第十一話『山色有無中』

 遠くから、工場ビルたちの低い唸りが聞こえる。

その振動が枕の奥まで染み込んで、ゆっくりと意識を掬い上げた。


時計の針は午前十一時。

この街の朝は、いつだって暗い。


 寝返りの勢いでカーテンを押しやり、窓を見る。

降り続ける酸性雨が、ガラスを伝い、ビルのネオンを細かな揺らぎに砕いていた。


――今日も変わらない雨。


雨粒でモザイクへと解像度を下げるそのネオンの瞬きが、淡い光を部屋に散らしている。


二両編成の鐡道が今日も空を駆け、切り裂かれた雨が水しぶきとなって窓を叩く。

ガラスに張りついた水滴が、ひとつ、ふたつ、膨らんでいく。


先週、レンに頼んで錆を削ってもらったばかりだから、

窓枠はまだ微かに滑らかさを残し、雨が伝っていた。


ゆっくりと身体を起こす。

寝起きの頭に、工場の声がまだ子守歌のように絡みつく。


――いつも通りの一日が始まる。



 朝の仕度を済ませ、階段を下りる。


店のネオンのスイッチに手をかけて点灯する。

『c』と『d』と、更に『e』のネオンで訴えるモールス信号は、いつも通り俺へとメッセージを送っている。


――いい加減直さないとな……。


店内の明かりをつけて回り、カウンターで眠っているコーヒーメーカーのスイッチを押し込む。

日に日に機嫌を悪くするコーヒーメーカーは、スイッチに反応せず黙り込む。

数秒おきに一度、それを何度か繰り返すと、ようやく目を覚ましたように、コーヒーを作り始める。


それを確認して〝自動車〟へ向かう。

トールが教えてくれた『特等席』で胡坐をかいている人工サボテンに水をやる。


開店準備を終え、ふと窓の外に目をやる。

目の前のビルに据え付けられた大きな温度計に、蛍光緑色ネオンで『12℃』と表示されている。

網膜を通り過ぎ、脳の裏側まで刺さるような蛍光色だ。

相変わらず目覚ましに丁度いい色をしてやがる。


 〝自動車〟の裏にあるコンテナからレコードを一枚取り出し、プレーヤーにセットする。

今日は〝Cream〟というバンドの〝DISRAELI GEARS〟と書かれたレコードのようだ。


サイケデリックなジャケットが目に入り、なんとなく今日の気分に合っていた。

オレンジ色の混沌の中から、じっとこちらを見返すような視線を感じた。


古臭いような、新しいような、つかみどころの無いような。

そんな不思議な音色が、ネオンと酸性雨が溶け混じる、カオス然とした街に。

街の空気と妙にぴったりなBGMとなって、店の中をより一層『俺だけの世界』へと沈めていった。


 キッチンへ戻り、カップを手に取る。

カウンターの定位置にあるジャンク椅子へと腰掛け、コーヒーを注ぐ。

混沌が渦巻く店内にひとつ、はっきりとした黒色が混じる。


『いつもの一日』だ。

どうせ客も来ない。

そんなことを考えながらコーヒーを啜っていた。



〝シュー〟



 店のドアが開き、入り口に設置してある『アルカリミストゲート』が起動し『俺だけの世界』への来訪者が入国したことを知らせている。


「ごめんよ~。今日は開いてるかい?」


背が高く、すらりとした体つきの、どこか高貴な雰囲気を纏った、いつぞやの老人の姿が、そこにはあった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「今日はなんとなくいると思ってね。限定味を持ってきたよ。……いいかな?」


