第3話 遺跡の最深部、《分解魔導》の覚醒

 光が収まったのは、どれほどの時間が経ってからだったのだろうか。

 アレンがゆっくりと瞼を開けると、視界には淡い青の光の粒が漂っていた。まるで空間そのものが呼吸しているような幻想的な光景だった。


 胸の奥が熱い。魔力が全身を駆け巡り、血と魔素が混ざり合っていく感覚。

 皮膚のすぐ下を走る光の線が、淡く脈動していた。

 《グリモア》――あの千年魔導書の力が、完全に自身と一体化していた。


「……これが、真の分解魔導……」


 言葉に出してみても、自分の声が遠くに聞こえるようだった。

 彼は手を持ち上げ、掌を見つめた。白い光が一瞬にして紫紋へと変化し、空気に触れるだけで周囲の魔力を吸収していく。

 その光が収束し、掌の上に淡紫の球が浮かび上がった。それはどんな魔石よりも濃密な力を宿している。


「アレン!」


 リナが駆け寄る。崩れかけた床の上で、まだ彼女の足どりは覚束ない。

 その姿を認めたアレンは魔力を静め、軽く手を振った。すると周囲の魔素が穏やかに引いていき、空気の流れが落ち着いた。


「大丈夫か、リナ。かなりの衝撃だったろう」


「あなたこそ……倒れるかと思って……。光に呑まれて、消えてしまうんじゃないかって」


 リナの瞳には涙と怒りとが混ざっていた。アレンは少しだけ苦笑した。

 自分を心配してくれる者がいるという感覚は、久しく忘れていた。


「もう平気だ。むしろ、今までで一番冴えている。体の奥に、すべての“構造”が見えるようになった」


「構造……ですか?」


「そうだ。世界は層と層の積み重ねでできている。石にも、空気にも、心にも。その繋がりを解けば、壊すことも治すこともできる。俺の魔導は、ただ壊すものじゃなく――世界の理を分解する力になった」


