第4話 白い花の理由

市場の喧騒に足を踏み入れた瞬間、リアは思わず足を止めた。


目の前に広がる、にぎやかで、カラフルな光景。

果物や野菜、布地や細工物、魚に肉にスパイスたち。


「すごいだろ?」と、イファが横で笑う。

「見てみろよ。あれはオルレアンっていう焼き菓子。毎朝、焼くんだ。あっちは干し肉屋。ちょっと塩辛いけど、旅人に人気なんだ。あの奥が布屋で、その向かいに……」


人々の間をすり抜けながら、イファは市場の説明を続けていく。

リアはただ、その喧騒と色彩を、じっと見つめていた。




やがて、通りの一角に、木製の小さな屋台が見えてきた。


「ここがハーブ屋さん。母さんの言ってたやつ、たぶんここで買えるよ」


屋台の前には、乾燥させた葉や香草がずらりと並んでいた。

ミントにバジル、ローズマリー。爽やかな香りがふわりと鼻をくすぐる。


リアが近づくと、優しそうな店の女性が笑顔で声をかけてきた。


「いらっしゃい。あら……見ない顔だねぇ」


リアは一瞬、言葉に詰まった。

隣にいたイファが口を開く。


「俺の家で、母さんの手伝いをしてくれてるんです。……リア、自己紹介、できるか?」


リアはイファをちらりと見て、それから小さく頷いた。


「……こんにちは。リアといいます。……はじめまして。」


「まあ、まあ、可愛らしい子ねぇ。さて、今日は何をお探しかしら?」


リアはメモを取り出し、マリナに言われた通りのハーブの名前を読み上げる。

すると、店の人がハーブを器用に束ねてくれた。

リアはハーブの束を受け取り、少しぎこちなくも、丁寧にお金を差し出した。


「ありがとうね。気をつけて持って帰るんだよ。またいらっしゃい」


ニコニコと笑う店主に、リアは深く頭を下げた。

イファは、少し離れたところからその様子を見て、柔く目を細めた。


「リア、ちょっと待ってて!」


そう言い残すと、彼は向かいの小さな花屋に走っていった。

そこは、通りの角にある静かな店で、にぎやかな市場の中でぽつんと浮かぶようだった。

イファは何かを店主と話しながら、買い物をした。


リアのもとへ風を纏ったような足取りで戻ってくる。


「はい、これ」


「……?」


リアは差し出されたそれを、ゆっくりと受け取った。



白く、小さな花。



薄い花びらが、風にふわりと揺れた。


「……どうして?」


イファは少しだけ言いよどんでから、照れくさそうに笑った。


「リアが、喜んでくれたらいいなって思って」


リアは花を見つめ、小さく「…喜ぶって……?」とつぶやいた。

イファの目が泳ぎ、「いや、あの……おつかいができたから、だな! 頑張ったごほうびってやつ!」と言って笑い、ごまかすように頭をかいた。



その時、「おーい、イファ!ちょっとこっちに来てくれ!積み上げられた荷物で道路が塞がってるんだ!」と、通りの向こうから誰かに声をかけられた。


「おっ、いま行きまーす!」


イファが、その男性に笑顔で応えると、リアの顔を見て「ひとりで帰れそうか? 道、わかる?」と聞いた。

リアは小さく頷いた。


「うん、じゃあ……気をつけて。また夕方、家でな」


そう言って、イファは駆け足で通りを抜けていった。

その背中は、すぐに人波にまぎれて見えなくなる。







リアは、その場に立ったまま、白い花をじっと見つめていた。



──なぜ、これを私に?

──喜ぶって、どんなこと?



ひとり、静かな帰り道。

風が、花びらをやさしく揺らした。

その白色は、世界を淡く、透かす。


リアは花を胸に抱いたまま、小道を歩いていた。


だが、その目は、どこか遠くを見ていた。



喜ぶ──そのかたちが、リアにはどうにもつかめない。

ただ、遠くで誰かが見ている夢のように、リアはその感情の名だけを、ゆっくりと手のひらで転がしていた。




そのとき、ふいに、ぐらりと視界が揺れた。




──青白い光。

無機質な白い天井。

頭に響く機械の音。



その中で、たしかに聞こえたのは──




『リア……君に、すべてを託す……』


『どうか……この子が……』




低く、遠い、男の声。



一瞬、心臓がきゅっと縮むような感覚が胸を走った。

リアは、思わず息を呑んだ。





「……今のは……?」





手の内の花が、かすかに震えている気がした。



風が吹き抜け、彼女の銀色の髪を揺らす。


まるで遊んでいるかのように。





遠くで鐘の音が鳴った。

小さな町の、午後だった。



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