そういう彼の手には小さな包み――

プライモーディアル01名物の『ジオファジークッキー』だ。おそらく。


「お久しぶりです!先日は留守にしていてすみません。中へどうぞ。今ちょうどコーヒーを淹れたところなんです」


彼を招き入れ、カウンターのジャンク椅子へと案内した。

席を立ち、キッチンからカップをひとつ、取り出す。

カウンターへ戻りコーヒーを注ぎ、彼の前に置いた。


彼は「ありがとう」とひとつ言い、持参した包みを開けて『ジオファジークッキー』を取り出した。


「この間持ってきたものは気に入ってもらえたかな?今回のは〝01限定味〟だよ」


「土の配合が多いんだ」そう説明しながら、彼は封を切っていた。


「ありがとうございます。俺、01の『ジオファジークッキー』大好きなんです。良ければ皿に盛ってきます」


彼からクッキーを受け取る。

キッチンへ皿を取りに戻る。


視界の端で、ふと彼の目線が鋭さを増したことに気付いた。


「コーヒーメーカー……調子が悪そうだ。電気の流れが良くないように見える」


予想外のセリフが背中に刺さる。


「ええ、そうなんです。随分古い型で……気に入って使っているんですが、もうダメかなぁ」


クッキーを一枚ずつ丁寧に盛り付ける。


「良ければ診てあげようか。工具箱はあるかい?」


「いいんですか?」と言いながら俺はクッキーよりも先に工具箱を彼に突き出す。


彼は手慣れた様子で工具箱を漁り、使用する工具を数本取り出した。

キッチンに戻りクッキーを並べ終え、カウンターへ戻る。


たぶん数秒だったと思う。


――カウンターの上には、ほとんどバラバラにされたコーヒーメーカーの姿があった。


反射的にぎょっとして、その様子を見守る。


「うん。やっぱりそうだ。この配線が悪くなるんだ。……どれ、ここをちょっと切って、こっちと繋げて……」


説明のような独り言をつぶやきながら、みるみるコーヒーメーカーが元の姿を取り戻していく。


「――よし、できた。たぶん直ったよ」


ものの数分で修理が完了したようだ。

目の前で見ていたのに、まるで何をしていたのかわからなかった。

しかし、コーヒーメーカーは機嫌を直し、表示されるLEDは一段と輝きを増していた。


「ありがとうございます!古い型で修理できる人なんていると思わなかった!」


素直にお礼と感想を述べる。


――そして、思い出す。


「そういえば自己紹介をしていませんでしたよね。俺は〝リム〟『ノヴァ・トウ・リム』です。店に来る常連からはマスター、なんて呼ばれてます」


「ええと」そう言いかけて彼は察した。


「〝フェイズ〟。懐かしい人を思い出せるから、私のことはそう呼んでくれるかい?」


前に一度会っただけなのに、不思議と馴染むその名前を知ったことが、俺の中でひとつ、温かさを持って刻まれた。


「〝フェイズ〟さん。改めてありがとうございます。コーヒーメーカー、とうとう買い替えないとな、なんて思っていたんです」


彼はニコリとひとつ笑みを見せ、コーヒーを啜る。


「前に言ったかもしれないけど、現役の頃は技術職でね。好きなんだ。こういうの」


カップを置き、続けた。


「あと、私に敬称はいらないよ、〝リム〟。皆と同じように、友として扱ってくれると嬉しい」


そう言われて嬉しくなってしまう。つくづく単純な人間だ。俺は。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 二杯目のコーヒーを注ぐ。

