第五話『些細な夜』
――ミスった。
看板のネオンを切り替えて、店を〝夜〟の顔に変えている最中だった。
クエクト=イーターの重水素水ボトルの残量がほぼ無い。
閉店まで持たない。
おまけにストック棚も空っぽだ。
「……まいったな」
降り続く酸性雨が一層強まった気がした。
こういう〝ちょっとした綻び〟がこの街の夜をザラつかせる。
今日は思い切ってもう店を閉めるか?
それとも一時的に買い出しに向かうか?
頭の中でいくつか選択肢が浮かび、消える。
夜の営業を楽しみにしてくれている連中の顔が思い浮かぶ。
――そうだ。
腕のホログラム端末―クラッド―を弾く。
「ハルカ。今ヒマか?」
数秒のラグの後、寝起きの声が聞こえてきた。
「うぃース……どしたんスか?マスターから連絡なんて珍しい……」
〝今はオフ!〟といった調子で、彼女は大きくあくびをしていた。
「十八時までに重水素水ボトル二本、届けられるか?間に合えばうちの〝EBIヌードル〟をおごってやる」
それを聞いた瞬間「えっ!?」と目を覚ましたようだ。
「行くっス!行くっス!秒で届けるんで待っててください!」
そう言うと同時に通信が切れた。
相変わらず騒々しいヤツだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「マスター!お待たせっス!」
ハルカは本当に体感〝秒〟くらいで飛んできた。
手には≪WSI重水素水【即発危機】≫というラベルの貼られたボトルが二本。
カチャカチャと音を鳴らしながら。
この短時間でどこから仕入れてきたんだか――
そんな疑問は、店の照明がふっと一段暗くなるのを見て吹き飛んだ。
「急がせて悪いな。時間通りで助かるよ」
「問題無いっス!」と彼女からボトルを受け取り、そのひとつをクエクト=イーターへセットする。
もうひとつを棚へしまって立ち上がると、箸を両手に一本ずつ握りしめ、すでに〝受け入れ態勢〟の彼女の姿が目に入った。
「マスター。約束っスよね?ウチ今、財布も腹も〝残高ゼロ〟っス!」
あまりにも嬉しそうなその姿が、鬱屈とした緊張感を和らげた。
「わかってるよ」と返事をして、キッチンへ向かい、電熱線コンロの電源を入れる。
飲用水瓶を鍋に入れて沸かし、もう片方のコンロへフライパンを置く。
『エビ味プロテインスティック』を三本取り出し、一本を細かく刻んで鍋へ。
その中に、『グルタミン、イノシン、グアニル』=パウダーなどを配合した粉末をスプーンでふたつ入れる。
フライパンへ、残りのスティックをグルタミン=パウダーで炒める。
同時に鍋に『カーボン・ヌードル』を一人前投入する。
2分計り、『丼』と呼ばれる器へ移す。
その上に、炒めたスティックを載せて完成だ。
店の外では酸性雨が、コンロの熱を羨むように窓を叩いていた。
「お待たせ。『エビスティック』は一本おまけだ」
「マジ!?いいんスか!?」と言ってこちらのリアクションを待たずに彼女は食べ始めた。
ズズッと豪快に音を立てながら、やはり黙っていられないようで喋り出した。
器用なヤツだ。
「マスター。最近の『ホ=E地区』の都市伝説知ってます?」
間髪入れずにヌードルを啜る。
食べながら「最近マッジで仕事の帰りが怖くってぇ」と喋る。
どこかで聞いた気がするが、あまり興味がなくて忘れた。
「なんだっけ?」
エビ味プロテインスティックを齧りながら彼女は言う。
「知らないんスか?最近『ホ=E』の〝
『中層』を駆け回る彼女からは、こんな眉唾な話ばかり聞かされる。
なんスかその疑いの眼差し!と悪態を付き、こちらの事情はお構いなしに続けた。
「あのですね!あそこの
俺は洗い物をしながら「へェ」と適当に同意した。
「ほんとっスよ!〝知り合い〟が『住民が見たって言ってる』って〈人がいるらしい〉って〝言ってた〟んで間違いないっスよ!」
