【襲撃編】殺意は日常に潜む
第1話 異能
異界・エルデにて。
その日は、雷が轟く曇天だった。
今この瞬間にも、豪雨が宮殿を叩きつけんとする、そんな不穏な夕刻──その日、一人の勇者が、死んだ。
現場は、王族と八人の勇者しか立ち入りを許されていない宮殿奥の聖域。
普段なら透明な魔力の結界が張られ、外界のざわめきすら届かないはずの静謐な区画だ。
だが今は、重い空気が淀み、焦げた臭いが壁紙に染みついていた。
斃れていたのは──【千変万化】
全身にひどい火傷を負い、皮膚は赤く
結界は破られていない。侵入者はいない。それでも勇者は殺された。
──まるで宮殿ごと、世界を揺さぶるように。
◆
内閣府異災対策庁・特殊対魔局が所有する敷地。その訓練場にて、二名の男女が相対していた。
「やっと面倒な書類から解放されるぅ。シャバの空気はうまいぜ」
一人は氷室汐里。氷室家の次女にして、家出娘。御篝一樹に拾われ、面倒な手続きを経て、特殊対魔局の三課に配属されたばかりである。
「オヤジさんに感謝しろよ。無許可の退魔活動で、下手したらマジでムショにぶち込まれるとこだったんだぞ」
「……マジ?」
「オオマジダヨ」
相対するのは、特殊退魔局・三課所属。特級退魔官・御篝一樹。ふざけてはいるが、現代退魔師の頂点の一人であることは間違いない。
「まあ、そんな細事はさておき」
「私的にはちっとも細事ではないが……」
「いよいよ来週からお前にも正式に任務が降りる。その前に色々と確認しといた方がいい」
「具体的に言うと?」
「お前の異能のこととか、妖祀のこととか、まあ色々だ。敵を知り己を知れば何とやらってヤツだ」
そう言って、一樹は煙草に火を灯し、一服。
「そもそも、異能ってなんだ?」
「……人知を超えた超常現象を引き起こす力、とか?」
「うーん、30点」
「なんかムカつく。じゃあ正解は何だよ」
「正解なんてないさ。けどその回答は『人智を越えた何か』として、線引きをしてしまっている。要は思考放棄に等しいわけだ」
言われてみれば確かに、と汐里は心の中で頷く。
彼女は異能の覚醒が遅い。人生の大半は異能なしの生活だった。無意識のうちに、超常的な物と捉えてしまっている節はあったのかもしれない。
「現代の生物&情報学的な解釈だと、異能ってのは特異因子が作用して起こる現象の一つ。そんでその特異因子ってのは『情報を代謝する準生命体』と定義されている」
「……は?」
「まあそうなるわな」
「もっと分かりやすい説明を求む」
「異能は生き物だって話だ。まあ学説は分かれるがな。ウィルスだって唱えてる奴もいるし」
「異能が、生き物? 飯でも食うのか?」
「まあそういうことだ。情報が主食な偏食家だけどな。ここでいう情報って言うのはまあ、人間の感情とか他の特異因子とかそういやつだ」
「急にアバウト」
「まだまだ未解明なとこが多いからな。理屈を捏ね回せば、破綻するところもあるさ。ただ、観測事実だけを語ると──」
ここで一度言葉を切り、一樹は吸い込んだ煙を吐き出す。
「異能は進化する。それも
そんなレベル上げみたい感じなのか、と汐里は怪訝に思う。
しかし忘れてはいけない。逆もまた然りなのだ。歴を積んだ退魔師が強いように、人間を大勢殺した妖祀ほど強い。
「つまり、異能に目覚めたばかりのお前は大雑魚。妖祀にとっちゃ鴨ネギ、棚ぼた、都合のいい栄養食ってわけだ」
「……言ってることはいいとして、言い方は何とかならんのか。うっかり殴っちまいそうだ」
「イーケナインダイーケナインダ。オーヤジサンニイッチャオ」
「小学生かっ!」
「まあそういうわけで、美味しく頂かれないように、今のうちに異能の発動条件と効果範囲をはっきりさせよう」
そういうと、一樹は懐からナイフを取り出し、自身の人差し指に傷をつける。
そして、煙を吐き出す。先程まで霧散していたそれは一樹の意思に合わせ、一樹の人差し指を包む。
これで、傷を直接見ることはできない。
「これで異能発動できるか?」
「……無理だ」
「なるほど。条件は傷の視認ってわけだ。次」
再度ナイフを取り出し、一閃。今度は中指にも傷をつける。
「人差し指と中指にそれぞれ傷をつけた。中指の傷だけ移せるか?」
煙を晴らした状態で、二つの傷を汐里に見せつけ、異能の行使促す。
応じるように、汐里は異能を発動する。すると、一樹の中指の傷が徐々に薄れていき、代わりに汐里の中指に切り傷が移り始める。
「できたぞ」
「視認さえできれば傷の選別は意図してできるわけだ。そして、傷は同じところに移る、と……そろそろ指をしまっていいよ。尊敬してやまない上官に中指を立てるみたいになってるから」
「大丈夫だ。しっかり意図を持って中指を立てている」
「なにも大丈夫じゃない。傷つくぞっ」
僅かな軽口と共に、異能の検証は加速する。この作業を繰り返すことで判明した、汐里の異能の詳細が以下の通りである。
一つ。視認した他者の傷を自身に移すことが出来る。
一つ。有効範囲は傷の大きさや深さに依存するが概ね5m前後である。
一つ。自身の傷を他者に移す場合、対象となる部位の視認が必要になる。
一つ。複数の傷がある場合、対象を選択できる。
一つ。失った血液までは戻らない。
「ってことは、自分の傷をそこら辺の石ころになすり付けることはできないか。指とかないし……うーん、弱くはないけど思ったより制約は多いな。下手を踏めばいくらでも対処されそう」
色々検証した結果、一樹は感想を漏らす。実際、一樹の場合、自身を煙で覆うと汐里としては打つ手なしだ。
使い方次第でいかようにも強くなれるが、逆に上手くいなされる可能性も高い。ピーキーな能力である。
さらに色々と検証を進めようとした矢先、黒服の男が訓練所に足を踏み入れる。
「御篝特級。局長がお呼びです」
「うーん? わかった……最近は何もやらかしてないけどなぁ」
「最初の発想がやらかしでいいのか」
連絡を受け、一樹と汐里は二人揃って局長室へと向かった。
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