第9話 舞踏会の夜

 カミーユが男爵に叙任された夜。王宮にて舞踏会が開かれた。


 カミーユと従者のフローラは、ハイアン侯の用意した衣装で舞踏会に臨んだ。


 カミーユは男装の礼服。フローラは浅葱色の上品なドレスだった。


「よく似合っていますよ。フローラ」

 カミーユは、緊張で硬くなっているフローラに微笑んだ。


「カミーユ様、あ、ロラン男爵閣下。ありがとう、ございます」

 従者は、貴族となった主人の名前を辿々しく呼んだ。


「フローラ。あなたは私の一番の従者です。今まで通り、カミーユと呼んでください」

「はい。わかりました。カミーユ様」

 従者は嬉しそうにカミーユに礼をした。


 さて、カミーユにとって、今夜の舞踏会は、初めての社交会となる。

 ここでは、大人の貴族としての振る舞いが求められる。


 ハイアン侯爵閣下は、いつも通りで問題ないとおっしゃるが、はたして田舎者が無作法を働きはしないか。推してくださる侯爵閣下にご迷惑をおかけするわけにはいけない。


 カミーユは、改めて身を引き締めて、ホールへ歩んで行った。後に従者のフローラも付いて来ている。遠くワルツが聞こえてくる。


 舞踏会の行われるホールには、すでに沢山の着飾った貴族たちがおり、皆忙しそうに話をしている。


 カミーユが入場すると、一斉に視線を集めた。


 カミーユの美しく凛々しい姿に、御婦人たちからはため息が漏れ、若い男性貴族たちは、惚けたようにその姿に見入った。


 サラ・ハイアン侯がすぐにカミーユの元に寄り、はっきりとした美声で告げた。

「こちら、過日の戦で多大な功績を挙げられたカミーユ・ロラン男爵です。今宵が初めての舞踏会となりますので、皆様よろしくお願いします」


 サラの言葉が終わると、カミーユは、凛々しく、優雅に頭を下げた。


 カミーユの元に、ご婦人方が集まる。

「ロラン男爵はとってもお強いのでしょう。そのお話を聞かせて欲しいわ」

「北方と言うと、とてもお寒いのでしょう。普段は何を食べていらっしゃるの」

「ロラン男爵は馬術がお達者だと伺いました。今度一緒に遠乗りはいかがかしら」

「カミーユ様とお呼びしても良いかしら」

「あら、でしたら私もカミーユ様とお呼びしたいわ。よろしいかしら」


 カミーユは、かしましい御婦人方に囲まれるが、それら全てに丁寧に対応する。


「戦のお話は、このような華やかな場で御婦人方にはお聞かせできません。ただ、私は運が良く。今も生き延びております」

「北方は王都と比べて貧しいですが、パンや野菜を食べています。ただ、周囲に獣が多いので、肉を食することが多くございます」

「私は愛馬と共に生きてまいりましたので、馬術にも多少の心得がございます。遠乗りのお誘いありがとうございます。機会がありましたら、ぜひお願いいたします」

「はい。レディがよろしければ、私のことはカミーユとお呼びください」


 カミーユは、丁寧に受け答えを続ける。その間も、優しい微笑みは忘れない。

 いつの間にか、カミーユの周囲には幾重もの貴婦人の輪ができている。

 御婦人たち全てと言葉を交わす頃には、随分と時間が経っていた。


「カミーユ、カミーユ。私と踊っていただけるかしら」


 御婦人たちの中から、やや大きな声が聞こえる。


「レディ・ロザリア。いらしていたのですね」

 サラ・ハイアン侯爵の末娘、ロザリアは、その小さな体で群衆を押し除けた。


「そうよ。それで、踊ってくれるの。どうなの」


 カミーユは微笑んで答える。


「はい。無骨の身ながら、精一杯お供させていただきます」


 カミーユはロザリアの手を取り、ホールの中央へ向かった。

 やがて中央に辿り着き、曲が始まる。


 カミーユは、ロザリアの手を取り直すと、ロザリアを優雅に舞わせる。

 自らも、まるで空を歩むようにしなやかに舞った。


 カミーユは、貴婦人に囲まれている間に、周囲のダンスの様子を見て、その勘所を掴んでいたのだ。


 そして、一曲が終わる頃には、カミーユは舞踏会のスタァとなっていた。周囲からは拍手が送られ、割れんばかりの喝采が起きた。


 ロザリアは、悔しそうにカミーユに囁く。

「あなた、ダンスもできたのね。私が教えてあげようと思ったのに」


 カミーユは苦笑し、ロザリアの手を取り、片膝を立てて首を垂れた。

「レディ・ロザリア。私の初めてのパートナーとなっていただき、光栄に存じます。ありがとうございました」


