第14話 暗渠


 エレーヌさんのことを少し知れた後の帰り道、俺は彼女に相談をしていた。


「……俺のネーミングセンスって、そんなに終わっているんでしょうか?」


 尋ねた瞬間、キョトンされた。

 けど、次の瞬間にはクスクスと笑い始めたのだ。


 俺にとって、笑い事じゃ無いんだけど!!


「ジルベールくん、すごく深刻な顔してたから何事かと思ったよ」


「深刻な問題だと思うんですけど!」


 ダウナーになってたエレーヌさんが笑ってくれたのは嬉しいけど、ネタになったのが完璧で究極だった筈の名前だったのが本当に解せなかった。


 おかしい、こんなことは許されない……。


「ジルベール君がつけた名前が組織名になったら、後世に語り継がれると思うよ、うん」


「……良い意味でですか?」


「えっと……古代ロマーナの役職みたいだよね?」


 遠回しに、長すぎるってディスられてるっ。


「クローデットさんにさ、クソダサいって言われたんです……」


「それはそう……あっ」


 呟いてすぐ、しまったと言う顔を浮かべたエレーヌさん。けれど、その態度こそが、心底での彼女の思いを雄弁なほどに語っていた。


 やっぱり、俺のネーミングセンスは終わっているらしい。……この時代には、まだ早すぎるセンスだったのかもしれなかった。


 ため息を一つ吐いてから、致し方なく自分で名前を考えることを諦めた。俺のセンスは1000年以上先のものだから、今の時代では役に立たないと自分に言い聞かせて。


「納得しました、はい」


「なんか、ごめん……」


「いえ、良いんです。逆に決心がつきました」


「決心?」


 何のことだろうと訝しんでいる彼女に、俺は思い切って伝えた。


「一緒に名前、考えてくれませんか?」


 俺一人では無理だと諦めて、エレーヌさんの力を借りることにしたのだ。


「そっか、ジルベールくんって、結構面白い男の子だったんだね」


 何かがツボに入ったみたいで、今度はクスクスではなく朗らかな笑いを浮かべる。そうして、"良いよ、一緒に考えようか"と言ってくれたのだった。




「ガリティアとイスペリア、両方に関わり合いがある命名がしたいんです」


「ガリティア人としてのアイデンティティを持ちつつ、イスペリア人に親しみを持って貰おうってことだね」


 早速、俺の考えを伝えたところ、エレーヌさんは意図を理解して頷いてくれた。


「近視眼的と言われそうですけど、小さな勢力の俺たちが無下にされない為にも、そう出来たらと思ってます」


「分ち難い盟友、もしくは他国の同胞というイメージを形作りたいってことで良いよね?」


「はい、今は熱狂的に応援してくれてますけど、実績自体は無いに等しいので、せめて親近感が必要なんです」


 明確に言葉にされたそれを肯定し、何か案は無いかと探った。


「だから、俺もこの二カ国の共通項を考えてみたんです。みたんです、けど……」


 あまりの酷評されすぎて、微塵も自信がない。

 けど、まごついている俺に、エレーヌさんは優しく声を掛けてくれた。


「聞かせて、ジルベールくんが君なりに一生懸命考えてくれてるのはわかるから」


 その言葉に背中を押されて、未練がましくそれを口にした。


「バルゴ地方に伝わる神話に登場する豊穣の神、マリーナ。そこから取って、"マリーナ神の加護篤き正道を行く騎士団"、とか……どうかな?」


 バルゴ地方、それはガリティアとイスペリアに跨る国境周辺のことを指す。そこには古来、聖教が広まる前には自然信仰が存在していた。


 バルゴ神話、その最高神がマリーナ。

 かいわれ大根レベル100みたいな見た目のやつ。

 それを、二国間に跨る象徴として選んだのだ。


 どうかな、とドキドキしながらエレーヌさんを伺うと、彼女は人差し指を上唇に当てて考えてくれてた。


「うーん、そっか……」


 割と、真剣な顔をして。

 えっ、もしかして採用の流れ来てる!?


 無敵とか最強とか、そういう言葉を使わなかったのが功を奏したってことなのかな!


