第20話

北の領地を後にしてから、数日が過ぎた。ヴァインベルク公爵家の紋章をつけた馬車は、見慣れた王都への街道を、ひた走りに進んでいく。


窓の外を流れる景色が、領地の豊かな自然から、人の手で完璧に整えられた退屈な風景へと変わっていくにつれて、わたくしの心は、少しずつ重くなっていくのを感じた。


「お嬢様、お顔の色が優れませんぞ。少し、お休みになられては?」


向かいの席に座るヨハンが、心配そうに声をかけてくる。


「ありがとう、ヨハン。でも、大丈夫よ」


わたくしは、無理に笑顔を作ってみせた。


「少し、昔のことを、思い出していただけ」


この道を通って、王都を離れた日のことを。あの時は、絶望のふりをしながらも、心は未来への希望で、今にも飛び立ちそうなくらい軽かった。


けれど、今はどうだろう。胸の中にあるのは、希望ではなく、ずしりと重い、覚悟と、ほんの少しの不安。


「……ヨハン。わたくし、やっていけるかしら」


思わず、弱音がこぼれた。


「王都にいた頃のわたくしは、ただ完璧な淑女を演じることしか能のない、空っぽのお人形だった。そんなわたくしが、領主代理として、国王陛下の前で、堂々と渡り合えるのかしら」


すると、ヨハンは、穏やかな、しかし力強い声で言った。


「お嬢様は、もう、あの頃のお嬢様ではございません」


「え……?」


「北の領地で、ご自分の足で立ち、ご自分の頭で考え、民のために行動されてきたではありませんか。畑を耕し、料理を作り、巨大な獣の問題さえ、見事に解決された。その経験は、決してあなた様を裏切りません」


ヨハンの真っ直ぐな言葉が、弱気になっていたわたくしの心に、温かく染み渡っていく。


そうだ。わたくしは、もう一人じゃない。わたくしには、守るべき領地と、わたくしを信じて待っていてくれる民がいる。そして、遠い北の地から、わたくしのことを案じてくれている、あの人も……。


わたくしは、胸元のお守りを、そっと握りしめた。木の温もりが、わたくしに勇気をくれる。


やがて、馬車は、見慣れた王都の城門をくぐった。途端に、領地とは比べ物にならない喧騒と、人々の好奇の視線が、馬車に突き刺さる。


「まあ、ヴァインベルク公爵家の馬車ですわ」


「あの、婚約破棄されたお嬢様が、戻っていらしたのね」


ひそひそと交わされる噂話が、聞こえてくる。以前のわたくしなら、その視線に耐えられず、身を縮こませていただろう。


けれど、今のわたくしは、違う。


馬車が、王都にあるヴァインベルク公爵家の屋敷に到着する。扉が開かれ、わたくしは、ゆっくりと外へ、その身を現した。


屋敷の使用人たちが、遠巻きに、同情と好奇の入り混じった目で見ているのがわかる。


わたくしは、背筋を伸ばし、顎を引いた。そして、すべての視線を、堂々と受け止めてみせる。


驚いたように目を見開く使用人たちを尻目に、わたくしは、一歩、また一歩と、屋敷の重厚な扉へと、迷いなく進んでいった。


さあ、見ていなさいエドワード様。セラフィナさん。


そして、王都の皆さん。


わたくしはもう、あなたたちが知っているか弱い令嬢ではない。


このリーファ・フォン・ヴァインベルクが、何者であるか。この身をもって教えて差し上げますわ。


わたくしの心に、領地で燃やした焚き火のような熱くそして静かな闘志の炎が確かに宿っていた。

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