第5話 深層の狩りと、麗しき執事
朝食が終わり、食器を片付け終わった頃。
リリアは縁側で足をぶらぶらさせながら、庭の鯉を眺めていた。その姿は、先ほどまで「魔王」を名乗っていたとは思えないほど無邪気で、まるで近所の幼馴染が遊びに来ているような雰囲気だった。
私はカメラを三脚に固定しながら、コメント欄に流れる反応を横目で確認していた。
【魔王可愛すぎ問題】
【足ぶらぶらしてるの尊い】
【おっさん完全に保護者じゃん】
【同時視聴者5万超えたぞ】
【海外勢も増えてきてる】
数字が跳ね上がっている。昨日まで二百人程度だった配信が、今では五万人を超えている。画面の向こうで、世界中の人々がこの異常な光景を見守っているのだと思うと、現実感が薄れていく。
浩さんは台所で茶を淹れながら、ぽつりと呟いた。
「リリア、今日はいつまでいるんだ?」
「んー、夕方までかな。夜は執務があるし」
「執務ねえ……」
浩さんは苦笑しながら湯呑みを二つ、盆に載せた。そのうちの一つをリリアに、もう一つを私に差し出す。
「ありがとうございます……」
私が湯呑みを受け取ると、リリアがこちらを振り向いた。
「ねえ、あかり」
「は、はい!」
「浩の料理、美味しかったでしょ?」
「めちゃくちゃ美味しかったです……!」
リリアは満足そうに頷いた。
「だろう? 私も最初、この人の料理食べたときは衝撃だったんだ。影の国にも料理人はたくさんいるけど、浩ほど繊細な味を出せる人はいない」
そう言いながら、リリアは浩さんの方をちらりと見た。その視線には、確かな信頼と――それ以上の、何か温かいものが宿っていた。
浩さんは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「褒めても何も出ないぞ」
「別に何か欲しいわけじゃないよ。ただの事実」
リリアはそう言って、くすくすと笑った。
コメント欄がまた騒ぎ始める。
【この二人絶対できてるだろ】
【婚約者って本当なんだな】
【おっさん照れてるの可愛い】
【魔王様の笑顔やばい】
私は思わず口を挟んだ。
「あの……婚約者って、本当なんですか?」
リリアと浩さんが、同時にこちらを見た。
リリアは少しだけ得意げに胸を張った。
「本当だよ。三年前に、正式に婚約した」
「三年前……」
私は浩さんを見た。彼は少しだけ遠い目をしていた。
「まあ、色々あってな」
「色々?」
「影の国に迷い込んだとき、リリアに助けられたんだ。それで、気づいたら婚約してた」
「気づいたら!?」
私は思わず声を上げた。コメント欄も爆発している。
リリアはけらけら笑いながら、浩さんの肩を軽く叩いた。
「嘘嘘。ちゃんとプロポーズされたよ。すごく不器用で、でも真剣で……私、すごく嬉しかった」
その言葉に、浩さんは何も言わなかった。ただ、少しだけ表情が柔らかくなった。
私は、二人の間に流れる空気を感じて、少しだけ胸が温かくなった。
そのとき、リリアが突然立ち上がった。
「ねえ、浩。お昼ご飯、お肉が食べたい」
「肉?」
「うん。ジューシーなステーキ。影の国で食べるような、魔力たっぷりの牛肉」
浩さんは少し考えてから、頷いた。
「分かった。じゃあ、深層に行くか」
「深層……?」
私は思わず聞き返した。
浩さんは立ち上がって、壁に掛けてあった日本刀を手に取った。
「この邸宅の外、深層の奥にはな、魔力を帯びた獣が棲んでる。その中に、牛型のモンスターがいるんだ。肉質が最高でな」
「え、じゃあ、今から……狩りに?」
「ああ」
浩さんはまるで散歩にでも行くような軽い口調で言った。
リリアは目を輝かせた。
「私も行く!」
「お前は邸宅で待ってろ」
「やだ。久しぶりに浩の狩りが見たい」
「……勝手にしろ」
浩さんはため息をついて、縁側から外へ出た。
私は慌ててカメラを手に取った。
「あ、あの、私も……!」
「来るなら、絶対に俺の後ろから離れるな」
浩さんの声は、今までとは違う、低く、鋭いものだった。
私は背筋が凍るのを感じながら、頷いた。
---
邸宅の外は、薄暗い石壁の通路が続いていた。
湿った空気と、どこか生臭い匂いが漂っている。足元には苔が生え、時折、遠くから獣の唸り声が聞こえてくる。
私はカメラを構えながら、浩さんとリリアの後ろをついていった。
コメント欄が緊張感に満ちている。
【これ本当にヤバいやつだ】
【深層の奥って何が出るんだよ】
【あかりちゃん大丈夫か?】
【おっさんの背中が完全に戦闘モード】