意味不明なセリフだったが、信憑性が皆無なことだけは伝わってきた。
それだけの熱量で話し続けていても、彼女は10分かそこらでスープまで飲み干した。
「じゃ!ごちそうさまでした!またマスターから直の〝伝達〟依頼待ってますよ!もちろんまかない付きで!」
そう言い残し、彼女は嵐のように去って行った。
大昔どこかで見た〝台風一過〟とはこういうときに使う言葉なんだろうな。
そんなことを考えながら、ようやく本来の夜が戻ってきた。
ひとりきりの静けさは、少しだけ気持ちを沈める。
彼女が去った後の食器を片付ける。
湯気の消えたカウンター越しに、外のネオンが揺れていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
燃料切れ寸前だったが、ハルカのおかげで『いつもの一日』の夜を過ごしている。
今日は随分と〝EBIヌードル〟を食べていく客が多かった気がする。
――午後十一時。
客足も普段より早く落ち着いた。
それに誘われるように、酸性雨はどことなく、いつもより静謐な雰囲気を漂わせていた。
今日は店の前の〝空〟を飛び回る飛行車も少ない。
一息つくかと、自分用に苔茶を淹れる。
店内には、骨董屋のおやじから説明された『ザ・ビートルズのアカバン』という音楽が流れている。
シンプルなサウンドの中、苔茶独特の新鮮な緑色をした香りが広がる。
外の世界と隔絶されて行く店内の時間はゆっくりと流れて行った。
完全に孤立しそうな空間の中、現実を思い出させるようにアルカリミストゲートが作動した。
店のドアが開く。
俺は半分リラックスモードに移行しながらも「いらっしゃい」と声を上げてから目をやる。
「なにサボってんだい。マスター」
そこには〝培養屋〟の店長『ミラ・
「なんだ。アンタか〝トール〟」
来客と気付き、一瞬スイッチが入ったものの、馴染みの顔にまたリラックスしていた。
とはいえ客は客だ、カウンターのポジションに戻り、〝トール〟へ話しかける。
「今日は何飲む?とりあえず今淹れた苔茶でも飲むか?」
そんな調子が許されるのが〝トール〟だ。
彼は「いや、茶はいい…」と何やら難しい顔をして、カウンターの『人工サボテン』をじっと見つめていた。
「それよりもお前さん。『人工サボテン』の世話、ちゃんとしてやってるか?」
痛いところを突かれてしまった。
一昨日から水やりくらいしかしていないことを、〝生産者〟である〝培養屋〟の彼は一発で見抜いてしまう。
「いや、してないことはないんだよ。ただ、今日はちょっと忙しくてさ」
口から出まかせという〝ほどでもない〟言い訳を投げる。
彼は「はぁ」と短く息を吐き、そして真っすぐに俺を見た。
「ハサミよこしな。あとビールな」
こうなるともう彼には頭が上がらない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お前ぇさんに売るときに言ったろ?こうやってちゃあんと針を整えてやらねぇと〝酸素〟が詰まるって」
店の空気を腐らせてぇのか?なんて、すっかり〝職人モード〟の〝親方〟から説教が始まってしまった。
口では「ごめん」なんて言っているが、そんなに違うものなのだろうか。
素人にはわからない。
「よーし。こんなもんか。……オイ!ビールはまだかよ!」
俺が頼んだのはハサミだけじゃねぇとツッコミを入れられるまで、ついその〝技〟に見とれてしまった。
彼はこの『人工サボテン』を始めとする、『人工植物屋』通称〝培養屋〟だ。
その商品は小さい物は『二葉の草』から、大きな物は『街路樹』まで。
『サイボーグ技術』の副産物として生まれたのがこの植物たちだ。
世代を残さず、酸素だけを世界に残す――〝
