第18話 声に乗らない
する。しない。
どっちも、自分。
腕に食い込む紙包みの角を確かめて、篝は黙って、街道へ戻った。
乾いた道はまっすぐで、どこまでも続きそうに見える。
見えてるあいだだけは、道が嘘をつかない気がした。
ミカが、少しだけ歩幅を落とした。
篝もつられて速度を落とす。遅れない位置に、ぴたりと合わせる。
道の脇に、丸い石が円を描いて埋められている場所があった。
自然じゃない揃い方で、そこだけ“道具”みたいに見えた。
ミカは円の内側に入る前に、篝の腕へ指を添えた。
押すでも引くでもない。けれど、肩が先に固くなる。
――ここに入る。
篝も、その円へ足を入れた。
靴底の下で、丸石がひやりと、こつ、と鳴った。
リトは少し前へ出て、背中で道の先を遮った。
それだけで、胸の奥がきゅっと締まる。
ミカが息を吸う。
唇が、小さく動いた。
前と同じだ。唇が音にならない形をつくる。――祈ってる。
言葉は聞き取れない。
音としては小さいのに、耳じゃなく皮膚に触れてくる。
円の中の空気が、すっと薄くなる。
代わりに、胸の内側だけが押される。
息の置き場がなくなる。
篝は反射的に指を握り込んだ。
掌が痛い。紙包みの角が刺さる痛みだけが、今の自分に残る。
ミカが顔を上げて、視線をリトに移す。
「……行きます」
それだけ。確認みたいな短さ。
次の瞬間、音が遠のいた。
町の匂いが、ふっと抜ける。
乾いた風が、いったん消える。
足裏が、宙に置かれたみたいになる。
――踏んでいるのに、踏めていない。
篝は目を閉じないようにした。
閉じたら、逆さの塔が内側に立つ気がした。
ミカの指が、篝の肘を強くつかむ。
皮膚の奥まで沈む。倒れない。
次に来たのは、冷たく湿った土の匂いだった。
息を吸った内側だけが、しみるみたいに痛む。
篝は唇を噛んだ。
(……塔がいたところだ)
帰りは、ここを通る。分かってるのに、喉が乾く。
少し進むと、風が変わった。
乾いたはずの風が湿って、また乾く。
篝の喉の奥が、ざら、と擦れた。
胸の奥へ入る感じが、揺れる。
足元の砂利が、いちど、鳴らなかった。
踏んだのに、音が遅れて来る。
おかしい、と思った瞬間に、背筋が固くなる。
……また来る。あの感じが。
ミカが、ぴたりと足を止めた。
篝も止まりかけて――止まるのが怖くて、半歩だけ惰性で出そうになり、慌てて足裏に力を入れた。
紙包みが、腕の内側に食い込む。
ミカが振り返らないまま、手だけを上げた。
ただ、そこに、動くな、があった。
篝は息を吸い、吐く。
吸ったはずの息が喉で引っかかって、吐くほうが先に出る。
吐いたと思った瞬間、また吸ってしまう。
(……わかんない)
分からない、と浮かんだ瞬間、耳の奥で小さな声がした。
声じゃない。意味の形が、頭の内側を撫でる。
――走れ。
――遅れるな。
――落とすな。
篝の体が、それに反応しそうになる。
走り込みの癖が、勝手に前へ出ようとする。
ミカの手が、篝の肘をつかんだ。
指が沈む。強い。
引かれたわけじゃない。
でも、その力だけで「ここにいろ」が分かる。
道の先で、灯りが揺れた。
なのに、影の向きだけが動かない。
篝は見ないふりをしたかった。
だから視線を落とした。足元の砂利から目を離せない。
灯りだけが、目の端で揺れる。
足元の小石が、二つに見えた。
瞬きひとつで戻る。戻ったのに、数えたくなる。
頭の奥が、ふっと白くなった。
吐き気がこみ上げ、奥歯に力が入る。
ミカは低く言った。
「……そのまま」
篝は足裏に力を入れつづけた。
紙包みを胸に押しつけた。
押しつけた感触だけを、確かなものにする。
前で、リトの足音が一つだけした。
踏み出した、というより、位置を変えた音。
視線は上げない。
それでも視界の上のほうで、リトの背が少しだけ大きくなる。
盾みたいな背中。
その瞬間、道の脇の暗がりが、ぬるりと滲んだ。
目の端で、黒だけが濃くなる。
近い、と決めた瞬間、近さがほどける。
遠い、と逃げた瞬間、背中に貼りつく。
その背中で、リトの肩がわずかに動いた。
背の包帯斧へ手が伸びる。
包帯の端が、ほんの少しだけほどけた。
白がほどけた瞬間、匂いが変わる。
湿った土に、古い鉄と、苦い甘さが混じった。
ミカの呼吸が一拍だけ乱れた。
眉が、ほんの少しだけ動く。
――リトに「最小で済ませろ」って言ってる気がした。
リトは何も言わない。
ほどけた端を指で拾い、巻き目の奥へ押し込んだ。
白が、元の輪郭へ戻る。
暗がりは、少し引いた。
背中に刺さる圧だけが残る。
ミカが肘をつかんだまま、言った。
「……走らない。確かめない。声に乗らない。」
篝は胸の中で、同じ順に並べた。
走らない。確かめない。声に乗らない。
篝は息を止めかけて、止めるのもやめた。
吸って、吐く。
順番がずれそうになったら、紙包みの角を握って戻す。
数秒なのか、長いのか分からない時間が過ぎた。
そっと足を出すと、砂利の音が戻った。
踏んだ瞬間に、鳴る。遅れない。
風が、ひとつに落ち着く。
湿り気が、ちゃんと肌に乗る。
篝は膝の力が抜けそうになって、慌てて踏ん張った。
ミカがようやく肘から手を離し、短く言う。
「……急ぎます」
その声が、ちゃんと耳に入った。
皮膚じゃなく、耳に。
◇
しばらく進むと、石の匂いが戻った。
黒い輪郭が見える。
館の門だ。
門が近づくほど、冷たさが一定になる。
喉の痛みが、揺れない。
篝は、息を吐いた。
吐いた息が、胸の奥にちゃんと落ちた。
門が、きい、と鳴く。
黒い輪郭が、わずかにひらいた。
篝はその境目をくぐった。
夜は、いつもの夜だった。
足裏が黒い床に吸い付く。
磨かれすぎた感触。
それが、今はやけにありがたい。
玄関ホールに入ったところで、篝はふと横を見た。
壁の片隅に、背もたれだけの椅子がある。
脚もないのに、そこに“立っている”。
椅子の背が、少しだけ傾いていた。
外へ出る前と、逆の角度。
まるで、「おかえり」と言っているみたいに。
(……セナ)
勝手に付けた名前を、胸の中で呼ぶ。
呼んだだけで、喉の奥がほどけるのが可笑しい。
篝は短く笑って、紙包みを抱え直した。
こんなおかしいものに安心してる。
それだけで、背中に貼りついてた“あの感じ”が離れた。
ミカが振り返らずに言った。
「……荷物、こちらへ」
篝は黙って差し出した。
腕の痛みが、ようやく“痛み”として遅れて来る。
館は、きちんとそこにある。
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