浩さんは通路を進みながら、周囲の気配を探っていた。その動きには一切の無駄がなく、まるで野生動物のような鋭敏さがあった。
リリアは軽やかに宙を浮きながら、浩さんの横を飛んでいた。
「ねえ、浩。あっちの方に気配がある」
「ああ、分かってる」
二人の会話は短く、的確だった。まるで何度も共に戦場を駆け抜けてきたような、息の合った連携。
そして――
通路の先が、ぱっと開けた。
そこは巨大な空間だった。天井は見えないほど高く、所々に発光する苔が生えていて、幻想的な光景を作り出している。
そして、その空間の中央に――
巨大な牛がいた。
いや、牛というには大きすぎる。体高は優に三メートルを超え、全身は黒光りする筋肉に覆われている。角は鋭く尖り、目は赤く光っている。
私は息を呑んだ。
「あれ……ですか?」
「ああ。魔牛(デーモンオックス)。深層の奥に棲む、最高級の食材だ」
浩さんは刀を抜いた。
刃が、月光のように鈍く光る。
魔牛は浩さんの存在に気づき、鼻息を荒くした。地面を蹄で蹴り、突進の構えを取る。
コメント欄が爆発した。
【デカすぎるだろ!!!】
【これ倒せるの!?】
【あかりちゃん逃げて!!!】
【投げ銭10000円 無事でいてくれ】
リリアは宙でくるりと回転しながら、笑った。
「浩、久しぶりだね。この緊張感」
「ああ」
浩さんは一歩、前に踏み出した。
その瞬間――
魔牛が突進してきた。
地面が揺れる。巨体が、凄まじい速度で迫ってくる。
でも、浩さんは動じなかった。
彼はただ、静かに刀を構えた。
そして――
一瞬。
本当に、一瞬だった。
浩さんの姿がぶれた。
次の瞬間、魔牛の横を通り過ぎていた。
刀は、既に鞘に収められている。
魔牛は、そのまま数歩進んで――
ゆっくりと、膝を折った。
首の一点から、一筋の血が流れる。
それだけだった。
血飛沫も、断末魔の叫びも、何もなかった。
ただ、静かに、魔牛は倒れた。
私は、完全に言葉を失った。
コメント欄が、もはや意味不明なことになっていた。
【は?】
【今何が起きた?】
【一瞬で!?】
【これが本物の冒険者か……】
【スロー再生しても分からん】
【同時視聴者10万突破wwwww】
浩さんは魔牛に近づき、その巨体を軽く撫でた。
「すまんな。苦しまないようにしたつもりだが」
そして、懐から小さなナイフを取り出し、慣れた手つきで解体を始めた。
その作業は驚くほど丁寧で、迅速だった。まるで長年料理人をしていたかのような手際。
「肉の繊維を傷つけないように切らないとな。魔力が逃げちまう」
浩さんは独り言のように呟きながら、最高の部位だけを切り出していく。
リリアは満足そうに頷いた。
「やっぱり浩の狩りは完璧だね。肉の価値を一切損ねない」
「まあな。食材に失礼だからな」
浩さんはそう言って、切り出した肉を布で包んだ。
私はただ、その光景を映し続けるしかなかった。
---
邸宅に戻ると、浩さんはすぐに厨房に立った。
先ほど狩った魔牛の肉を、丁寧に切り分けていく。
「これは……すごい霜降りですね……」
私は思わず声を漏らした。
肉は美しいピンク色で、細かい脂が全体に行き渡っている。まるで芸術品のようだった。
「魔力を帯びた肉はな、普通の牛肉とは比べ物にならん。旨味も、柔らかさも、全てが別格だ」
浩さんは肉に軽く塩を振り、鉄板の上に載せた。
ジュウウウウ……
肉が焼ける音が響く。
その瞬間、邸宅中に、とてつもなく美味しそうな香りが広がった。
「うわあ……」
私は思わず鼻を押さえた。
リリアも目を輝かせている。
「浩の料理、やっぱり最高……!」
浩さんは肉を裏返し、絶妙なタイミングで火を止めた。
「ほら、出来たぞ」
皿に盛られたステーキは、完璧なミディアムレア。
切り口から肉汁が溢れ出し、湯気が立ち上る。
リリアは目の前に置かれたステーキを見て、幸せそうに笑った。
「いただきまーす!」
ナイフとフォークで一口分を切り取り、口に運ぶ。
その瞬間、リリアの表情が蕩けた。
「んっ……! 美味しい……! やっぱり浩の料理、最高……!」
私も恐る恐る一口食べた。
――衝撃だった。
口の中で肉が溶ける。脂の甘みと、肉本来の旨味が、舌全体に広がる。噛むたびに肉汁が溢れ出し、幸福感が全身を駆け巡る。
「これ……これ、ヤバいです……!」
私は思わず叫んだ。
コメント欄がもはやカオスだった。
【飯テロの極致】
【もう無理限界】
【あかりちゃんの顔wwwww】
【魔王様の蕩け顔尊い】
【投げ銭50000円 俺も食わせろ】
そのとき――
ドンッ!