彼と話していると不思議と安らかな気持ちになっていた。


彼はまだ『プライモーディアル01』でのんびりと暮らしていることなどを話してくれた。


「そういえば前に来たときに渡した制御棒は役に立ちました?」


俺は以前、故障した、と来店したときの『古い家庭用原子力発電機』のことを思い出していた。


「ああ、おかげさまでね。今もしっかり動いているよ」


どうやら制御棒は役に立っているらしい。

俺は胸をなでおろす。


「今日のコーヒーメーカーといい、すごい技術をお持ちなんですね。どこでそんな腕を?」


〝神業〟とも言えるような技術を目の前で見せつけられ、自然と俺の興味は、彼の深い所へと向いていた。


「いやぁ、昔仕事で培ったものさ。自慢できるようなものでもないんだよ」


そう話す表情は、どこか哀愁が漂っていた。

彼の持つ、独特な高貴な雰囲気と混ざりあい、それ以上は聞くことはできなかった。


「今日はどんな用事で『イレブン・ビオ』へ?まさか、うちだけが目当てじゃないでしょう?」


そうであれば、個人的には願ったりなところではあるが。


「もちろん君に会いに来ることが第一だったんだ」


「前回は会えなかったからね」と付け足しながら彼は続ける。


「あと今回はまぁ、ついでに仕事かな?行くところがあってね」


〝仕事〟

彼はプライモーディアル01で老後の生活を送っている。

以前はそう言っていた気がするが。


「それからね。〝今日〟来たかったんだ。ここに」


〝今日〟

うちの店で何かあるのだろうか。


そんな考えが〝Cream〟の渦の中へと飲み込まれ、溶けていく最中だった。



〝シュー〟



「頼まれてたレコード!わざわざ持ってきてやったぞ!まったく老人を〝伝達屋〟みたいに使いやがって……」


悪態をつきながら店に入って来たのは〝骨董屋のおやじ〟『アーカー』だ。


〝ザ・ビートルズのアオバンってやつがあったらくれ〟


そう頼んでいたことを、彼の顔を見てようやく思い出す。


「もっと老人を労わって……ん……?〝フェイズ〟か?」


俺への悪態もそこそこに、彼は店内のもうひとりの客の『名前』を口にした。


「アンタがいるってことは……そうか。俺は〝呼ばれた〟んだな」


そういう彼は完全にフェイズのことを知っている口ぶりだった。


「久しぶりだね。〝アーカー〟元気そうでなによりだ」


軽く挨拶を交わす。

やはり顔なじみのようだ。


「なーにが〝元気そう〟だ。何でもお見通しなくせによ」


『アーカー』の過去について根掘り葉掘り聞いたことはない。

とはいえ特段驚くようなことでもなかった。

年齢の近そうな二人が顔なじみだとしても、さほど違和感はない。


「随分がうまくなったね」


皮肉でもなんでもない。

そんな風にフェイズは淡々と話す。


「まったく、変わらねぇな。フェイズ。だ」


〝いつものやりとり〟といった温度感で彼らは言葉を交わす。


「そういう君こそ、変わらずしているらしいじゃないか。でも変わったこともある。前よりも目が優しくなったね。リムくんのおかげかな?」


なぜ、そこで俺の名前が出てくる?

確かにおやじにはいろいろと世話になっているが。


「妙なこと言うな。そういう覗き見する癖が変わらねぇって言ってんだ」


たまらず、俺は会話を遮ってしまう。


「えっと、二人は友人?」


顔を合わせ、一瞬考えるフェイズとアーカー。

だが、揃ってフッとひとつ含み笑いを見せる。


「〝友人〟なんて大層なもんでも無ぇ。なんというか、この人は、そうだな。俺の〝師匠〟みたいな人なんだ」


〝師匠〟

おやじにとって、それの意味するところが、俺には何を指しているのか、イマイチわからなかった。


「まぁ古い付き合いなんだ。気にしないでくれ」


そう言いながら手招きをしておやじを横へ座らせる。

椅子へ陣取り、すぐさまジオファジークッキーをつまむ。


それを見て俺はキッチンへもうひとつ、コーヒーカップを取りに向かった。


〝DISRAELI GEARS〟の音色が、ひときわ店の中の空気を混ぜているような気がした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「で、今日はなんだってここまで来たんだ」


先に口を開いたのはおやじだった。


「リムくんの店に来たかったんだ。嘘じゃない」


カウンターへ右ひじを置き、ピンと張った背筋のまま横を向き、まっすぐにおやじのほうを見ながら言う。


「俺もわざわざ来てもらって嬉しいですよ。前回は留守にしてましたし。故障した発電機のことも気になってましたからね」


「発電機?」おやじは怪訝な表情を浮かべた。


「フェイズ……。まだあの〝発電機〟を動かしてるのか?」


何が言いたい?

おやじは何を知っている?


「まぁいいじゃないか。リムくんの前だ。それくらいで勘弁してもらえないかな?」


フェイズは何を隠している?