「さ、採用、ですか?」


「……不採用、かな」


 そんな期待とは裏腹に、すぐに肩を落とすことになった。


 考えてはくれたけど、どうやらセンスのなさは補えていなかったらしい、思わずため息が出る。


「でも、間違ってはないと思う」


 けれども、持って回った言い方で、全てを否定しなかった。


「えと、どういうことですか?」


「発想は正しいってこと」


 そう言って、エレーヌさんはもっと単純化を進めてみせた。


「──マリーナ騎士団、これなら悪くないと思うよ」


「……盛らなくていいんですか?」


「長い名前をつけるのは権威の象徴を誇示するため、今のボク達には必要ないよ」


 ……なるほど、将来的には長くして良いということだ。


「分かりました、マリーナ騎士団で行きましょう!」


「今はこんな気候だし、豊穣の神を担ぐのは悪くない。良いと思うよ」


 お墨付きを貰えて、胸を撫で下ろす。

 俺のセンス、全てが間違っているわけじゃなかったと思えたから。


「早速クローデットさんに提案しに行きましょう!」


「あっ、手……」


 エレーヌさんの手を取って、小走りで掛け駆け始めた。早く、この喜びをクローデットさんとも分かち合いたくて。


「…………冷たいのに、温かいのは何でだろうね」


「喜びの情熱です!」


「っ、聞こえていたのかい!?」


「エレーヌさんの言葉ですから!」


 指先は冷たいけれど、手のひらは誰よりも温かい。──握り返してくれてたから、分かったことだった。






 そうして、意気揚々と聖堂へ帰還した俺たちだったのだが……。


「もうさ、"ジルベールくん大好き騎士団"で良くない?」


「ド直球すぎますね、もっとマイルドにして"ジルベールさんを囲う会"に致しませんか?」


「そこまで行くならいっそのこと、"ジルベール王子親衛隊"とかどうかな?」


「おー、良いかも。クロエはどう思う?」


「……迷いますわね」


 帰ってきて早々、この世の終わりみたいな命名会議が行われていたのだ。


「何の話をしてるの!?」


「あら、ジルベールさん、お早いおかえりですわね。……エレーヌさんもご一緒ですの?」


「たまたま遭いましてって、そうじゃないですっ。それよりもこれ、何ですか!」


 錯乱しそうになりながら、絶対に間違っている方向へと進んでいる会議に割って入った。何故か、俺の名前が看板として掲げられようとしていたから。


 絶対に許されないし、許しちゃいけない舵取りでしかなかった。


 なんでクローデットさんがいながら、こんな有様になってしまったのか。


 俺の詰問に、彼女は緩い金の巻き髪を触りながら、目を逸らして。


「ぜ、全員揃って好き勝手言い合うので、妥協できるラインを探ったのですわ」


「何を妥協したら俺の名前になるんです、おかしいでしょ!!」


 何があったらこうなるのだと詰めると、クローデットさんはブンブンと駄々っ子みたいに首を振って。


「わ、ワタクシだってどうかとは思いましたが、皆が全会一致で納得出来るのがジルベールさんの名前しかなかったのでしてよ! ワタクシもジルベールさんなら、許せる気がしたのですわ!!」


「しないでよ!?」


「ではジルベールさんは、"鋼鉄処女膜兵団"、もしくは"ケツアクメ血盟団"とかでも良かったというのですわ!?」


「出てくる単語全部ふざけ倒してるの何!?」


「こいつらの知性の限界なのですのっ。悪ふざけや下ネタが大好きな、ふざけた年頃なのでしてよ!!」


「みんな、そうなんですか!!」


 俺が辺りを見回すと、令嬢方は全員が目を逸らした。それが、クローデットさんの言葉を何より肯定している。


 楽しくなりすぎて、真面目な会議じゃなく大喜利大会に発展してしまったということを、その沈黙こそが何よりも語っていた。


 何なんだよ、鋼鉄処女膜兵団って。

 何なんだよ、ケツアクメ血盟団ってっ。


 みんな処女で、膜を破らないためにお尻で、その、そういうことしてるってことなの?


