黒炎の悪女レイラ──滅びの運命を書き換える者──
立華アイ
プロローグー火刑台の微笑み(未来)
夜明け前の王都アウレリウムは、まるで巨大な獣が眠りから覚めるようにざわついていた。
広場を囲む石造りの建物には、まだ朝日が届かない。
しかし中央の処刑台だけは、すでに松明の炎で赤く燃えていた。
「……始まるぞ。悪女の火刑が」
「やっとだ。あの女のせいでどれだけ人が死んだと思ってる」
「魔眼の怪物め……!」
ざわめきは風に乗って広がり、広場全体が重苦しい熱気に包まれる。
その中心に、ひっそりと一本の杭が立っていた。
足元には薪とオイル。
そして周囲には、武装した兵士が何重にも隊列を組む。
兵士の一人が呟く。
「……相手はただの女だろう。ここまで警備を厚くする必要があるか?」
隣の兵士が眉をひそめた。
「“ただの女”じゃない。悪女レイラ・ヴァニスだ。
アイツ一人で貴族十家を潰したって噂だぞ。
魔塔の術師すら手玉に取る魔眼を持ってるとも」
「噂だろう?」
「……眼を合わせただけで、心の奥を覗かれるらしい」
空気が凍る。
「嘘も、欲望も、未来の断片も――全部だ」
その時だ。
教会の鐘が、甲高く鳴り響いた。
――ゴォォォン……。
王都に一日の始まりを告げるその音が、この日ばかりは処刑の合図になる。
兵士たちは槍を構え、広場を鎮めようと声を張り上げる。
「静粛に! 囚人を連れてこい!」
石の扉が軋んだ。
暗い回廊の底から、鎖の触れ合う金属音が微かに響く。
ひとりの女が姿を現した。
黒い外套に包まれ、左目を黒いアイパッチで覆った少女。
艶のある黒髪が揺れ、深紅の瞳が朝焼けのように光る。
レイラ・ヴァニス。
王国が“悪女”と呼ぶ女。
だが彼女は、怯えも嘆きも憤りも浮かべていない。
ただ、静かに歩いている。
まるで処刑台へ向かうのではなく、散歩に出るかのような足取りで。
――ざわっ。
群衆がうねる。いや、後ずさる。
「な……なんだ、あの目……!」
「アイパッチの下に、魔眼が……」
「見るな! 魂を抜かれる!」
レイラはその声も、罵声も、笑い声も――すべてを無表情で受け止めた。
ただ唇だけが、かすかに動く。
「……今日もまた、嘘ばかりね」
護衛の兵がぞくりと震えた。
「な、なにを言った……?」
レイラは振り向きもしない。
処刑台の上、王家の旗がゆれる。
赤い布に描かれた金獅子の紋章が、風に踊るように波打つ。
その横、玉座のような位置に一人の人物が立っていた。
――王。
しかし、その顔はフードの影に隠れ、誰なのか判別できない。
第一王子アーサーか、第二王子ルーカスか。
あるいは別人か。
群衆は息を呑むが、誰も確信を持てない。
レイラだけは、ちらりと瞳を向ける。
(……その瞳。あなたは――)
彼女の視線に気づいた王は、何も言わず、僅かに拳を握りしめた。
まるで耐えているように。
処刑官の声が響く。
「大罪人、レイラ・ヴァニス!」
群衆が湧いた。
「悪女を焼け!」「国を乱した魔物が!」「これで平和が戻るぞ!」
処刑官は巻物を広げ、宣告する。
「貴様は禁忌の魔眼を用い、王国を惑わせ、多くの者を破滅へ導いた。
よってここに火刑を命ずる!」
群衆――歓声。
レイラは、たった一言だけつぶやいた。
「……あら。ずいぶん、都合のいい話」
兵士が怒鳴る。
「黙れ、悪女!」
レイラは兵士を見た。
目が合った瞬間、兵士は顔をひきつらせ後ずさった。
心の奥を、覗かれたからだ。
(“私を殺せば昇進できる”、ね。……分かりやすい)
レイラは口元だけで笑った。
「――で? 処刑ごっこは、いつ始まるの」
その傲慢とも取れる言葉に、群衆が一斉に怒号を上げる。
処刑官が炎のついた松明を持ち、薪へ近づけた。
「……今だ!」
ぼうっ、と火が上がる。
熱気が空気を歪め、レイラの外套の裾が揺れた。
煙が鼻を刺し、視界が橙色に染まる。
兵士の一人が震える声で呟く。
「……怖くないのかよ。お前、これから焼け死ぬんだぞ……」
レイラは静かに、炎のゆらめきを見つめていた。
そして、小さな声で答えた。
「怖い? そんな贅沢、もう忘れたわ」
「……っ!」
炎が近づくほどに、群衆は熱狂しはじめる。
火が罪を清める――そんな古い言い伝えを信じて。
だがレイラは、ふっと目を閉じ、囁いた。
「この痛みなんて、〈灰の裏路地〉で生きた日々より……ずっと優しい」
兵士たちはその言葉の意味がわからず、ただ表情を固める。
――ごぉぉぉぉ……。
炎が広がり、レイラの足元へ迫る。
熱が肌を刺す。
煙が肺を焦がす。
それでも、レイラはゆっくりと顔を上げた。
「世界は……まだ私を知らない」
王座に立つ王――その瞳が大きく揺れた。
誰にも見えないほど微かな震え。
(そうね、あなたは……覚えていてくれるのね)
松明の光がアイパッチの下の魔眼に反射した。
アイパッチの内側で、魔眼が淡く光を帯びる。
そして――炎がレイラに触れた瞬間。
広場全体の空気が、一瞬だけ揺らいだ。
(……来る。世界が、反転する)
レイラは薄く笑う。
「さようなら――レイラ・ヴァニス」
炎が渦巻き、視界が白く弾けた。
誰にも見えない声が、広場に残響のように漂う。
『始めましょうか。私の物語を』
次の瞬間、すべてが闇に溶けた。
――そして、物語は過去へ遡る。
17歳の少女レイラが、まだ〈灰の裏路地〉で息を潜めていた頃へ。
黒炎の悪女レイラ──滅びの運命を書き換える者── 立華アイ @kisaragikira
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