 カミーユがそう言うと、ロザリアは機嫌を直して笑った。

「そうよ。あなたの初めての相手はこのロザリア・ハイアンなのですからね。忘れてはダメよ」

 カミーユは立ち上がり、立礼する。


 カミーユたちのダンスが終わったことを確認すると、若い男性貴族たちがカミーユの元に群がった。


「カミーユ・ロラン男爵、私とぜひ踊っていただきたい」

「カミーユ卿、私とも是非に」

「カミーユ卿」「カミーユ卿」


 カミーユは次々と声をかけられた。


「ありがとうございます。では、申し訳ありませんが、順番にお願いいたします」


 そうして、カミーユが十曲ほどを踊り終えると、周囲が俄かにざわめいた。


 カミーユがそちらを見ると、一人の少女がカミーユに向かって手を差し出していた。


「カミーユ卿。私とも踊っていただけますか」

 それは、王女からのダンスの誘いであった。


 王女アナスタシア・アレクセイ・プラソール。

 この国、ベラルーン王国の第一王位継承権を持つ要人である。


 しかし、社交界では壁から離れることはなく、ダンスに誘われても具合が悪いからと、全て断っていた。


 そんな王女が自らダンスの相手を指名したのだ。


「光栄です。王女殿下。お手を」

 カミーユは、微笑みを湛え、アナスタシアの手を取った。


 群衆は割れ、カミーユとアナスタシアの道ができた。


 曲が始まり、カミーユがアナスタシアをリードする。

 アナスタシアは妖精のように優雅に舞い、周囲の人々からは、うっとりとしたため息が漏れた。


 やがて曲は終わり、二人の手は離れた。

「殿下と踊れたこと、光栄の極みです」

 カミーユはアナスタシアに立礼する。


「ありがとうカミーユ卿。私、空を飛んでみたかったの」

 王女は不思議な言葉をカミーユに投げかけた。


「私はお役に立てましたでしょうか」


 王女は夜の花のように美しい顔で微笑む。

「ええ、とっても。今日は生まれて初めて楽しい舞踏会でした。また踊っていただけますか」

 アナスタシアは、カミーユを見上げた。


「もちろんです殿下。このカミーユ、その日を心待ちにいたします」

 こうして、王女と男爵は別れた。


 カミーユはそれからも何曲も踊った。流石に疲労を感じ、カミーユはバルコニーへ出た。

 喉も乾いていたが、今はとにかく夜会の喧騒から離れたかった。


 春の夜風が冷たく、火照った体に心地よさを与えてくれた。


 そんなカミーユのそばに、一人の女性が寄り添った。


「ハイアン侯爵。よろしいのですか、このようなところにいらっしゃって」

 カミーユは、サラが肩に頭を乗せて来たことに驚いたが、すぐに受け入れた。


「今日の主役はあなたよカミーユ卿。主役が休憩しているのだから、私も休憩しても構わないでしょう」

 それは合理的ではなかったが、カミーユはその言葉を好意的に受け止めた。


「ロザリアを襲わせた黒幕がわかったわ」

 突然、サラの口から驚くべき言葉が飛び出した。


 カミーユはその言葉を受け取り、努めて冷静に振る舞った。


「ビスタニオ子爵。今日の舞踏会にも出ているわ。内通者が口を割ったの。子爵からは、以前から有形無形の嫌がらせはあったし、証拠は充分だわ」

 サラは、愛を囁くように、カミーユの口元に向かって、言葉をつぶやく。


「あなたが私を後見人としたと知って、彼はどうするかしらね」

 カミーユは慎重に言葉を選ぶ。

「暴発すると。お考えですか」


 サラはくつくつと笑う。

「彼は小物ですからね。汚い商売をやんわりと嗜めたら、激昂して、後先考えずロザリアを襲ったのよ。私の愛しい娘を」

 サラは周囲に怒りを撒き散らす女性ではなかった。


「カミーユ。今日の夜会が終わったら、私の部屋にいらっしゃい。この話の続きもしたいし、後見人として、あなたと私はもっと親密になるべきなのよ」


 サラは妖艶に微笑んだ。


「はい。私もそのお話に大変興味がございます。ぜひお願いいたします」


 遠くで、従者フローラがカミーユを探す声が聞こえた。

 あとで使いのものを出そう。カミーユはそう考えた。


 こうして、カミーユは深夜、サラの部屋に入った。


 それは、これから長く続くサラとの関係の始まりの夜となった。

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