『Once there was a way.』 ー ゴールデンスランバーと僕らの青春 ー

@eNu_318_

孤独な天邪鬼と、陽気な読書家

 大学のサークル棟は、春の強い陽射しを浴び、ざわめき、笑い声、無理に明るく振る舞う先輩たちの甲高い声が満ちていた。そのすべてが、僕にとっては一種の騒音公害だった。

 僕は壁際に立ち、周囲との間に確実な境界線を引きたいと願っていた。集団の中で感じた薄っぺらな同調の空虚さを知って以来、群れることの安易さ、分かり合おうとする努力の無益さを知っていると、心の中で嘯くことで、自らを防御していた。

 周囲の熱狂的な交流の輪から三歩ほど引いた場所を選び、壁を背にした。誰も話しかけてこないことを確認してから、肩の力を抜く。スマホの画面を見つめるふりをして、心のシャッターを半分閉ざす。僕の領土は、この壁際の一区画だけだ。誰も侵入してこない。

 僕が唯一、この煩雑な世界で心の奥底から愛せるものは音楽、特にザ・ビートルズだった。彼らのメロディは、僕がこの世界で生きるための、唯一の確かな座標軸だった。彼らの音楽だけが、僕の「帰る場所」だった。

 新歓の会場で、僕は持参した缶コーヒーをちびちびと飲んでいた。手のひらの冷たさが、体内の熱をわずかに吸収してくれる。そこには一種の凪があった。

 その凪を破ったのが、あおいだった。

 彼女は、僕とは対極に位置するような存在だった。光、と形容するのが最も適切かもしれない。明るく、活発で、その笑顔は周囲のざわめきの中でも一際目立っていた。長い髪を揺らしながら、彼女はいくつかのグループの中心で楽しそうに話していた。

 そんな彼女が、なぜか急に、まっすぐに僕のいる壁際に向かってくる。その足取りは迷いがなく、まるで予め僕がいる場所を知っていたかのように。

「あのさ」

 声が、僕の耳を直接叩いた。僕は反射的に肩をすくめる。

「君、ずっと一人だよね」

 僕の顔には、一瞬、苛立ちが走った。放っておいてくれ。この静寂を乱すな。

「別に。一人でいるのが好きなんで」僕はそっけなく答えた。これは、僕が長年培ってきた、典型的な「話しかけるなオーラ」だ。

 しかし、あおいはまったく怯まない。僕の拒絶の波動が、彼女の前では単なる微風にすぎないかのように。むしろ、面白そうに目を細めた。

「ふーん。でも、今日一言も話してないよね?」

「それがどうかした?」僕の口調は、さらに冷たくなった。

「だって、せっかくの大学デビューじゃん?もったいないよ」

 僕は内心で毒づいた。デビュー?僕は、この世界を観察しに来ただけで、参加するつもりはない。

「僕には関係ないね」

「まあまあ、そう言わずにさ」あおいは僕の隣に、遠慮なくぴたりと立った。壁に背を預けていた僕は、彼女の体温が空気を伝って届くのを感じた。「私、あおい。大学デビューしたいわけじゃないけど、なんか君が気になっちゃって」

 彼女の関心は、詮索ではなく、純粋な好奇心から来ているように感じられた。それは僕の天邪鬼な防護壁を、少しだけ緩める効果があった。

「で、君は?何が好きなの?」

「音楽」

「ふむふむ。で、どんな?」

「ビートルズ」

「渋いね!なんかさ、君のファッションもちょっと地味っていうか、もっと大学一年生らしくない?」

 僕の服装は、意図的に無難で目立たないものを選んでいる。

「別に。これでいい」

「ね、せっかくだし、大学デビューしちゃおうよ」あおいはまるで、僕の反論を予測しているかのように、畳みかけてきた。「また別の日に私の趣味で君の服、選ばせて」

 僕の返事を待たずに、あおいは僕の手からスマホを抜き取った。彼女は流れるような指の動きで、自分のLINE IDを僕のスマホに打ち込み、ホーム画面に戻して僕に返した。その一連の動作には、有無を言わせぬ強引さと、一切の悪意のなさが同居していた。

「じゃあ、またね!」

 彼女は嵐のように、すぐに別のグループへと向かっていった。残された僕は、なんだか拍子抜けしたような、少しだけ胸の奥がざわつくような、複雑な感覚に包まれていた。手のひらに戻ったスマホは、まだほんのわずかに彼女の指先の温もりを伝えていた。

 その微かな温もりが、僕の「孤独の安らぎ」を少しだけ乱していた。まるで、僕の領土に初めて踏み込まれた、小さな足跡のように感じられた。

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