第33話 文化祭後半
夕方。
校舎全体を包んでいた喧騒が、少しずつ落ち着いていく。廊下を行き交う人の数が減り、外から差し込む光がオレンジ色に変わり始めていた。
クラスの喫茶も、最後の客を送り出したところだった。
「ありがとうございましたー」
誰かの声が響き、ドアが閉まる。
それだけで、一区切りついた感じがした。
「これで、営業は終了ですね」
委員長がそう言って、クリップボードにチェックを入れる。
「お疲れ」
「お疲れさまでした」
短いやりとり。でも、そこに変な緊張はなかった。
片付けが始まり、エプロンを外す人、机を元に戻す人、それぞれが自然に動く。文化祭特有の高揚感が、疲労に変わっていく時間帯だ。
俺は段ボールをまとめながら、ふと委員長の方を見る。
彼女は一人で、売上表を確認していた。表情は冷静で、仕事を終えた達成感はあっても、気の緩みはない。
「委員長」
声をかけると、すぐに顔を上げる。
「はい」
「もう俺の仕事、ないか?」
「いいえ」
少しだけ間を置いてから、続けた。
「最後に、一緒に確認してほしいことがあります」
それは、仕事の言葉だった。
だが、なぜか胸がざわつく。
教室の隅、人の少ない場所に移動する。
「何を確認するんだ?」
「今日一日の流れです」
「流れ?」
「ええ」
委員長は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「問題はありませんでしたか」
「特に」
「困ったことは?」
「……なかった」
その答えを聞いて、委員長は小さく頷く。
「それなら、よかったです」
少し、視線を落とす。
「私の判断で、あなたを動かす場面が多かったので」
「気にしてない」
即答すると、委員長は一瞬だけこちらを見る。
「そう言ってもらえると、助かります」
その声は、ほんの少し柔らかかった。
片付けが終わり、教室には数人しか残っていない。
ひかりと葵は先に出ていき、みなとも友達に呼ばれて廊下へ向かった。京香は裏の倉庫で最後の確認をしているらしい。
気づけば、教室には俺と委員長だけになっていた。
窓の外は、もう夕方だ。
「文化祭、成功ですね」
俺が言うと、委員長は小さく息を吐いた。
「ええ。皆のおかげです」
「委員長のおかげだろ」
「それは、違います」
はっきり否定する。
「私は、配置を決めただけです」
一瞬、こちらを見る。
「動いてくれた人がいたから、回ったんです」
その視線は、真っ直ぐだった。
「宮下くん」
呼ばれる。
でも、これまでとは少し違う響き。
「今日、一日隣にいてもらいました」
事実を述べるだけの口調。
「委員長としては、正しい判断だったと思います」
「うん」
「でも」
そこで、初めて言葉が止まる。
委員長は、ほんの一瞬だけ視線を逸らし、すぐに戻した。
「それだけでは、ありません」
空気が、少し変わる。
「?」
間を置く。
胸が鳴る。
委員長は、逃げなかった。
「佐伯、ではなく」
一呼吸。
「莉音、と呼んでください」
はっきりと、言った。
「そう呼んでください」
頼みではない。要求でもない。
選択肢を差し出す、静かな攻め。
「莉音」
呼ぶと、委員長いや、莉音は、ほんのわずかに目を見開いた。
すぐに表情を整えるが、完全には隠しきれない。
「はい」
それだけ。
でも、その一言で、何かが確実に変わった。
教室の外から、京香の足音が聞こえる。
「そろそろ、鍵を閉めますよ」
声はいつも通りだが、二人の距離を一瞬で理解したような間があった。
「わかりました」
莉音は、すぐに委員長の表情に戻る。
だが、もう完全には戻れない。
文化祭の夕方。
一日の終わりに、呼び方だけが変わった。
それだけなのに、距離ははっきりと縮んでいた。
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