第15話 王国経済の破綻、カイルの島への依存が始まる

「……高い。高すぎるわ! パン一つで銀貨五枚ですって!?」


グランベル王国の王都、かつては大陸一の賑わいを誇った中央広場。

そこで響いていたのは、活気ある呼び込みの声ではなく、悲痛な主婦の叫び声だった。


「勘弁してくれよ、奥さん。こっちだってギリギリなんだ」


パン屋の店主は、疲れ切った顔で首を振る。

並んでいるパンは黒ずんで硬く、以前なら家畜の餌にしていたような品質だ。だが、今の王都ではこれがご馳走だった。


「小麦が入ってこないんだよ。街道の橋が崩落して、隣国からの輸送馬車が通れない。それに、農村部じゃ水路が壊れて不作続きだ。……全部、ここ数週間で起きたことさ」


店主のぼやきは、王都中の絶望を代弁していた。


カイルが追放され、彼が維持していたインフラ魔法が消滅してから約一ヶ月。

グランベル王国の経済は、崩壊の危機に瀕していた。


物流の要である街道は整備不良で穴だらけ。

魔物の侵入を防いでいた結界が弱まり、商隊が襲われる事件が頻発。

さらに、王都の上下水道の不備による衛生環境の悪化が、人々の生産意欲を奪っていた。


「くそっ、なんで急にこんなことに……! 先月までは、何不自由なく暮らせていたのに!」

「噂じゃ、追放された王子様の呪いだって話だぞ」

「いや、王子様が今まで守ってくれていたんだ。それを追い出した王様たちが悪いんだよ!」


民衆の間では、既に王家への不満が爆発寸前まで膨れ上がっていた。

だが、彼らはまだ知らなかった。

この絶望的な状況下で、唯一の希望となりつつある「ある商品」が、皮肉にもその「追放された王子」からもたらされていることを。


   ◇


王都の商業区にある、自由貿易商バルゼの支店。

そこだけは、異様な熱気に包まれていた。


「おい、次の入荷はまだか!」

「金ならある! 『あの島』の野菜を売ってくれ!」

「うちの子供が、あそこのコーンスープじゃないと食べないんだ!」


店の前には、貴族の使いや裕福な商人が長蛇の列を作っている。

彼らが求めているのは、バルゼがカイル皇国から独占輸入した『カイルブランド』の産品だ。


「はいはい、押さないでください! 本日入荷分には限りがあります!」


店員が声を張り上げる。

店頭に並ぶのは、宝石のように輝くトマト、黄金色のトウモロコシ、そして魔法のような効能を持つポーションや保存食。

王国のボロボロの市場とは対照的に、それらは圧倒的な「豊かさ」を放っていた。


「くっ……背に腹は代えられん。トマト一箱、金貨十枚で買おう!」

「私は二十枚出すわ!」


オークションのような争奪戦が始まる。

王国の通貨の価値は暴落していたが、カイルの島の商品だけは、どんな高値でも飛ぶように売れた。

なぜなら、それを食べれば体力が回復し、病気が治り、何より絶望的に「美味い」からだ。

腐ったパンと泥水のようなスープに飽き飽きしていた富裕層にとって、それは麻薬にも似た救済だった。


店の奥で、支店長は笑いが止まらない様子で売上を計算していた。


「すごい……。バルゼ会長の読み通りだ。この国はもう、カイル様の商品なしでは一日たりとも持たない」


王国の金貨が、次々と店に吸い込まれていく。

そしてその利益は、バルゼ商会を通じてカイル皇国へと還元され、さらなる発展の礎となる。

経済的な植民地支配。

武力を使わずとも、グランベル王国は既にカイルの掌の上で踊らされていたのだ。


   ◇


一方、王城のダイニングルーム。

そこには、お通夜のような空気が漂っていた。


「……今日の夕食はこれだけか?」


アルマン国王は、皿の上に乗ったボソボソのパンと、具の少ないスープを見て眉をひそめた。

かつては毎晩のように豪華な晩餐会が開かれていた場所だが、今は見る影もない。


「申し訳ございません、陛下……。市場に食材が出回っておらず、宮廷料理人たちも腕の振るいようがなく……」


侍従長が震える声で答える。

第一王子ゲラルトは、不機嫌そうにスプーンを投げ出した。


「ふざけるな! 俺は次期国王だぞ!? なんで民衆と同じような残飯を食わねばならんのだ!」


「そ、それが……良質な食材はすべて高騰しており、現在の王室予算では確保が難しく……」


「予算がないだと? 税収はどうなっている!」


「……激減しております。不況で商家が次々と倒産し、民衆も税を納める余裕がありません。逆に、インフラ修繕費と魔物討伐費が膨れ上がり、国庫は空っぽです」


衝撃の事実だった。

軍事大国を自負していたグランベル王国が、まさか金欠で食事にも困るようになるとは。


「くそっ、くそっ! 何もかもあのカイルのせいだ!」


ゲラルトは八つ当たり気味に叫んだ。

自分の無能さを棚に上げ、すべての元凶を弟に押し付ける。そうでもしなければ、精神が保てないのだ。


その時、一人の貴族――財務大臣が入室してきた。

彼は妙に艶のある顔をしており、手には小さなバスケットを持っていた。


「陛下、殿下。お食事にお困りのご様子……。宜しければ、私の私財で購入した『差し入れ』を召し上がりませんか?」


「差し入れだと?」


大臣がバスケットを開けると、そこから芳醇な香りが漂った。

中に入っていたのは、フワフワの白パンと、新鮮な野菜のサラダ、そして厚切りのベーコンだった。


「なっ……!? なんだこれは! どこでこんな極上品を!」


