第十三話『対酒当歌』

 昼の店に、金属を削る匂いがまだ残っていた。

近くで仕事を終え、通りかかったレンが立ち寄っている。


午前中から比較的暖かかったためか、いつにもまして、雨は温度に負け、音を殺して、静かに降り注いでいるように見えた。


せっかくだからと、苔コーヒーをごちそうしている。


テーブル席で、作業手袋を乾かしながら休憩している彼は目を閉じている。

眠っているわけではない。

〝俺の趣味〟つまりレコードの音に釘付けになっている最中だった。


「……このレコードもいいなぁ」


コーヒーの湯気に混じって溶けそうな声でそう漏らす。


今日は〝大貫妙子の都会〟というレコードを流している。

おやじ曰く「こいつぁな、なかなかレアなんだぜ?」らしい。

聞けば俺のお気に入り〝TATSURO YAMASHITA〟とも関連があるとかなんとか。


癒されるようなサウンドは、耳に真っすぐ入ってくる馴染みの良さがある。

でも、淡々としたビートには強さ――あるいは、ひと匙の冷たさがにじむ。

不思議な雰囲気の曲だった。


このサウンドに聴き入る彼を見ればわかる。

彼の耳が、そして、レコードコレクションがじわじわ肥えてきている。

――音の世界を知ってしまった若者が、真っ直ぐに深みに落ちていくあの感じだ。


「マスター。この曲──」


言いかけたレンの目が、ぱちんと開く。

何かを思いついたときの、あの音がした。


「そうだ!鑑賞会やりましょうよ!おやっさんも呼んで!そしたら一番知らない俺が得する――じゃなくて、みんなで色々聴けて楽しそうじゃないですか!」


言い切ってすぐ、漏れ出た本音に自分で笑ってる。


その勢いは錆を削るときよりも軽くて、レコードの回転よりも速かった。


昼のScrap&Noodleは、たいてい静かだ。

だからこそこうして、音楽に引っ張られる日がある。


「じゃあ来週あたりおやじのところにでも行こうか?」


なんだかんだ楽しそうではある。

せっかくのレンからの誘いだ。

断る道理もない。


「いや、じゃなくて、ここでやりましょうよ!マスターの店で!」


うちで?どうして?

と言いたかったが、彼のキラキラした眼差しを浴びてしまった俺はもう、笑って返すしかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ≪マスター。今鐡道なんで、もうちょっとで着きます≫


二週間ほど経ったころ、そんなメッセージを受信する。


俺は左手首のあたりを操作する。


≪了解≫


一言だけレンに返事をし、レコードの準備を始めた。

レコードの、そのジャケットの端がわずかに柔らかい。

長い時間をくぐり抜けてきた音たちだ。


・RCサクセション

・B.B. King

・Led Zeppelin

・大滝詠一

・Miles Davis

・Queen


こんなもんか。


取り出しながら、ふと気付く。

おやじのところから買ったレコードしか無いが、おやじは退屈しないのか?


――そんな疑問は、登場したおやじをひと目見て、流れる雨に紛れて消えた。



 レンより先に骨董屋のおやじ〝アーカー〟が店に飛び込んで来た。

――何やら台車のような大きな荷物を携えて。


まさか、と思った。


だが、


「おう、来てやったぞ。マスター。ついでに買ってもらおうと思ってな。適当に見繕って持ってきたぞ」


とおやじは言った。

それは少なくとも五十枚以上のレコードを持ってきたことを意味していた。


商売魂というかなんというか。

そもそもだが、おやじの店で俺以外が買い物しているのを見たことがない。


そんなことを考えながら、コーヒーメーカーのスイッチを押し込み、準備を進める。

カウンター席に腰掛け適当な世間話をおやじとしていると、苔コーヒーが抽出される。


時を同じくして『アルカリミストゲート』が作動した。

レンが到着したらしい。


ちょうどいいタイミングだった。


「あれ?おやっさん早いっすね」


肩に下げた大きなバッグ。

おそらく数枚のレコードが入っている。


そして気付く。

俺の店には無かった、プレーヤー前のコンテナの存在に。


「あれ?マスターこのコンテナってレコード入れ?新しく……ん?違う……あれ?これ〝ArcA〟で見たことある気がするんすけど?」


まさか、と彼はおやじを見る。

おやじもまた彼を見てニンマリしている。


「おうよ。レン。五十何枚か持ってきてやったぞ。気に入ったのあったら買ってけ」


お先!と言わんばかりに右手でコーヒーカップを高々と挙げてレンに言う。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「じゃあ俺からっすね!」


