1話 現世にさよならを
前だけを向いて歩き続けると、自分の人生とは結構起伏に富んだもので、それなりに修羅場的な出来事や楽しいことも経験してきた様に思える。
ただし、一度振り返ってみたり、ましてや俯瞰して他者と見比べてしまえば、途端に平坦で、実に面白みの無い道筋になってしまった。
短い人生の中で、人並みの苦労に人並みの努力、人との縁には恵まれた方と言えるだろうか。
平凡としか言いようのない僕の人生。
「特別」を夢見た凡人はこの日を境に、大きな、大きな坂を登り始める。
「.........は?」
何一つ状況が掴めずに、オロオロと視線だけを右往左往させる男の様子は、側から見ればずいぶんと滑稽な様に違いない。
けれども僕を嗤う声は無い。代わりとしてひっきりなしの歓声に、人々の間を往き交う指示と報告が耳を叩いた。
「成功、召喚は成功しました!」「ああ、ついに...!」「なんで2人も!?」「身体チェックを急げ!!済み次第、魂に異常が無いかの検査だ!!!」「宰相殿へ御伝達を!」「おお神よ...!」「待機の皆さん、ようやく来たお仕事ですよ」「ふぅぅぅぅぅ!勇者来たーーー!」「なんか2人居ません?」「やっと帰れるぅぅぅ」
「は、いや、え、うん?い、意味が...」
わからない。
僕は間違いなく、友達と2人で通学路のアスファルト上にいた。
しかし友達が突如「なんか変な音聞こえない?」とか言った直後、急速に顔色を悪くして倒れそうになったので体を支えていたところだ。
なんなら、まだ腕の中で死にそうな顔を・・・
「あれ、寝てる?さっきまで苦しそうに呻いてたよね?まあ顔色も良くなってる気がするし良かった〜」
なんて、急速に言語化が進んだのは、状況が飲み込めないあまりに理解を放棄した成果だろうか。
心配事がひとまず落ち着いたので、一度状況を確認せねばなるまい、と辺りを見渡した。
最初と比べると、僕らを囲む人の輪はかなり小さくなっていて、そのため視界の大半は人の姿だ。
背筋をピンと伸ばし、白い軍服に身を包む精悍な男。
黒のローブにトンガリ帽子を身につけた、大鍋をかき混ぜている魔女を連想させる女。
クリーム色の鎧がよく似合い、両腰に一本ずつ剣を携えた青年。
合わせて20は超えるだろう。
そして、彼らの表情が、喜一色から変化していくのもわかった。
浮かべるそれは、疑問。
「けど、なんで2人もいるんだ?」
「【勇者】は単独では無く、複数の英雄群を指しているのではないか?」
「まさか!そのような文献は見たことがない!」
ローブや杖を身につけた者が口々に騒ぎ出す。
興味深そうに怪訝そうにこちらを見やる彼らだが、僕には口を挟む余裕がなかった。
「うぷっ」
突然光景が全くの別物に変わったからか、あるいは忙しなく動き回る人影のせいだろうか?僕は酷く目を回していた。吐き気と眩暈に襲われ、イマイチ視界も働かなくなったところで、1人の男が近づいて来るのに気がついた。
「典型的な魔力酔い...に加えて、予想通り魂の揺り戻しですね」
「そうか、大事は無いのだな」
「ええ、寝てる子も含め損傷は見えません」
赤の刺繍に金のチェーンがあしらわれた王子服に身を包む男は、煌びやかな衣装に劣らぬだけの美貌を誇っていた。若干たれた切れ長の両目を見たなら鬼や悪魔でもその心を許すだろう。スラリと通った鼻筋は、本当に自分と同じ生き物かと疑ってしまう。
彼以外の全てが霞む存在感に、真横にいる筈の女性の姿すらもよく見えなかった。
「あ、の、」
「今は無理をするな」
彼は地べたに座ったままの僕と目線を合わせて続けた。
「君はこれから意識を失う。今は混乱しているだろうし、詳しくは目が覚めときに再度話そう」
「当然、君の友人も一緒だ。彼に後遺症が残ることや命の危険が生じることは無い、私が保証しよう」
その言葉が緊張の糸を緩ませる。同時に、意識が閉じていくのがわかった。
「故に、最後に一つだけ伝えさせて欲しい」
「・・・」
もう喋る気力も湧かないが、そうでなくとも彼の言葉を邪魔することはなかっただろう。
視界が完全に真っ黒に染まりに落ちる寸前、歓声も衣擦れの音すらも閉ざされた僕に、縋るような声だった。
「──ありがとう」
どんな表情かはわからない。
けれど、声色の中に多くの感情が込められたそれに、僕の心は強く揺れたのだ。
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