1-8【穴】

 そのうち多々良さんが台車に長方形のダンボールを乗せて戻ってきた。タイヤが歪んでいるのかガタつきが酷く、時々角が跳ねる。

「他には?」

 ストッパーをするついでに多々良さんがタイヤの様子を窺う。「すみません、これだけで」と応えると、多々良さんはすぐさま顔を上げた。かけた眼鏡のレンズに白い筋が入る。多々良さんはツルの真ん中を押し上げ、眉間に皺を寄せた。

「たまには君も呑みなさいよ。ほら、女の子が好きそうなのもあるよ」

「でもわたしお酒は」

 言い終わるより先に多々良さんは奥の棚を物色し始める。フルーツやチョコレートのリキュールのラベルを見比べながら「ほら、ね、これとか」と誰もいないところに話しかけている。

 わたしは玄関口で止めていた足を恐る恐る奥へと差し込み、丸くなった多々良さんの背中に声をかける。

「あの、わたしお酒は飲めないんです」

「あれ、そうだったっけ」

 口では忙しく言い回っても、足元はゆっくりと折りたたむように歩く多々良さんが業務用の大きな冷蔵庫から何かを取り出した。綺麗な水色の瓶の中腹で青いビー玉が左右に揺れている。

「それならラムネでも飲みなさい。気に入ったら買って頂戴よ」

 そう言いながら多々良さんのしわがれた指が蓋を押し入れた。炭酸が瓶の中でシュワシュワと音を立て、細かい飛沫が弾けて土間に散っていく。泡が少しも吹き出さないのはきっと慣れているからだろう。こうして買い物に訪れると、多々良さんが近所の子供たちにラムネやジュースをやっているのをよく見かけていた。

「僕はね、早くあそこに住みたいの」

 多々良さんが入り口の方に目をやる。張り紙だらけの引き戸は外から見ると白茶けて汚れていたが、店の中から見ると陽の光に透けて思っていたよりも綺麗だった。その間をすり抜け、多々良さんは空を指差した。

 平屋か二階建ての家が大半の住宅街とは打って変わって、駅前にはそれなりに高層のビルが立ち並んでいる。いくつかの会社の支社が入ったテナントビルもあれば、立体駐車場付きの高級マンションもあり、その間を三車線の大きな道路が走る。歩道も薄い煉瓦色のタイルが張られ、きちんと整備された新しい街の雰囲気だった。その中でも一際目立つ建物、多々良さんがそれを指さしていることをわたしは既に知っていた。

「近くで見たことある? まるでタヒチのリゾートホテルだよ。中庭にはヤシの木が揺れて、ハイビスカスとプルメリアの花が咲いてるの。裏庭には広いデッキもあってね、そこで週に一度パーティーが開かれるんだ。それはもう夢のようだよ。おまけに最期まで面倒も見てもらえる。死ぬならああいうところじゃなくちゃね」

 多々良さんのカサカサした声が笑った。

 この話を聞くのははじめてではなかった。わたしが何か買いに訪れるたび、多々良さんはこうして駅前の老人ホームについて話した。あそこがどれだけ美しく整えられ、夢や希望の詰まったところかということ。そこで最期を迎えるのが自分の人生の最終目標であること。

 以前に一度だけ「それ、前にも聞きましたよ」とやんわり言ってみたのだが、多々良さんは何食わぬ顔で「そうかい」と言うだけだった。二度目だろうが三度目だろうが、多々良さんにはさほど関心がないのだ。

 顔に刻まれた皺に対して、綺麗に撫で付けた白髪が彼を若々しく見せている。動きは緩慢だが不安になるような揺れもない。それだけに、多々良さんが度々口にする夢の話が彼の年齢を強く突きつけてくるようだった。

「毎度どうもね、成海さん」

 多々良さんにつられて小さく頭を下げ、そのままの流れでダンボールの底に手を入れる。ぐっと力を込めてどうにか腰の高さまで持ち上げると、非力なわたしでも家の玄関までくらいなら持っていける。身体中の筋肉を縮ませたまま振り向くと、多々良さんが店の奥へ引っ込んでいくところだった。

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