「はいお待たせ。素ビールだよ。コイツはサボテン手入れしてもらった分だ」
そう言って彼の好きなアテ、〝
「おいおい。それ目当てで手入れしたみてぇじゃねぇか……。まぁありがとな」
彼は最近新調した、その〝サイボーグの右手〟でグラスを持った。
そして待ってましたと言わんばかりの勢いでビールを流し込んだ。
「その〝右手〟の調子はどうなんだ?」
最新型を前に好奇心から聞いてみる。
「ああ。悪くねぇ。……が、値段から言えばなんとも言えねぇな」
こういう正直なところが〝トール〟の好きなところだ。
「前まで使ってた型も馴染んでたが、最新型はやっぱり握力の入れ方がもっと繊細になったな」
〝苔和え〟をつまみながら、「高いけどな」と付け足した。
彼の『右手』は若い頃に、事故で失ったと聞いた。
当時の『サイボーグ化』は身体の欠損部位や、障害を補う機械のひとつに過ぎなかった。
それから技術が発展し、現在では『高価格』で『高機能』なものが主流となっていた。
富裕層が〝良い暮らし〟を〝より良い暮らし〟にするために人体改造するのが一般的だからだ。
そうした技術の発展の副産物として『人工植物』が生まれ。
その稼ぎで、こうして〝最新型〟を利用する彼を見ると、人生何が起こるかわからない。
――なんとも皮肉なものだ。
「とにかく。マスターよ。サボテン枯らすんじゃねぇぞ?」
わかってるよと軽く流したつもりだったが――
「前も言ったと思うがよ、コイツの基盤に〝
――初耳だが。
反論したところで彼とは水掛け論になるのは明白だった。
適当に、うんうんと首を縦に振っておくほかなかった。
「ちなみにさ、トール。長生き?長持ち?させる方法はある?……素人ができるヤツで頼む」
彼は全部世話してこそだろうが、とまた説教が始まりそうだったが、ビールで流し込んだ。
「まぁ、大昔の『本物の植物』が〝光合成〟してたの知ってるか?『太陽光』で栄養と『酸素』を作ってたんだ」
「初耳だな」
今度は声に出た。
「コイツらも〝光〟が重要だ。〝LED〟と〝ネオン〟の光。コイツらはそれで元気になる。だから……」
そう言ってサボテンの鉢を持ち上げる。
「ここが一番良く育つ」
カウンターから錆落ちた〝自動車〟の上に置いた。
確かにここなら自動車を申し訳程度にライトアップするために、夜でもLEDを強めに当てている。
「あと夜中にチリッって静電の音がしたら枯れかけだ。基盤が焼ける前触れだな。触らないで俺に連絡しろ」
本当にその道のプロの話は面白い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『いつもの一日』が終わり俺は店を閉めた。
消えていく街の光に抱かれて、看板のネオンがまたひとつ闇へと溶けて行く。
自動車の上のサボテンを眺めて、一階のライトを消した。
二階へ階段を一段上がると、無音が近づく。
〝燃料不足〟から始まった賑やかさが、まだ耳の奥で微かに鳴っている。
シャワーを浴び、ベッドに腰掛ける。
カーテンを閉めていないこの部屋は、まだ仄かに光る街のネオンで照らされている。
『クラッド』を操作しながら、静寂を噛みしめる。
狭い空間に自分の気配だけが強調されていく気がした。
静かすぎる夜は、
ときどき心の奥をひやりと撫でてくる。
それでも、この街で生きるなら慣れていくしかない。
『ハルカ』のように〝楽〟を軸にするのか。
『トール』のように〝技〟を軸とするのか。
俺は――
窓の外では、相変わらず、ネオンが雨粒のひとつひとつを照らしていた。
その一粒に吸い込まれて行くように、世界が遠ざかり、やわらかな暗がりに抱かれて行った。
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