今日の日を待ち望んでいたレンが、持参したレコードを持ち、プレーヤーへ向かう。


レコードをセットし、プレーヤーと対面するその動きは、最初に見たころよりも随分洗練されていた。


「俺が持ってきたのはコレっす」


胸にジャケットを掲げ、テーブル席へと移動してきた俺たちに説明を始めた。


「ジャコパストリアスの〝ジャコパストリアスの肖像〟っす!」


あの日〝Weather Report〟にハマったことを思うと、なかなか感慨深いセレクトだ。


「この人、ベーシストなんすけど、俺が最初にハマって初めて買ったレコード〝Weather Report〟のベースやってた人だったらしくて」


その語り口は〝聴いてるヤツ〟の流暢さがある。


そして彼は、針を置く。


店内にベース特有の、丸みを帯びた高音旋律が流れ始める――

気持ちの良い音の粒が、雨の音に交じり、大きなメロディーとして店全体を楽器にしている。そんな感覚だった。


一曲が流れ終わったタイミングで「この人」と、レンは〝合いの手〟のように口を開く。


「〝ベースの神様〟って呼ばれてたらしくて」


彼の眼が、雨の中飛んでいく飛行車のライトを反射する。


「それ、おやっさんから教えてもらってからこのレコード聴いたんすよ」


ライトの反射だけではない。

確かな輝きを放って彼は言う。


「バンドって……ボーカルとかメロディとかが主役じゃないすか。目立つギターとか。でもこの人って〝全部を下で支えてる役目〟のはずのベースを表舞台に立たせて、それまでのイメージを変えたらしくて、それがすげぇカッコイイっていうか…………なんか、感動したんすよね」


彼は自分で自分の仕事を〝ただの垢すり屋〟とは言わない。

プライドはあれど、前面に誇りを出すタイプでもない。

でも、街を支えている裏方としてのずっしりとした重みを、きっとどこかで抱えているのだろう。

だからこそ、この音が。

――そしてジャコの開拓者のような、越境者えっきょうしゃのような生き方が彼に響いたのかもしれない。


「俺も、ここまでとは言わないけど、街を支える人間のひとりとして、もっと――いや、ちょっとカッコつけすぎか!」


そう笑って彼は、言いかけてやめてしまった。


「レン。いつもの〝垢すりの音〟ちゃんと響いて〝街の声〟になってるよ。ちゃんと『イレブン・ビオ』の中でメインの役、張ってるよ」


笑う彼はほんの少し、耳を赤らめていた。


「いい耳してるじゃねぇか」


イイ感じにまとめたつもりだったが、おやじが口を挟む。


「ジャコ・パストリアスは〝ベースの神様〟だ。間違いねぇ」


「だけどな」コーヒーをひと啜りして、息を整える。


「――最期はドラッグ、まぁ今で言う〝ホロ・ダスト〟に溺れて逝っちまった」


カップを置いた音が、ベースの音にかき消される。


「〝それ〟を買うために、自分の愛機まで売っぱらったって噂だ。信じられるか?一時代を築いたこの天才が、だ」


レンはまっすぐおやじを見ていた。


「剥がし落とすのは錆だけでいい。……お前ら若ぇのは、ちゃんと〝残る音〟がなんなのか。選べよ」


おやじはジャケットを両手で持ち、写されているジャコの写真と目線を合わせ、じっくりと眺めていた。


「道を作ってきた天才ですら、道を見失うことがある。気を付けろよ」


レンは小さく、息を呑んでいた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 俺が〝Led Zeppelin〟を流すと、おやじが対抗するように〝Nirvana〟を回す。