 アレンは立ち上がり、杖を握った。

 その杖はすでに再構成を終えており、漆黒の光を帯びて彼の魔力と共鳴している。今では、かつての安物の杖だった面影はまるでない。


「……それで、どうするつもりですか?」


 リナが問う。声は静かだが、その奥には恐れと期待が入り混じっていた。

 アレンは遺跡の中心を見据えた。そこには崩れた大扉があり、その向こうに、暗く深い空洞が広がっている。


「行くぞ。まだこの下に、もうひとつの階層がある」


「気をつけてください。そこは“王の墓所”と呼ばれる場所。侵入者を喰らう魔導構造体がいると伝えられています」


「俺にとっては、ちょうどいい実験場だ」


 アレンは短く笑い、足を踏み出した。


          ◇


 階段を降りるたびに、空気の密度が変わっていく。

 魔素の濃度が異常だった。普通の人間なら、一歩でも踏み込めば呼吸できずに倒れるほどだ。

 しかし、今のアレンにはそれが心地よい。まるで、この地そのものが自分の体の一部になったかのように。


 彼の足元で、石畳がひび割れる音がした。

 そこから浮き上がるように、灰色の巨像が姿を現した。人の形をしているが、顔の位置にあるのは空洞だけ。

 全身が魔導金属でできている、完全自立型の守護者だ。


「侵入者、確認。千年の誓約により、抹消を実行する」


 低く響く声が広間全体に反響する。

 リナが慌てて後退するが、アレンは動かない。杖を構え、まっすぐ巨像を見据える。


「お前も千年前の命令を守ってきたのか。だが、その時代は終わった」


 アレンの杖先が光を帯び、細かい魔法陣が次々と展開していく。幾何学的な光の連鎖が地面から壁、天井へと走り、広間全体を覆った。


 そして一言、淡々と告げる。


「《全方位分解陣・零式》」


 空気が鳴った。

 音にならない音――存在そのものを切り裂く気配。

 巨像の体から、金属を削る音が連鎖的に響いた。みるみるうちに腕が崩れ、脚が支えを失い、やがて胸部の魔核まで灰になっていく。


 ほんの数秒。灰色の巨体は跡形もなく消えた。

 残ったのは、光る魔石の小片のみ。


「……信じられない。あの守護者を、一撃で……」


 リナの声が震える。彼女は生涯を遺跡の巫女として過ごした存在だ。だからこそ、それがどれほどの脅威だったかを知っている。

 アレンはため息を一つ吐き、魔石を拾い上げた。


「これで施設のエネルギー制御もできるな。素材も手に入った。……まさか、これほど精製された魔石が封じられていたとは」


「あなた、本当に人間なんですか……?」


「どうだろうな。少なくとも今は、奴らと並んで笑ってた頃の俺じゃない」


 そう言ってアレンは天を仰いだ。灰色の天井が不意に割れ、光の筋が差し込む。

 その光が、リナの頬を照らした。


「上の世界は……変わっていないのでしょうか。あなたを追放した人たちは、今、何を思っているのか……」


「どうせ変わりゃしないだろう。俺がいなくても、リオルは英雄として称えられている。だが、次に名が広がるのは俺だ。今度は、誰の力も借りない」


 アレンは掌の魔石に魔力を流した。それがふわりと浮き、球状の魔力炉へと形を変える。

 彼の足元で、地面がわずかに震えた。床の紋様が光を帯び、遺跡全体に新しい魔力路が形成されていく。


「……これで、この場所は再び動き出す。名を与えるとしたら……そうだな、“ノルド”とでも呼ぶか」


「ノルド……?」


「古代語で“再生”を意味する。俺が新たに生きる場所として、悪くないだろう」


 アレンの声には微かな温かみが戻りつつあった。

 しかしその背中には、燃えるような決意が宿っている。

 リナはその光景を見つめながら、ふと小さく呟いた。


「あなたは、誰よりも優しいのに……それでも、復讐を選ぶんですね」


「優しさは、裏切られればただの無力に変わる。俺はもう、誰にも利用されない」


 杖の先が再び光る。それが合図のように、遺跡の全壁が振動し始めた。

 千年の間眠っていた機構が再稼働し、天井の結晶が回転を始める。

 機械仕掛けの鳥のような声が響き、奥深い地の底から魔気が噴き出した。


 アレンの体にまた熱が走る。視界の端で、魔力が暴れるように広がっていく。

 リナが顔をしかめ、彼の腕を掴んだ。


「また暴走してます! “グリモア”の力が限界を超えています!」


「わかってる……だが、制御はできる!」


 叫びながら、アレンは両手で杖を握りしめた。魔力の奔流が全身を包み、光と影がせめぎ合う。

 リナの声が遠ざかる。代わりに、あの書の声がまた聞こえてきた。


――汝、境界を超えた。もはや一個の存在にあらず。この世界の根を視る資格を得た。


「資格なんてどうでもいい。ただ、俺は壊す。そして創る」


――ならば、名を刻め。新たなる魔導の名を。


 アレンは静かに目を閉じ、ひとつの名を告げた。


「究理・分解再構成――“


真理の解体者



トゥルースブレイカー



”。」


 その瞬間、全ての光が弾けた。

 遺跡の魔紋がすべて彼の体の奥に吸い込まれ、“ノルド”全域が紫の光で包まれる。

 リナはその圧倒的な魔力の奔流に飲まれながらも、ただひとつ確信した。

 この男は――もう人間の枠を超えた。


 光が静まった時、アレンはゆっくりと立ち上がっていた。

 背後には、再構築された空調のような魔導の風が吹き、空間そのものが形を変えていく。

 天井の結晶が淡く光り、壁が生き物のように蠢く。


「これで……遺跡は俺のものだ。すべての素材、すべての機構が、俺に従う」


 リナは茫然としながらも、かすかな笑みを浮かべた。


「アレン様……それが、本当の“覚醒”なのですね」


「ああ。追放された日――あれが俺の終わりじゃなかった。始まりだったんだ」


 アレンは迷いのない目で、上空を見上げた。

 数百メートル上にある地上の世界。自分を見下ろし、侮り、追放した者たちがいる。


「待っていろ、勇者リオル。次に会う時、お前たちが信じていた“勇者の光”を、俺の手で分解してやる」


 その言葉とともに、地の底で雷光が弾けた。

 ノルド――新たな地下帝国の鼓動が、静かに産声を上げた。

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