 ……事実だったら、知りたくなかったな、そんなこと。


「みんな、えっちすぎる……」


 頭を抱えそうになりながら呟いた一言に、反応したのは先程目を逸らした令嬢中の一人だった。


「待って、ジルベールくん!」


「……何ですか?」


「確かに私たちはえっちかもしれないよ? でも、一番えっちなのはクロエなんだよ!!」


「はぁっ!? いきなり何をほざきやがっておりますのっ、事実無根の冤罪ですわ!」


「でも、時々深夜のクロエの部屋から、ケダモノみたいな声聞こえてくるじゃん!」


「仕事を終えられず、寝られなくて発狂している時の声でしてよ!!」


「それは嘘で、本当はジルベール君を想って、自分を慰めてる声なんだよね?」


「ジルベールさんの前で、何をおっしゃいますのっ。ぶち転がしますわよ!!」


 目の前で俺をも巻き込んだど下ネタトークが繰り広げられて頭が痛くなる。みんな、見た目はエルフ並なのに、会話の中身は上品なオークレベルだった。


 思わず遠い目をしそうになっていると、クイクイと袖を引かれた。


 何だと思い振り返ると、純真無垢な顔をしたサラが不思議そうな顔をしていて。


「あのね、おにーちゃん。ちょっと聞いても良いかな?」


「サラなら何でも聞いて良いよ」


 頭オークじゃない、純真な女の子がまだ存在していることに、軽く感動してしまった。


 流石は俺の妹である。なので、甘やかしたくなってそう言うと、サラは"ありがとうなんだよ!"と伝えてくれてから、こんな質問をしてきたのだ。


「じゃあ聞くんだけどね……クローデットおねーさんは夜泣きしちゃって、それをおにーちゃんによしよしって慰められたのが恥ずかしくて怒ってるの?」


 その言葉を聞いた瞬間、気が付けば俺はサラの頭を撫でていた。


 一生このまま育ってほしい、純真でいてくれと願いを込めて。


「うにゃ、おにーちゃん?」


「サラ、クローデットさんはね、高潔で気高いから変なことはしないんだよ」


「泣いちゃわないってこと?」


「そうじゃないけど、みっともないことはしないんだ」


 頭の悪い喧騒に巻き込まれないよう、サラの耳を塞いだ。教育上、不適切な言動を耳にさせないために。



「じゃあ何なの、クロエはジルベールくんで自分を慰めてないっていうの!」


「不適切な言動ですわっ、ご本人の前で問うてはならないことでしょう、それは!」


「してないって即答しないのが、全ての答えってことだよね?」


「〜っ、しておりませんわっ!」


「……クロエが嘘吐く時ってさ、頬っぺが真っ赤になるんだよ、知ってた?」


「えっ、本当ですの!?」


「もちろん嘘。だけど、そんな反応しちゃうってことは……」


「な、なななな!?」


「やーい、変態。毎日一回、ジルベール君でクチュクチュしてるんだー!」


「しゅ、週に一回ですわあぁーーー!!!」


「わー、怒った!」



 うん、サラには聞かせられない。

 というか、俺も聞きたくなかった。


 さようなら、高潔なクローデットさん。

 こんにちは、思春期のクローデットさん。


 ……村にいる男が俺だけだし、そういうの関連もこの時代は弱いから、色々と仕方ないかもしれない。


 うん、そうだね。

 よし、聞かなかったことにしよう。


「サラは清楚に育って……」


「清楚っていうのは、おにーちゃんみたいな男の子のことなんだよ」


「サラは物知りだ」


「えへへ、そうかもしれないね!」


 博識で偉い、末は大学教授かもしれない。

 そんな妹の賢さに浸っていると、またもクイクイと袖を引かれて。


「……ジルベールくん、悪いけど収拾してくれないかな」


 微妙に気まずそうなエレーヌさんの呼び掛けに、それはそうと申し訳なくなりつつ頷いた。


「なんか、ごめんなさい……」


「いや、ジルベールくんが謝ることじゃないよ。あと、それから……」


 正気のエレーヌさんを前にして、妙な気まずさが漂う中で、彼女は顔を赤くしながら呟いた。


