第2話

ヴァインベルク公爵家の屋敷に到着したわたくしを、使用人たちの同情的な視線が出迎えた。


「お嬢様……お気を落とさずに……」


「酷い噂が流れておりますが、我々は信じておりません」


皆が口々に慰めの言葉をかけてくれる。その温かい心遣いに、わたくしは心から感謝した。


(ありがとう皆!でも心配ご無用よ!今のわたくし、人生で一番幸せな気分ですもの!)


もちろん、そんな本音はおくびにも出さず、弱々しく微笑んでみせる。


「ありがとう……。少し、一人にしてもらえますか……?」


悲しみに耐える健気な令嬢を演出しながら自室へは向かわず、わたくしは父であるヴァインベルク公爵の書斎の扉を叩いた。計画の総仕上げは、この屋敷で一番の難関を突破しなくてはならない。


重厚な扉の向こうから、威厳のある声が聞こえる。


「入れ」


「お父様、リーファです」


中に入ると、大きな執務机に向かっていた父が、厳しい顔でこちらを見ていた。父はいつも冷静沈着で、感情をあまり表に出さない。けれど、その瞳の奥に心配の色が滲んでいるのを、長年の付き合いで見抜いていた。


わたくしは父の前まで進み、意を決して口を開いた。


「お父様、お願いがございます」


「……聞こう」


「わたくし、修道院に入ろうと思います」


これぞ、わたくしの計画の核。悲しみに暮れた令嬢が、俗世との関わりを断つために聖域へ……。完璧なシナリオだ。これで同情を買い、厄介払いも同然に送り出してもらえれば、あとは自由の身!


父はしばらく黙ってわたくしを見ていたが、やがて深いため息をついた。


「……そうか」


「はい。もう、わたくしのような傷物の令嬢に、縁談などございましょう。静かに神に仕え、余生を送りたいのです」


涙ぐみながら訴えるわたくしに、父は静かに言った。


「北の領地にある、聖リリアンヌ修道院がいいだろう。あそこは昔、母上が寄付をして建てた場所だ。静かで、美しい場所だと聞いている」


(乗ったーーーー!しかも行き先まで指定してくれた!)


聖リリアンヌ修道院は、わたくしが目的地に定めていた北の領地の、目と鼻の先にある。好都合すぎる展開に、思わずガッツポーズが出そうになるのをぐっとこらえる。


「お父様……!ありがとうございます!」


「……リーファよ」


父は厳しいながらも、どこか優しい声でわたくしを呼んだ。


「お前は、昔から利口な子だ。何をするにしても、自分で考え、自分で決めるだろう。お前の人生だ、好きに生きなさい」


その言葉は、まるでわたくしの嘘などすべてお見通しだと言っているようだった。けれど、父はそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いてくれた。


わたくしは深くお辞儀をし、書斎を後にした。そして自室に戻り、扉を閉めた瞬間――。


「自由よーーーーーーっ!!」


ベッドにダイブし、喜びを全身で表現する。手足をバタつかせ、枕に顔をうずめて歓喜の雄叫びを上げた。


さあ、計画の最終段階だ。わたくしはクローゼットを開けると、そこにかけてある豪奢なドレスの数々に見向きもせず、奥から大きなトランクを引っ張り出した。


まずは、夜会用のシルクのドレスを一枚、ポイっと床に放る。代わりにトランクに収めたのは、分厚い『家庭でできる!絶品お菓子レシピ大全』。次に、宝石がちりばめられたティアラを脇にどけ、愛用の麺棒と泡立て器を丁寧に布で包んで隙間に入れた。


「刺繍のセットは要らないわね。それよりこっちよ」


手芸箱の中から、畑仕事用の丈夫な手袋と、作物の種を入れた小さな袋のコレクションを大切そうに取り出す。きらびやかなネックレスやイヤリングが、わたくしの手によって無造作にベッドの上へ積み上げられていく。その代わりにトランクの中は、料理本、ハーブの図鑑、丈夫なエプロン、長靴などで着々と埋まっていった。


「お嬢様、失礼いたします」


「ヨハン!入ってちょうだい!」


入ってきたのは、わたくしの護衛騎士であるヨハンだ。幼い頃からずっと一緒で、兄のような存在でもある。


彼は部屋の惨状――もとい、荷造りの様子を見て、呆れたようにため息をついた。


「……本当に、行かれるのですね」


「ええ!もちろんよ!」


「修道院へ、その中身で、ですか?」


ヨハンが指さすトランクの中身を見て、わたくしは得意げに胸を張った。


「違うわよ、ヨハン。これはね、『修道院に行く途中で、北の領地に立ち寄って、そのままそこに住み着いちゃう計画』の荷物よ!」


「……だろうと思いました」


ヨハンは全く驚いていなかった。彼には、わたくしの考えていることなどお見通しらしい。


「お父様には許可をいただいたわ。『好きに生きなさい』って」


「公爵様も、お嬢様には甘いですからな。それで、私はどうすれば?」


「決まってるじゃない!あなたも一緒に来て、わたくしのスローライフを手伝うのよ!力仕事とか、色々あるでしょう?」


「はあ……。護衛騎士を農夫か何かと勘違いされていませんか?」


口では文句を言っているが、ヨハンの口元が少し笑っているのをわたくしは見逃さなかった。


「だって、あなたがいなきゃ始まらないもの。お願い、ヨハン」


「……御意のままに。姫」


昔からの癖で、ヨハンは悪戯っぽく笑いながらそう言った。


わたくしは満足げに頷き、最後の仕上げに、一番のお気に入りである『誰でも簡単!石窯パンの作り方』という本をトランクにしまい込んだ。


準備は万端。あとは出発の日を待つだけ。


窓の外に広がる窮屈な王都の景色に別れを告げ、わたくしはまだ見ぬ自由な日々に胸を膨らませながら、幸せな気持ちで眠りについたのだった。

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