1話:配信(1)

 海斗が1袋目のポテチを食べ終え、2袋目に差し掛かろうとしていた。

 部室に響く袋を開ける音が、やけに虚しく聞こえる。


「……で、どうすんのこれ」


 俺は、スマホの画面をタップして、最新の動画の再生数を示した。

 数字は三桁で止まっている。コメントは常連の「ひかりちゃん好き」が数件だけ。

 高校生活を懸けた青春の1ページとしては、あまりに寂しい数字だった。


「どうすんのって言われてもなあ」


 パイプ椅子にだらしなく座った海斗が、ポテトチップスの袋に手を突っ込んだまま言った。

「俺ら、別に芸能人じゃないし。地元の高校生がダラダラ喋ってる動画なんて、こんなもんじゃないっすか?」


「そこを何とかするのが編集と企画だろ」

「無茶言わないでくださいよ、蓮先輩」


 海斗はバリボリと咀嚼音を立てながら、手元のカメラを愛おしそうに磨いている。

 図体はデカいくせに、手先だけはやたらと器用なこの後輩は、ウチの技術担当だ。機材オタクで、食費を削ってまで新しいレンズを買うようなやつだが、肝心の被写体への愛がちょっと足りない。

 

 だからこそ、ここで腹くくる役は俺だ。

 ただの記録映像を、誰かが最後まで見てくれる「ネタ」に変える、その嫌な仕事を。


「ひかりは? なんか案ないのか」


 俺は、窓際の席で突っ伏している幼馴染に話を振った。


「……あつい」


 ひかりは、机に頬をくっつけたまま、うめくように言った。

 エアコンの設定温度は最強にしているはずだが、西日の当たるこの部室には焼け石に水だ。

 汗で額に張り付いた前髪を、鬱陶しそうに払う。その仕草が無防備で、妙に絵になった。


「わたし、もう帰ってアイス食べたい。企画とか無理」

「お前なあ……『トレンドライン』の顔だろ。主演女優がそんなダレててどうすんだ」

「女優じゃないし。ただの数合わせだし」


 ひかりが唇を尖らせる。

 こいつはいつもこうだ。カメラを向ければそれなりに映えるくせに、自分から前に出ようとはしない。

 

 でも、俺は知ってる。

 ひかりはレンズ向けられると、ときどきガードが甘くなる。笑ってるくせに、今にも泣きそうな顔になったりして――。

 その瞬間がいちばん、画面的には強い。

 

 本人はそんなの全然わかってなくて、俺だけがそれを狙って撮ってる。


「……じゃあさ、一発逆転狙うなら、やっぱアレしかないんじゃないっすか」


 海斗が、ポテチの袋を置いて、声を潜めた。

 その顔が、急にニヤリと悪巧みをするガキの顔になる。


「アレ?」

「夏休み。田舎。高校生。……ときたら、心霊スポットっしょ」


 ひかりの肩が、びくりと跳ねた。

 その反応を見て、俺の中で編集者のスイッチが入る。

 ――いける、と思った。


「やだ」


 即答だった。机から顔を上げ、露骨に嫌そうな顔をする。

「絶対やだ。わたし、そういうの無理なの知ってるでしょ」


「えー、ひかり先輩、ビビりすぎっすよ。お化けなんてこの世にいないっすから。エンタメ、エンタメ」

「いないなら行く必要ないじゃん!」


 ひかりが声を荒げる。その目は本気で怯えていた。

 胸のどこかがきゅっとなる。


 ……それでも、頭の別の場所で「これ、たぶん伸びるな」という感覚がひっかかっていた。

 本気でビビってる人間が映ってる動画って、それだけで目を止められる――編集を続けるうちに、嫌でも覚えた理屈だ。


 幼馴染としては止めるべきだって分かっている。

 でも、再生数を増やしたいっていう欲が、そのひと言を飲み込ませた。

 

「いないかもしれないけど、『いるかも』って空気を撮るのが大事なんすよ。ねえ、蓮先輩?」


 海斗が俺に同意を求めてくる。

 俺は腕を組んで考えた。

 心霊。ホラー。

 安直だが、確実に数字は取れる。特に夏場の需要は鉄板だ。


「……場所は?」

「お、乗ってきた」


 海斗はスマホを取り出し、地図アプリを開いて俺に見せた。

 指差された場所は、隣町の外れ。国道沿いの川の近くだ。


「『レッドマート』。知ってます?」

「ああ、あの潰れたショッピングモールか」

「そうっす。あそこ、最近ちょっと噂になってて」


 海斗は声をさらに低くした。


「モールの裏手、搬入口に続く道に、川沿いの赤いガードレール……『赤い欄干』があるんですけど。

 そこで夜、一人で立ってると……感じるらしいんすよ」


「何を?」

「視線」


 海斗は、自分の首筋を指差した。


「誰にも見つからないように隠れてるはずなのに、背中がぞわぞわして、誰かにじっと見られてる気がする。

 でも、振り返っても誰もいない。ただ、川が流れてるだけ。……で、帰ったあともしばらく、家の中で視線を感じるようになるんだとか」


 部室の空気が、ふっと冷たくなった気がした。

 ただの都市伝説だ。よくある「見たら呪われる」系の亜種。

 けれど、「視線」というキーワードが、妙に生々しく想像力を刺激した。


「……やめよ? ね、蓮」


 ひかりが、俺の袖を掴んだ。

 その指先が、微かに震えている。こいつは昔から、こういう話にめっぽう弱い。

 怖がりで、感受性が強すぎる。


「幽霊とかじゃなくても、廃墟とか危ないし。不法侵入になるし」

「外周だけならグレーだろ。中には入らない」


 俺はひかりの手をそっと外して、海斗の方を見た。


「画的には? 夜だと暗すぎて何も映らないんじゃないか?」

「そこは任せてくださいよ!」


 海斗が得意げに自分のカメラを持ち上げた。


「こいつの新機能、マジで凄いんすよ。暗所補正が強力すぎて、肉眼で見えないとこまで勝手に補完してクッキリ映しちゃうらしくて。手ブレも画質も、全部カメラ任せでプロ並みっす」

「へえ。最近のカメラはすげえな」

「でしょ? こいつのデビュー戦としても、夜の廃墟は最高なんすよ」


 条件は揃っている。

 地元の有名スポット。新しい機材。そして、夏休みという解放感。

 ひかりが嫌がっているのは分かっていた。

 でも、ここで引いたら、この夏もまた「再生数三桁」で終わる。

 焦りみたいなものが、俺の背中を押した。


「……よし、やるか」

「えっ」


 ひかりが目を見開く。


「やるって、まさか」

「今日行こう。善は急げだ」

「嘘でしょ!? 蓮、本気?」

「本気だ。夏休み特別企画。『トレンドライン』初の心霊ロケだ」


 俺は立ち上がって、ホワイトボードの予定表に「レッドマート」と書き込んだ。


「ひかり。お前が主演だ」

「無理無理無理! 絶対泣くもん!」

「泣いてもいい。むしろ、ビビってる方がリアリティがあっていい画になる」


 俺は笑って言った。

 ひかりの恐怖心を、動画のスパイスとして利用する。

 それが、監督としての俺の判断だった。


「……最低」


 ひかりが、蚊の鳴くような声で言った。

 その目は、俺を責めるように潤んでいたけれど、俺は「あとで高いアイス奢るから」と言って、視線を逸らしてしまった。


 あの時、ちゃんとひかりの目を見ていれば。

 その怯え方が、ただの「怖いもの嫌い」とは少し違う種類のものだと、気づけたのかもしれない。

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