「ボクは、そんなことしてないからね。だから、キミに、その……安心してほしくて」


 それを口にした時のエレーヌさんは、自身の紅茶色の髪よりも赤かった。か、可愛い……。


「大丈夫です、分かってますからね」


「え、なっ、何で頭を撫でて!?」


「良い子賞です」


 彼女の髪は繊細で、どこに出しても恥ずかしくないくらいに整えられていた。撫で心地が良いと感じてしまうくらいに。


「おにーちゃん、サラもサラも!」


「うん、サラも良い子だね」


「えへへ、嬉しい!」


 そしてサラにも強請られて、俺は二人の頭を撫で続けた。



「ジルベールさん、私たちも撫でて良いのでしてよ?」


「えっちな皆さんは知りません」


「り、理不尽でしてよーっ!!」



 それを見た他の令嬢方も殺到してきたが、鋼の意志で突っぱねた。


 ……遠目から羨ましげに見ていたクローデットさんにだけは、後日ひっそりと撫でさせてもらったのは二人だけの秘密であった。




「マリーナ騎士団とか、どうです?」


「採用ですわ!」


 あと、名前の提案は全会一致で普通に通った。

 あまりにあっさりで驚いていると、クローデットさんは笑って一言。


「何を言ったかより、誰が言ったか。そういう時もあるのでしてよ」


 あなたの提案だから、みんな頷いたのだ。

 そう言われて、はたと首を傾げた。


「えっ、でも最初の提案は……」


「美意識に反するレベルのものは却下ですわ」


 ……美意識に、反する。

 そのレベルだったんだ、俺の提案って。


 落ち込む俺を、みんなが励ましてくれた。

 その様子が、噂に聞くオタサーの姫っぽく感じて、ちょっと落ち込んでしまったのはここだけの話である。


 へこまない俺になりたい、そう感じた瞬間であった。








 バローラ行政府、カルロス地方の心臓部。

 その執務室にて、一つの提案が成されていた。


「──正気か、メンドース将軍」


「勿論、正気ですよ。オクタヴィア殿」


 執務室内には、二人の女性が存在していた。


 一人は執務机に座りながら、トレードマークのモノクルを光らせているイスペリア王国宰相、オクタヴィア・カルロス。


 その前に立っているのは、イスペリア王国軍の中でも数少ない、クルアン教徒と互角の戦いを繰り広げてきたアナデシア・メンドース将軍であった。


 メンドース将軍がある提案を持ち込み、それを巡って議論をしていたのだ。


「流石に無茶だろう。幾ら彼女達が新しい戦争のあり方を示したとはいえ、あそこは難攻不落の要害だ。無茶を強いても頷くまい、条約にあるのは努力義務なのだからな」


 お前ら貴族が横槍を入れたせいで、ロクな条件を纏められなかった。皮肉混じりに当て擦るオクタヴィアに、将軍は揚げ足を取るように指摘したのだ


「そう、努力義務です。努力とは、即ち力を惜しむことなく尽くすこと。それができないと言うのならば──惜しめない状況に陥らせれば良いのです」


 まるで狐みたいな笑みを浮かべ、人懐っこくそう告げたメンドース将軍。彼女に、オクタヴィアは"ほぅ"と眼光鋭く漏らして。


「動かすための策があると、そういうことか」


「ええ、彼女達が噂という火種で平民を照らしたのならば、こちらにも火を分けて貰いましょう」


「なるほど、焚き火では済まさぬと」


「ええ、火は取り扱いを間違えると大火になる。それを先達として、彼女達に教えて差し上げようと思ったのです。私、親切なので」


 楽しげに告げるメンドース将軍に、オクタヴィアはため息を吐き疎ましげな目を向けた。


「そうか、妙だとは思っていたが……そもそも、火種をばら撒いたのは貴様だったのだな、将軍」


 全部を解っていると言わんばかりの態度から、即座に理解した。メンドース将軍こそが、ガリティア亡命貴族達──マリーナ騎士団と名乗り出した彼女達の噂を広めた張本人であったのだと。