邸宅の玄関が、激しく叩かれた。
浩さんは箸を止めて、ため息をついた。
「……来たか」
「え?」
私は不安そうに浩さんを見た。
リリアも少しだけ困ったような顔をした。
「あー……多分、アレだ」
「アレ?」
玄関が再び叩かれる。
今度はもっと激しく。
浩さんは立ち上がり、玄関へ向かった。
私はカメラを持って、その後を追った。
浩さんが扉を開けると――
そこに立っていたのは、長身の人物だった。
いや、人物、というには美しすぎる。
銀髪を後ろで束ね、凛とした顔立ち。鋭い眉、切れ長の目、薄い唇。全身を包むのは漆黒の執事服で、白い手袋をはめている。
そして、その耳は――尖っていた。
エルフ。
しかも、ただのエルフではない。その佇まいには、圧倒的な気品と威圧感があった。
人物――いや、彼女、だろうか? いや、彼?
性別がまったく判別できない、中性的な美貌。
その人物は、冷たい視線で浩さんを見た。
「浩様。リリア様を、お返しいただけますか」
低く、透き通った声。
浩さんは肩をすくめた。
「本人が帰りたがってないんだが」
「それは困ります。リリア様には、午後の執務がございます」
「それは俺に言われても」
そのとき、リリアが縁側から顔を出した。
「あ、ハイネ! 来ちゃったんだ!」
ハイネと呼ばれた執事は、リリアを見て、深々と頭を下げた。
「リリア様。お迎えに参りました」
「えー、でもまだステーキ食べ終わってないよ?」
「……それは、存じ上げております」
ハイネの表情には、微かに疲労の色が浮かんでいた。
私は、その光景を映しながら、完全に混乱していた。
コメント欄も爆発している。
【執事!?】
【エルフ!?】
【美しすぎる】
【男? 女?】
【これもう異世界博覧会だろ】
ハイネは私の存在に気づき、視線を向けた。
「……人間、ですか」
「は、はい……」
「そのような機械で、何を?」
「え、えっと……配信、というか……」
ハイネは少しだけ眉をひそめた。
「配信……?」
浩さんが代わりに説明する。
「映像を外に流してるんだ。今、世界中で十万人くらいが見てる」
ハイネの表情が、一瞬だけ固まった。
「……十万。人間が、十万人……?」
「ああ」
ハイネは深く息を吐いた。
「……浩様。これは、問題になりますよ」
「知ってる」
「知っていて、放置を?」
「だって、止めても無駄だろ。もう広まっちまってる」
ハイネは目を閉じて、こめかみを押さえた。
「……リリア様。どうか、お戻りください」
リリアは少しだけ不満そうに頬を膨らませたが、最終的には頷いた。
「うん、分かった。でも、ステーキは持って帰る!」
「……承知いたしました」
ハイネは、完全に諦めた表情で、リリアを迎え入れた。
そして、去り際に、私の方を振り返った。
「人間の少女。あなたは、とても危険なことをしています」
「え……?」
「ですが――」
ハイネは、ほんの少しだけ、微笑んだ。
「リリア様が楽しそうで、何よりです」
その言葉を残して、ハイネとリリアは、障子の奥へと消えていった。
私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
浩さんは、ため息をついて、縁側に座り込んだ。
「……疲れた」
「お疲れ様です……」
私も、カメラを置いて、隣に座った。
コメント欄は、もはや祭り状態だった。
【今日だけで情報量多すぎる】
【魔王、冒険者、エルフ執事】
【これ本当に現実?】
【あかりちゃんよく生きてるな】
私は、空を見上げた。
ダンジョンの天井には、何もない。
でも、不思議と、心地よい風が吹いていた。
「……浩さん」
「ん?」
「これから、どうなるんですかね」
浩さんは少しだけ笑った。
「さあな。でも、もう止まらないだろうな」
その言葉に、私は少しだけ震えた。
でも――それは、恐怖ではなかった。
期待だった。
まだ見ぬ、とんでもない未来への、期待。
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