アルマン王が目を丸くする。

ゲラルトもゴクリと喉を鳴らした。


「い、いただきましょう父上! 毒見は私が!」


ゲラルトは王の制止も聞かず、ベーコンにかぶりついた。


「んんっ!? う、美味い! なんだこのジューシーな肉は! パンも甘い! 口の中で溶けるようだ!」


「おお、なんと……! 余にもよこせ!」


王と王子は、まるで飢えた野良犬のように料理を奪い合った。

あっという間に平らげ、二人は恍惚のため息をつく。

久しぶりに満たされた感覚。

ベヒーモス肉(ベーコンの原料)に含まれる魔力が、疲れた体に染み渡る。


「ふぅ……生き返った心地だ。して、財務大臣よ。これはどこで手に入れたのだ? 我が国の農家も、まだ捨てたものではないな」


王が満足げに尋ねると、財務大臣は少し言いにくそうに、しかし奇妙な笑みを浮かべて答えた。


「いえ、陛下。これは国産ではありません。今、王都で大流行している『輸入食品』なのです」


「輸入? どこの国だ? 帝国か? ルーンか?」


「それが……商品名は『カイル印の特選素材』と申しまして」


「……は?」


時が止まった。

カイル。

その名前を聞いた瞬間、王とゲラルトの顔色がサァーッと青ざめ、次いで怒りで真っ赤に染まった。


「カ、カイルだと!? あの追放者の島から買ったものだと言うのか!?」

「我々が、あいつの施しを受けたということか!?」


ゲラルトが嘔吐くような仕草をする。

だが、胃袋は正直だった。先ほど摂取した極上の栄養を、体が喜んで吸収している。吐き出そうにも吐き出せない。


「左様でございます。……正直に申し上げますと、現在、我が国の食料事情は、カイル皇国からの輸入に完全に依存しております」


財務大臣は淡々と事実を告げた。


「バルゼ商会を通じて入ってくる物資がなければ、来週には餓死者が出るでしょう。……陛下、悔しいですが、我々はもう、カイル様に頭を下げてでも貿易を続けるしかないのです」


「ぐ、ぐぬぬ……ッ!!」


アルマン王は屈辱に震えた。

自分たちが捨てた「無能」な息子。

その息子が作ったパンを食わねば生きていけない。

王家のプライドはずたずただった。


「認めん……認めんぞ! そんなことがあってたまるか!」


ゲラルトがテーブルを叩く。


「輸入禁止だ! カイルの商品など、二度と王都に入れるな!」


「殿下、そんなことをすれば暴動が起きます。民衆は既に『カイル様の野菜』の虜なのです。今さら止めれば、国民の怒りは王家に……」


「ええい、知ったことか! 軍を使ってでも抑え込め!」


王城は混乱の渦にあった。

プライドを取って飢えるか、プライドを捨てて弟に依存するか。

愚かな為政者たちは、その決断すらまともに下せず、ただ喚き散らすことしかできなかった。


   ◇


そして、空の上。

天空城のテラスで、カイルは眼下の世界を見下ろしていた。

手には、リリスが開発した『遠見の水晶』があり、そこに映し出されているのは、王都のバルゼ商会に群がる人々の姿だった。


「……順調みたいだね」


カイルは冷めたコーヒーを啜りながら呟いた。


「ええ。王国からの発注量は、先週の倍に増えています。特に貴族層からの高額商品の注文が殺到していますね」


隣で秘書のように報告書を読み上げるのは、リリスだ。


「彼らは我々の商品を『東方諸国の珍味』などと偽って購入しているようですが、中身がカイル皇国産であることは周知の事実です」


「皮肉なもんだね。僕を追い出した連中が、僕の作った野菜を食べて命を繋いでいるなんて」


カイルは少し寂しげに笑った。

復讐心がないわけではない。

だが、こうして圧倒的な差を見せつけると、怒りよりも哀れみの方が勝ってしまう。


「カイル殿」


セリアが近づいてきた。


「王国軍の一部に、不穏な動きがあります。食料不足に耐えかねた国境警備隊が、近隣の村で略奪を行っているとの情報が」


「……堕ちるところまで堕ちたな」


カイルの瞳に、冷たい光が宿る。

腐敗した国は、内側から崩れる。

だが、それに巻き込まれる民衆には罪がない。


「セリア。難民の受け入れ準備を急ごう。たぶん、もうすぐ大移動が始まる」


「承知いたしました。居住区画の増設と、食料備蓄の解放を行います」


「リリスは、転移魔法陣の調整を。王国の国境付近に『ゲート』を開けるようにしておいてくれ」


「はい! いつでも避難民を収容できるようにします!」


カイルは立ち上がり、風に吹かれた。

かつての故郷は、もう死んだも同然だ。

ならば、せめてそこに住む罪なき人々だけでも救い出そう。

それが、新しい「王」としての、カイルなりのケジメだった。


「……さようなら、父上、兄上。あなたたちは、自分たちのプライドと一緒に滅びればいい」


カイルが冷徹に見下ろす先。

グランベル王国は、経済的破綻と国民の離反により、国家としての機能を完全に停止しようとしていた。


そして数日後。

カイルの予見通り、王国史上最大規模の「民衆大脱走(エクソダス)」が始まることになる。

目指すは、空に浮かぶ理想郷。

王国の滅亡は、他国の侵略ではなく、国民全員に見捨てられるという、最も惨めな形で幕を開けるのだった。

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