 それに、将軍はわざとらしく心外な表情を作り、泣き真似まで見せた。


「まあ、オクタヴィア殿、それは誤解です。私はただ、素晴らしき英雄譚が広まっていく様を、優しく見守っていただけでしたのに……」


 誤解も何も、堂々とした自供を行なっていた。

 白昼堂々、最高権力者を前に怖れを知らない所業ですらある。


 胸に去来する不快さを押し留めながら、オクタヴィアは問うた。


「平民を煽るのか」


「いいえ、そんなことは致しません。ただ、事実を広め、民草が喜ぶ姿が見たいだけです」


「……噂を広めた時のように、か?」


「ふふ、民草の笑みを見守っていた時のように、ですわ」


 物は言いようである、その言い草は慈愛に満ちていた。だが、とてもではないが純真と言える様なものではなくて。


「既に火は着いている。平民どもの過度な期待が、彼女らを庇護する膜から、逃げられない檻へと変えるわけだな」


「随分、露悪的な言い方を好まれますね」


「……その様なことはない、貴殿のやり口を装飾なく述べたに過ぎない」


 ──嘘である、他意はあった。


 オクタヴィアは、悔しかったのだ。

 焦燥感を覚えていると言ってすら良い。


 自分が貴族どもに嫌われている事など、とっくの昔に知っていた。それが理由で、暗闘を幾度も行なった。


 ……だが近年、先代のイスペリア女王が没した後から情勢が変わり始めた。

 貴族が、己の好き勝手に振る舞い始めたのだ。


 自分の知らないところで謀略を行い、自身の知らぬところで暗躍し、結果として残った汚名のみをオクタヴィアに投げつけてくる。


 尻尾を掴もうにも、貴族間同士で庇い合い、全ては闇に消えていく。元より嫌われ者だったのが、災いして。


 世間では女王死後、オクタヴィアを掣肘する者がいなくなったと嘆く声に溢れているが、それは少し事実と違う。


 ──貴族こそが、手綱から解き放たれた猛獣であったのだ。


「まあ、お可愛いことですね」


 完全に、パワーバランスが崩壊していた。

 前女王が健在だった頃と比べて、オクタヴィアは孤立無縁に近い状況になっていたのだ。


 そんな状況でも、彼女が排除されていないのは……。


「他者を意のままに操るのは、実に楽しいだろうよ」


 彼女こそが傀儡であり、貴族達を汚名から守る盾であるからだ。望んでいなくとも、事を終えた後には事後承認しなくてはならない事柄の数が多過ぎた。


 彼女には、人々を心服させられるだけの実績もカリスマも無いのだから。


 他者を納得させることができず、女王の威を借りて政治を行うしかなかったオクタヴィア。救国を志し、権力を不正にもぎ取った者の哀れなる末路であった。


「操るだなんてとんでも無い、協力です。だって──盟友、ですからね」


「……都合の良い言葉よな」


「ふふ、春が楽しみです」


 どこまでも楽しそうに、この永遠に思える曇り空の下こそが自身の春だと言わんばかり微笑んで、メンドース将軍は執務室を後にした。


 一人になった執務室で、オクタヴィアは天を仰いだ。

 こんなはずでは、という気持ちに蓋をしながら。


「……裏切り者である西部僭主共の討伐。使い潰されるかも知れぬ、な」


 独語したオクタヴィアは、酷く惜しい気持ちになった。


 もしかすると、自身こそが彼女達に……マリーナ騎士団に期待していたのだと感じたが故の悔しさであった。






 部屋を出て直ぐ、メンドース将軍は小さな、本来はこの建物に居ないはずの少女を確認し、恭しく頭を下げた。


「おや、イザベラ陛下、ご機嫌麗しゅうございます。……習い事からぬけだしてきた、と言ったところですかな?」


「うむ、くるしゅうないぞ、メンドース」


 陛下と呼ばれた少女、イザベラは赤い縦ロールを靡かせながら、将軍に面を上げさせた。


 互いに笑みを浮かべあって、ハタから見れば和やかさすら感じる。ただ、どちらも作り笑いと看破できる者に取っては、相当に居心地が悪いことだろう。


「ふふ、冒険も学びの一環でございますからね。どうぞ、ごゆるりと探検くださいませ」


「言われずとも、そうさせてもらおうかの」


「それは重畳。では、小官はこれにて失礼致します」


「うむ、励むように」


 儀礼的な会話を行い、二人は別れた。

 ただ、将軍が立ち去る姿を見遣ってから、オクタヴィアの執務室にも目を配って。



「オクタヴィアめ、今日も虐められよったな。何かしてやらねば、哀れではあるが……」



 悩ましげに、それでいて困ったように思いを馳せて。


「さて、どうしたものかのぅ」


 考えながらイザベラは執務室の扉をノックし、返事が返ってくる間のなく扉を開けた。