おやじは「へっ」とひとつ、きまりが悪そうに吐き捨て、苦虫と一緒にコーヒーを飲み込んだ。


――沈黙が、じっとりと店の中の湿度を上げる。


ゆっくりと立ち上るコーヒーの湯気が、その湿気をより確固たるものにしているように見えた。

時間にすれば数秒もなかったはずだ。

だがその静寂は、時間を増幅させてこの店の中だけが、時間を止めているようだった。


〝カリッ〟


おやじがクッキーを齧ったその乾いた音で俺は我に返る。


どうしたって〝好奇心〟が先走ってしまう。

だが、生き急ぐことの無いように俺は、この店で客を構えている。

そんなことを思い出していた。


「今日のコーヒーの味。どう?」


〝非日常〟の会話の中から、自分の日常を取り戻すように、そう口をついて出た。

二人は一瞬ぽかんとしたような表情を浮かべていた。


「まぁ……悪くねぇな。この苔も、あのファームの小僧のもんだろう?あの若さで大したもんだ」


〝ファームの小僧〟とはタクトのことだ。

彼の名は一介の骨董屋まで響いている。


「〝ファーム〟っていうのはもしかして〝燐ファーム〟かな?私もあの苔農家には興味があるんだ。新進気鋭の〝灯線職人〟がいるとか」


それは本心のように見えた。


「ええ、うちで出している苔コーヒーはすべて彼のところから仕入れたものなんです。本当に気の良い青年で……時間が許すようなら、ぜひ彼に紹介したい」


フェイズは「おお」とかなり乗り気のようだった。

しかし――


既視感のあるその動きは、彼が―おそらくはALCUSアルクスシリーズで―連絡を受け取ったようだった。


「おっと。すまないね。連絡が入った。〝仕事〟の時間のようだ」


やはり何か連絡を受け取ったようだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「ありがとう。残りのクッキーは良ければ皆で食べてくれると嬉しい」


席を立った彼は、伸びた背筋に上等そうなコートを羽織り、こちらへニコリと笑みを残して店から出て行った。


「フェイズ。今回は〝消す〟んじゃねぇぞ」


彼の去り際に、おやじが何かつぶやいた。


「それは次第だよ。解るだろう?アーカー」


二人の会話は雨に遮られ、意味は理解できなかった。


そうして飛行車へ乗り込んだフェイズは、ネオンの光を遮るように、ゆるやかに上へと上昇して行った。

ビルの影に隠れて見えなくなるまで、なぜかその飛行車の残影から目が離せなかった。



 おやじと店の中へ戻り、カウンターの定位置へ着く。

彼もまた同じ席に戻り、コーヒーを啜る。

何か言いたげだが、俺には『ザ・ビートルズのアオバン』のほうが大事だった。


「おやじ、それでビートルズのレコードはどこだ?」


「ああ」とひとつ空返事をし、バッグから〝例のブツ〟を取り出す。


「ほらよ。コイツが〝ビートルズの青盤〟だ」


カウンターの上に、保護カバーの中に入ったレコードが置かれる。

俺はやや興奮気味にそれを受け取る。


新しいコレクション……ましてや、お目当てのレコードを手にした瞬間。

これにはなんとも言えない喜びがある。


おやじはフゥ、とひとつ息を吐き、コーヒーを飲み切る。


「マスターよ。気に入られてるみてぇだから大丈夫だと思うがな」


息を整え、おやじは話す。


「いちおう、対策。ってほどでもないが〝心構え〟は忘れないでおいてほしい」


何やら神妙な面持ちで続ける。


「まぁ、たぶん言っても無駄だとは思うが、あいつは……フェイズはな、人類牽■■■■■■■■――――――――」





「わかった。まぁ俺には雰囲気のある老人にしか見えないけどな」



――違和感。



一瞬だけそんな気配が残っていた。


クッキーが一枚減っている気がする。


――いや、もともと五枚だったか。


気のせいだ。


「じゃあよ。俺もそろそろ帰るぜ」


おやじは席を立ちながらそう言った。


「え?ああ、そのうちまた店に行くよ」


おやじは背を向けたまま、片手をあげ、俺へ手を振って帰って行った。



 いつもと変わらない、いつも通りの一日。


なのに、日常の中に僅かなノイズが走るような。


見えない針で胸をチクリと刺すような。


そんな感覚だけが残っていた。




それでも俺がやることは変わらない。




――そろそろ『夜』の準備を始めるとするか。


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