者”の手で断たなければ、ふたたび芽を吹く。」


 王の声は重く響いた。

 だが、その表情を見れば、恐れと焦燥が読めた。

 誰もが理解していたのだ――賢者アレンという男が、単なる反逆者ではないことを。

 “理に触れた者”。この世界の存在原則そのものに指を掛けた、かつて唯一の例外。


          ◇


 一方その頃、ノルド。

 中央制御区ではアレンが静かに魔導板を操作していた。

 中央から放射状に広がる光の柱は、今や制御下にあり、周囲の魔力量を安定的に吸収している。


「各層の合成炉、稼働率は?」


《第三区域 安定率九十六パーセント。魔素循環、均衡状態にあります》


 遺跡そのものから響く低い返答の声。それは《グリモア》の制御人格の一部だ。

 実体としての声はない。ただ、アレンの意識を媒介にして、遺跡が言葉を放つ。


「人の意識を持たぬ自律知性……。千年前の技術だが、整える価値はある。」


《あなたが望めば、この一帯を神殿群として再構成することも可能です。》


「後にしろ。今は防衛が先だ。リオルが動く。」


《勇者リオル。あなたを“切り捨てた者”。再会の準備を整えますか?》


 アレンはしばし沈黙した。

 掌の上に映る映像には、リオルたちの行軍の様子が映っている。

 整然とした列は王の権威そのものであり、彼の表情は以前と変わらず清廉だった。

 だがアレンの胸にわき上がるのは憎しみではない。むしろ、冷めきった感情だ。


「どうしてだろうな。あいつを見ると、怒りよりも哀れみが先に来る。」


《あなたが“理解”してしまったからでしょう。破壊とは理解の果てにあり、理解は怒りを殺す。》


「皮肉だな、グリモア。理解するほど俺は人間から遠ざかる。」


《あなたはすでに人を超えています。ここから先に残るものは、創造者の孤独のみ。》


 静寂が訪れる。

 地下の大空洞を満たす脈動音が、まるで心臓の鼓動のように低く響いた。

 リナがその室内に入ってきた時、アレンは目を閉じていた。


「アレン様……上層の発光が広がっています。地上に影響が出ています。」


「知っている。あれは“信号”だ。リオルたちへの呼び水でもある。」


「呼び水……!? あなた、彼らを誘っているんですか?」


「ああ。追うなら来い、という合図だ。あいつは必ず来る。」


 リナは息を呑んだ。

 どれほどの力を手に入れようと、アレンの中でリオルの存在は消えていないのだ。

 そして、それがいちばん危うい。

 彼が最も人間らしく、最も壊れやすい場所に“復讐”という種が眠っている。


「……アレン様、お願いがあります。」


「言ってみろ。」


「もし彼らがここまで来たら……もう一度だけ、話してください。戦う前に。」


 アレンは目を細めてリナを見た。

 彼女の真剣な瞳には、恐れも嘆きもなく、ただ祈りが宿っている。

 それを見て、わずかに笑う。


「お前は相変わらずだな。俺の横で、まだ“優しさ”を説くか。」


「ええ。あなたが忘れない限り、私は信じます。」


「なら、約束しよう。初撃は話だ。それで理解できなければ……それが運命だ。」


 リナは安堵と寂しさが入り混ざった顔で頷いた。


          ◇


 二日後の朝。

 黒霧山脈の麓に、王国軍の陣が築かれた。

 霧が濃く、冷たい風が兵士たちの頬を刺す。

 前線では魔導測定器を手にした研究員が報告を叫んでいた。


「異常波形検出! 遺跡の魔素流、上昇中! 地表との反応、拡散相転――!」


「翻訳しろ、簡単にな!」


「つまり……この山、息をしているんです!」


 その叫びと同時に、大地が低く唸った。

 地面が震え、砂粒が浮く。

 兵士たちが慌てて身を構えたその瞬間、大地の裂け目から紫の光線が走り抜けた。

 まるで竜が吠えるような轟音と共に、地上と地下を隔てる“扉”が開く。


「き、来るぞ!!」


 光の渦から、黒い機械兵の群れが溢れ出した。

 アレンが生み出した自律構造体――人工の兵。

 数百体が地上に展開し、まるで生き物のように陣形を組む。


「防衛線を張れ! 隊形を整えろ! 弓隊、魔導班、前へ!」


 リオルの号令が響く。

 指揮官としての声は冷静で、揺らぎがない。

 周囲の者はその背を信じ、剣を掲げた。

 だが、リオルの心の奥では違う声が響いていた――“アレン、この力……本当にお前なのか?”


 地を裂く戦いの幕が上がる。

 だが光の壁の奥、ノルドの中心に立つアレンは、ただ静かにその様子を見つめていた。

 無言のまま魔力を流し、構造体たちの行動パターンを制御する。


「これが“力の形”だ、リオル。お前が求めた正義は、この重さを背負えるのか?」


 そして、アレンは静かに杖を掲げた。

 ノルド全域の魔力が一点に収束する。

 空が鳴り、紫電が奔る。

 その瞬間、戦場全体が一瞬だけ無音になり――巨大な陣が、空ごと覆った。


 勇者も、兵も、聖女も。全ての存在が、空を見上げた。

 そこに現れた陣は、まるで世界の上書きのようだった。

 天頂から垂直に降り注ぐ光が、やがて淡く人の形を取る。


 アレン・フェルド。

 黒衣をまとい、虚空に立つ賢者が、ゆっくりと口を開く。


「……久しいな、勇者リオル。」


 その声が響いた瞬間、国と国の境を越えて、大地と空が震えた。

 それは、かつての仲間が互いに最後の答えを求める、終わりの始まりだった。

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