「オクタヴィアよ、喉が渇いた故に蜂蜜ミルクを飲ませてくれたもれー!」


「陛下、また勝手にお屋敷を抜け出したのですか。……それと、そのような贅沢品を進めることなぞ、臣として許容できませぬ」


「むー、いつも通りケチじゃのぅ。仕方がない故、単なるミルクで許そうぞ」


 平然と居座る姿勢を見せたイザベラに、オクタヴィアは困った顔をし──けれども、僅かに口元を緩めた。


「……一杯召し上がられたら、直ぐにご帰宅ください」


「うむうむ、だからオクタヴィアはういやつなのじゃ!」


「三十路の女は、可愛くなどありませぬ」


「ギリ29であろうが、何を言っておるんじゃ?」


「……悪事を働いてきたから、30が近付いて来ているのでしょうか」


「29までに死んだやつが善人なら、小悪党として生きた方が楽しい世の中じゃろうて」


「小悪党、ですか?」


「うむ、主は何をやっても小物じゃからな。必死に勉強して努力しようとも、大悪党にはなれんじゃろ」


 届いたミルクに口を付けながらそう言い放つイザベラに、オクタヴィアは顔を俯かせた。その言い分だと、自身は小物の宰相であるということだから。


 世間を知らぬ子供の戯言と流すには、オクタヴィアはイザベラを買っていた。少なくとも、無限とも思える将来性があると思っている。


 だから、素直に納得できる評だと思えてしまったのだ。


「……自覚はあります。けれども、今の貴族達に権力は渡せません」


「よいよい、それだけ常識がある証拠じゃ。何か突き抜けるには、バカにならねばならんからの。いうて余も、バカと天才の見分けがつかんが」


「陛下は才があります、非才の身だからこそ感じるものですが」


 オクタヴィアのしみじみとした言葉に、これは重症じゃなと内心でイザベラは呟いて、


「うむうむ、その調子で小物らしく阿諛追従の才を磨くのじゃぞ。そうすれば、100年後でも貴様が宰相じゃ」


「陛下、私は本気で言っています」


「能吏なのじゃが……そういうところが、小物なのよなぁ」


「陛下?」


 言外に、いずれ権力を全て手中に収めると露骨に匂わせた事に突っ込まなかったオクタヴィアに、イザベラはため息を吐いた。


 普段のオクタヴィアなら、絶対に気がついていた筈。目の前にいたのがメンドース将軍ならば、憎悪と共に睨みつけた事だろう。


 だが、目の前にいるのがイザベラであるということだけで、認識が曇った。オクタヴィアはイザベラを庇護対象として、子供であり身内でもあると捉えている。


 それだけで感度が鈍くなる彼女に、やっぱり向いてないと認識したのだ。


「結局、手紙も手伝ってやったのに、上手く活かせなかったようじゃな」


「…………申し訳ありません」


「ま、世の中こんなもんじゃよな」


 諦め気味に呟いたイザベラの脳に、ふと昨日の声が蘇った。



『ベラ、君天才だよ! うち来る? 俺、クローデットさんに口利きできるよ!』



 何故、彼の言葉が脳裏によぎったのか。

 考えると、単純な解が直ぐに出て来た。


 本気で欲しいと言われた。

 子供扱いされず、自分だけを見て。


 それが、ひどく新鮮だったのだ。


「……むふふ」


 思わず堪えたのに愉快さが溢れ、口から笑い声が溢れた。


「陛下、だらしないお顔をなさらないでください」


「言うてくれるな、オクタヴィア。……のぅ、何があったのか聞きとうないか?」


「勉学をサボって、遊び歩いている不良自慢ならば、特には」


「つまらぬことを言うでない。そんなことでは、耳が蕩ける甘言を吐ける佞臣にはなれぬぞ!」


「では、余計に聞きたくありません」


「嫌じゃ、やーじゃ! 聞いてたーもーれーよー!」


「……少しだけ、ですよ」


「だから汝はちょろいのじゃ、その調子で立派な君側の奸を目指すんじゃぞ?」


「お帰りはあちらの扉からどうぞ、陛下」


「一々拗ねるでない! それでの、話してやるのじゃが……余には出会いがあったのじゃ」


「出会い、ですか?」


「そう、出会いじゃ」


 溜めるように呟きながら、とびっきり楽しそうに、本当に嬉しそうに、イザベラはその言葉を発した。


「──君が欲しいと、かなり可愛い男の子に本気で請われたのじゃ!」


 ともすれば、イザベラの高揚している肌は、初恋に焦がれているように見えただろう。本気なのだと、勘違いしても仕方ないくらいに。


「………………陛下に、先を、越され、た?」


 何故だか、王国宰相オクタヴィアのモノクルにヒビが入った。物持ちが良すぎるが故の、劣化による破損……かもしれなかった。

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