かんざしの秘密

第8話 かんざしの秘密

 1985(昭和60)年4月16日、昼過ぎの新幹線の車内。

 11号車のグリーン車の海側の中ほどの席に若い男女が並んで座った。金色のモケットと少し明るいカーテンが、幾分リッチな気分を醸し出している。

 彼らは新大阪駅で乗り込んだ。新大阪からは各駅停車の岡山行ひかり号。末端区間の停車駅の多さから一部では「ひだま」、つまり「こだま」のような「ひかり」という趣旨でそのように呼ばれているが、座席の設備は別に変わるわけでもない。

 新大阪駅を定刻で出発して十数分、列車はトンネルを抜け出して山間の隙間のような場所にできた新神戸駅に停車。グリーン車に乗ってくる客はいない。新大阪駅でいくらか残っていた客も、さらに降りていく。ほぼガラガラのこの車内。

 だが、彼らにとってはわけのわからない話を人に聞かれる確率が減る分助かる。


「しかしなんで、あのかんざしにあんな力が宿ったのよ?」


 誰かに聞かれないように、静かに窓側の女性に向かって彼は尋ねる。

「あれね、今日行った梅田の日本座敷わらし協会の会長さんが仕込んでくださったのよ。ビンちゃんと組んで岡山で仕事することになった記念にね。あなたとの思い出はなんといってもこのかんざし。貧乏神の少年が作ってくれたこのかんざしを、私はずっと持っていたわけ。そしたら、元貧乏神の少年が青年になってこちらで貧困対策のコンサルタントするっていうから、いざというときのための力をこのかんざしに注入して、それでビンちゃんを助けろ、って」

「そうかぁ。それはもう、ワラちゃんにも会長さんにも感謝だよ。でもそのかんざしの力、その気になればだけど、自分の都合のいいようにも使えそうじゃね?」

「出来るよ。その気になれば。だけど、そんな私利私欲にむやみに使っていたら、いつかどこかで大きく信用を失うから気をつけろと言われている。例えば掃除のできない若い男の子の部屋に行ってこのひと振りで綺麗にしてあげたとする。しばらくはいいけど、どうせ何カ月もすれば元の木阿弥よ。そのたびに私が行ってかんざし振り回しても、依存心を助長するだけでしょ」

「それもそうだ。横着の助長は考え物だな」


「コーヒーに缶ビール、お弁当にお土産はいかがですか~」

 16号車、つまりこの車両の後ろから車内販売がやってきた。というより、車販基地のあるビュフェへの帰り道ということになるか。車内販売を活用するにはもうここしかないだろう。岡山まであと1時間もない。

「おねえさん、コーヒーふたつお願いします」

 車内販売の女性は紙コップにコーヒーを淹れ、スティックのシュガーと粉ミルクと混ぜる棒の入った袋をそれぞれに渡した。通路側に座る青年がぴったりの額の小銭を出して支払った。かくして、女性は最後に一礼してグリーン車を出て10号車へと向かっていった。


「ワラちゃん、ここでこれと同じコーヒーを出そうと思えば出せるんじゃない?」

「その気になれば。でもそういうのは基本ダメ。それに、関係のない人に見られてごらんよ。ねーちゃんその魔法ええな、ビールくれへん、なんて酔っ払いのおじさんなんかに絡まれていちいち対応していたら、もう無茶苦茶でしょ。万引きしているわけではないけど、タダ飲みを助長なんかしてもダメじゃん」

「そういえばそのこと、会長さんに思いっきりくぎ刺されていたよな」

「くぎはくぎでも、五寸釘ね、あれは(苦笑)」

 列車は山中から出て海の見えるあたりに来た。西明石にも停車するが、ここで乗降する人はこの車両には一人もいない。列車はほどなく、姫路に向けて発車した。


 二人は砂糖とミルクを全部入れ、マイルドな甘めにして飲んでいる。

「普段はブラックで飲むことも多いけど、こういうときくらいはこういう飲み方も悪くないね」

 通路側の男性が、窓側の少し派手目の女性に話しかける。

「そうね。今日は結構疲れたから、余計に身体にしみるわ」

 列車は播州平野を疾走している。ときに在来線や山陽電車と並走する。

「新幹線ができる前は、ここはこの下の在来線だけだったからなぁ。国鉄が新幹線は別線扱しているのも、こうしてみると肌身でわかる」

「多少なりとも実の距離を縮めて速達できるようにってことね。距離が短くなっているから実キロで運賃計算しろって裁判を起こした人もいるらしいわよ」

「その裁判、知っている。1審で認められたろ。さすがに2審以降でこそ棄却されたけど。訴えたおじさんの気持ちも理屈もわかるけど、そんな裁判なんか起こすのもいかがなものか。貧乏神視点からしても、ちょっとなぁ」

「貧乏神としては、そういう人のもとに伺いたい?」

「勘弁だよ。あんな方向に活動的な人は。福の神の視点でも、あんな人は別の意味で嫌かもしれない。座敷わらし視点ではどう?」

「なんかうずうずした感じがするからねぇ。そういう人のところはいたくないわ。今のビンちゃんの視点からみて、そんな裁判起こす人はどう見える?」

「長い目で見て損に振っているとしか思えないね。そりゃあ、一時的にはいくらか運賃を安くできるかもしれない。上手くいけば、歴史に名前が残るチャンスかもよ(苦笑)。だけど長い目で見たら、ちょっとの得を取って大損を引き寄せているように思えてならない。今のぼくの視点では、間違いなく批判対象だね」


 列車は姫路に到着した。彼らは海側の席に陣取っているが、通路の向うの窓のさらなる向こうには、姫路城が見えている。さすがに30分程度のためにグリーン車にわざわざ乗って来る人はいないようだ。ここでも、別の客が一人降りていったため、残るは彼らだけである。姫路を出ると、次は相生に停車する。

 紙コップのコーヒーはすでに飲み終えているが、コップ自体はまだテーブルの上にある。すでに姫路を出て相生に近づいている。食堂車及び車内販売の終了が食堂の従業員より案内放送された。続いて、男性の車掌による相生到着の案内。


「今はちょうど人もいないし、試しにやってみるわね」


 派手目の女性がかんざしを上着のポケットから取り出し、隣のスーツ姿の男性の紙コップに向けてさっと一振りした。先ほど車内販売で買った時と同じ量のコーヒーがそこに現れた。彼女自身の紙コップにも、かんざしを一振り。こちらにも同じようにコーヒーが現れた。しかも、さっきと同じようにミルクと砂糖が入ったものになっている。ポットから出したばかりのコーヒーとまったく変わらない。


「こんな調子で、使えないわけじゃないけど、毎日これで食事を賄ってやろうなんてさもしい真似はやらないことね」

 彼女はそう言って、男性にコーヒーを勧めた。

「じゃあ遠慮なくいただきます。ワラちゃん、ありがとう」

 列車は相生駅をすでに出発してトンネルの中に入っている。もはや車掌も巡回してこない。この車両の中ほどに座っている二人だけである。

 謎の魔法を誰かにみられることはなかった。


 二人がコーヒーを飲み終えた頃には、列車はもう岡山県に入って吉井川を通過していた。程なく新幹線独特のオルゴールが鳴り、終点岡山を告げる車内放送と乗換案内が男性の声で流れている。


 こうして二人は、岡山の地で仕事を始めることになったのである。

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