温度を落とすつもりで〝David Bowie〟をかければ、負けじとおやじは〝Queen〟で店の空気ごと一気に『熱』を押し返してくる。


気付けば、ただの鑑賞会ではなく、もはや『音の殴り合い』みたいな対抗戦になっていた。

レンは終始、興奮で肩を揺らしていた。


――何枚聴いただろうか。何時間経ったのだろうか。


そんなことが頭をかすめた頃、レコードの音の隙間に、微かなノック音が紛れ込んだ。


〝コンコンコンコン〟


入口へ目をやると、『フレム』が店先に立っていた。

鍵はかけていない。

だが『CLOSE』のホログラムが出ているのを見て、律儀に中へは入らず、控えめに俺を呼んでいた。


「悪い」とひとこと添えて席を立つ。

入口へ向かい、扉を開け、彼女へ声をかけようとした、そのとき――


「店閉めて、何楽しそうなことしてんの!」


先に口を開いたのは彼女だった。


「ああ、悪い悪い。〝垢すり屋〟の若いのと、〝骨董屋〟のおやじとレコードを聴いてたんだ。まあ、音楽鑑賞会みたいなもんだ」


『レコード』という単語に、彼女の眉がひとつ跳ねる。


「なんか知らないけど、楽しいならあたしも混ぜて!」


俺の横をするりと抜け、店内へ小動物のように滑り込むフレム。


テーブル席へ戻ると、俺が座っていたはずの位置に『小柄な少女』が突然現れたので、二人は揃って目を丸くした。

「誰!?」と顔に書いてある。


「うちの『昼間』の常連なんだ。一緒に聴かせてやっていいかな?」


〝正体〟が判明した彼女に対し、彼らの目線は一気に温かくなった。


「もちろん!俺はレン。垢すり屋!マスターにレコード教えてもらってハマり中!」


軽快な自己紹介に、さすがだ、と内心感心した。


「あたしはフレム。えっと、『下層』からリムの店にいろいろ売りつけに来てる」


いまだに少し遠慮のある〝開示〟をする。

だが――


「へぇ、『下層』から来てるんだ。〝錆〟大丈夫?なんか困ってる場所あれば呼んでよ!」


レンもまた、それを〝当たり前〟としてまっすぐに受け止め、そしてまっすぐに〝営業〟した。

フレムの肩の力が、ほんのわずかに抜けたのが見えた。


「嬢ちゃん、『フレム』と言ったか……? 本当に……『下層』から?」


おやじは何かに引っかかっている様子で、眉間にしわを寄せながらじっと彼女を見つめる。

その目は『下層』という階層に向けられたものではなく――

もっと別の、を探っているようにも見えた。


「う、うん。あたしはフレムって名前……今日も『下層』から」


戸惑いが混じった声。

その表情には、どこかぎこちなさが残っていた。


「そうか。……いや、悪かったな。気にしないでくれ。よろしくな、嬢ちゃん。俺は〝骨董屋〟のアーカーってモンだ」


そう言って四人でテーブルを囲む。

工場ビルの唸りが、店内の空気をゆっくりと揺らしていた。


いつの間にか静かに回転を始めていたレコードからポツポツと、微かな粒のような音が滲み、優しい酸性雨を思わせた。


電子の震えが、ネオンの隙間に煌めいては沈んで行く。

その音色は街と店との境目を曖昧にしている。


――レンが針を落とした〝RadioHead〟の〝KID A〟が流れていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「嬢ちゃん。コイツがレコードだ」


いつかの、初めてレコードを見せたときのレンを思い出す。

あの時の彼の新鮮なリアクションが堪らなかった。

しかし――


「あ!コレ!『ホール』から落ちてきてるの見たことある!音楽ディスクだったんだ!」


驚くことに彼女は『レコード』の存在を認知していたのだった。


「『下層』でそれが何か知ってる人いなかったし、本当に〝ゴミ捨て場のゴミ〟としか思ってなかった」


笑いながら彼女はまじまじとレコードを眺める。


「『中層』に集まるレコードは、俺が『ホール』の手前で回収してるんだがな。『上』の連中ももったいねぇことする」


おやじは心から痛ましそうにこぼした。


「えー知ってれば持ってきてたのに……でも周りも〝食べられるもの〟とか価値がわかってるものしか持って行かないから、探しに行けばあると思う!」


「今度持ってくるね」と言う彼女は、心底〝商売人〟の顔になっていた。


「フレムはどうやって『中層』まで来てるの?あそこの〝エレベーター〟乗るの、なんか十枚くらい〝許可証〟通した記憶あるけど」


過去に、世界救出機構W S Iからの依頼で、エレベーターホールの〝垢すり〟の仕事をしたことがあるレンからの疑問だった。


「えっとねー、ちょっと〝コツ〟があるんだ。あ、『不法渡層ふほうとそう』してるって通報しないでね!」


笑いながら大袈裟に彼女は言う。



 レンは『不法渡層ふほうとそう』のやり方に興味津々で、随分と口説いていたが、その〝コツ〟を教えてもらうことはできなかったようだ。


「ダメかー!まぁ俺はまた用事があれば、いろんなとこにいろんな申請して、いろんな許可もらって行くしかないか……」


諦めたレンにおやじは言う。


「悪いことしたってすぐバレるぞ。やめとけやめとけ。それよりもレン。買ってくだろ?持ってきたレコード」


そうだった、と席を立つレンを横目に、俺はテーブルに散らばった四つのカップを集め、キッチンへ向かう。


「お?これ良さそう?」「えー変な絵。やめときな」


そんな声がカウンターの向こうから飛び交っていた。


しゃがみ込み、おやじの持ってきたコンテナの中のレコードをパタパタと選んでいるレン。

そのコンテナを挟んで向かいにしゃがみ込み、レンの様子を見ているフレム。


〝うちで?どうして?〟


あのとき、言わなくて良かった。

本心でそう思った。


『いつもの一日』があるからこそ、こうした『特別な日』が色鮮やかに見える。


おやじが流した〝Brian Eno〟の〝Becalmed〟という曲が店内の温度を柔らかく、優しいものへと変えていた。


――その音に、街が薄く滲んだ。

今日だけは、酸性雨さえ静かな飾りに思えた。

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