殺人事件を殺した男

ブロッコリー展

第1話

 天気は西から下り坂とのことだった……。


 激しい雨が降り始め、張り込みを中断した私は、マツモトが待機する車に戻った。刑事には雨男が多い。事件が泣いているのだ。


 私は万年警部補だ。涙も枯れた。


 乗ろうとしてドアを開けると助手席には子育ての本があった。


「あ、すいません、係長」


 運転席の若いマツモトが慌ててそれを後部座席に放った。彼は巡査部長だ。乗り込んでトレンチコートの雨粒を払う。大粒の雨が車のルーフを打つ。悲鳴のようなワイパーの音。それでも、映画セブンの初日の雨よりはやや小降りか。


「今日は何曜日だ?」私は気になって確かめた。


「日曜の次が月曜だとすれば月曜ですね」


 刑事は曜日さえ疑ってかかる。


「月曜日か……」


「出しますか?」


「署に戻ろう」


 車が走り出してしばらくは何も話さなかった。夕方の激しい渋滞。鳴り止まないどこかのサイレン。マツモトは信号で止まるたびにハンドルを指で叩いた。


「実はカミさんが妊娠したんです」


「それは、おめでとう」


「ずっとオレに内緒にしてたらしくて……。もう何ヶ月も経ってて……」


「君なら立派な父親になれるよ」


 彼はいつも職務に忠実だった。彼は大きく左にハンドルを切った。


「係長の娘さん、もう高校生ですよね。早いですね、この前までランドセル背負ってたのに」


「早いもんだな」


 私にも妻がいた。でももういない。妻が生きてたらきっと私よりも上手な弁当を娘に持たせていただろう。


 妻がいなくなってしばらくして、大雨の日に娘が子猫を拾ってきた。


“ママの名前つけていい?”


── だから今は娘と猫と暮らしている。


「オレに子育てなんてできますかね……」マツモトのため息は大きかった。


「大丈夫さ」


「こんな東京で……子供を育てるなんて……」


 信号が変わっていて、後ろから鳴らされた。マツモトはこのところ重たい事件の連続で少しノイローゼ気味だった。私は彼の肩を軽く叩いた。車が動いた。


「とにかく一人でも多くホシを挙げよう」


 我々が東京のためにできることなんてそれくらいしかない。マツモトは何も答えなかった。前だけ見て運転していた。だから余計にワイパーの音が悲鳴に聞こえた。

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