第23話

広間に響き渡った、低く、威厳のある声。すべての視線が、その声の主へと注がれる。


そこに立っていたのは、隣国ヴァインベルク帝国の騎士服に身を包んだ、アレン・シュヴァルツだった。彼は、一分の隙もない完璧な礼を国王陛下へ捧げると、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、広間の中央へと進み出た。


貴族たちが、モーゼの十戒のように、彼の道を開けていく。


(アレンさん……!どうして、ここに……!?)


わたくしは、驚きのあまり、声も出せずに立ち尽くしていた。


彼は、わたくしの隣まで来ると、その歩みを止めた。そして、凍りついているわたくしにだけ聞こえるように、小さな声で、ぽつりと呟いた。


「……遅くなった」


それだけだった。けれど、その一言と、わたくしに向けられた力強い眼差しだけで、不安に震えていたわたくしの心は、嘘のように、すっと落ち着いていった。


アレンさんは、わたくしを守るように、その広い背中を向けると、国王陛下と、そして、顔面蒼白になっているセラフィナを、真っ直ぐに見据えた。


「これは、シュヴァルツ騎士団長。遠路はるばる、ようこそお越しくださった。だが……一体、これはどういうことですかな?」


国王陛下の問いに、アレンさんは、静かに、しかし、よく通る声で答えた。


「は。この度の親善晩餐会へのご招待、我がヴァイツ帝国を代表し、心より感謝申し上げます。ですが、陛下。今、この場で行われている茶番は、両国の友好を祝う席に、ふさわしいものとは思えませぬな」


「茶番、ですと?」


「然り。リーファ嬢に向けられた、根も葉もない、卑劣な告発のことです」


アレンさんの言葉に、セラフィナが、金切り声を上げた。


「な、なんですの、あなたは!いきなり現れて、わたくしの言うことが嘘だとでもおっしゃるの!?」


「嘘だ」


アレンさんは、間髪入れずに、言い切った。その鋼色の瞳が、氷のように冷たい光を放ち、セラフィナを射抜く。


「リーファ嬢が、貴女を脅したという、その言葉。それこそが、万死に値する、大嘘だ」


「な……!あなたに、何がわかるというの!?あなたは、その場にいなかったではないの!」


セラフィナの言葉に、アレンさんは、ふっと、鼻で笑った。


「……本当に、そうかな?」


彼は、再び国王陛下へと向き直る。


「陛下。わたくしが、この王宮に到着し、侍従に案内されて、この広間へと向かっておりました時、廊下の向こうで、エドワード殿下とリーファ嬢が、会話をされているのをお見かけいたしました」


「……何?」


「わたくしは、お二人の邪魔をしてはなるまいと、少し離れた柱の陰で、待っておりました。故に、お二人の会話は、その一部始終を、この耳で、はっきりと聞かせていただいたのです」


アレンさんの言葉に、会場が、大きくどよめいた。エドワード王子が、息を呑むのがわかる。


「リーファ嬢は、殿下からの復縁の申し出を、きっぱりと、しかし礼儀を尽くして、お断りになりました。そして、そのまま、まっすぐに、陛下へのご報告へと向かわれた。その間、彼女が、そこの男爵令嬢と、一言たりとも、言葉を交わさなかったことを、このヴァイツ帝国騎士団長、アレン・シュヴァルツの名において、私が、保証いたしましょう」


完璧な、証言だった。


隣国の、それも騎士団長という、中立かつ、絶対的な立場の人間からの、揺るぎない証言。


セラフィナが作り上げた、涙の舞台は、その一言一句によって、木っ端微塵に、打ち砕かれたのだ。


「そ……そんな……」


セラフィナは、力なく、その場にへたり込んだ。


もう、彼女に同情の目を向ける者は、どこにもいない。貴族たちは、今や、侮蔑と嘲笑の視線を、哀れな嘘つきの令嬢へと、向けていた。


わたくしは、隣に立つ、彼の広い背中を見上げていた。


彼が、来てくれた。この絶体絶命の状況から、わたくしを救い出すために、たった一人で、駆けつけてくれた。


胸の奥から、熱いものが、込み上げてくる。


アレンさんは、そんなわたくしの気配を察したのか、そっと、わたくしにだけ聞こえる声で、言った。


「言ったはずだ。君を、守ると」


その言葉が、今までのどんな宝石よりもどんな甘い囁きよりも、強く深くわたくしの心に突き刺さった。

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