第6話 元司法試験受験生で今や市議会議員の「ゴミの人」

 信濃社長は郊外のプレハブ小屋の駐車場に車を停めた。たまたま事務所から出てきた中年の男性が信濃氏に気づいた。

「信濃君、どうした?」

「常木さん、リサイクルの原資を持ってきました。結構ありますよ」

「それはありがたいな。出してくれるか」

「はい。懐かしいものも結構あると思いますよ~」

 信濃氏は同乗してきた二人に指示し、三人がかりで紙を全部処分するところへと移動させた。室内だが、結構な量が埋まった。


「どれどれ。お、これは司法試験関連の資料じゃな。これはなんだ、その土田君のところから持ってきたわけか?」

「はい、そうです」

「短答の問題集に論文のこれはなんだ、答練(答案練習会のこと)の資料に、それから何々、一般教養の数学に統計学のノート、なぁ。この冊子はなんだ、地理学のテキストかな。まあ、こういうものは単位さえ取れれば問題ないわ。そうそう、私の早稲田大学の法学部の同期で、東大3回落ちて早稲田に来た人がおってな、その人が今、岡山で弁護士されとる。よかったら紹介したげるよ」

「ありがとうございます。しかし東大3回も落ちて早稲田に行って司法試験に合格されているとは、優秀な方ですね」

「ああ、確かに優秀じゃ。ただ、司法試験に時間がかかったけどな。そこに来て君はもう少しで合格レベルに来とると信濃君から聞いたが、今、何歳かな?」

「今年で25歳になります。さすがにいい加減まっとうな仕事に就けと、親からはやんわり言われていまして」

「その年か、そんなもん何とでもなる。少なくとも今年は、まだ落ちたと決まったわけでもなかろう。早まることもあるまい」

「はい。それで実は、先日信濃さんと佐敷さんにお会いして、いろいろと教えていただいております」

「信濃君らはいったい、こんな優秀な青年に何を教えとるって?」

「片付け、です。片づけて運気を上げるためのコツを、ちょっと、ええ」


 事務所にたまたまいた中年の女性が冷えた麦茶を持ってきた。この事務所はボランティアの力で持っている。その人も常木議員と同じくらいの年齢のようである。今日来ている土田青年の両親よりはいくらか若い程度。もっとも、彼より1期上の受験生である米河清治青年は両親が若い頃の子だとのことだが、その両親とほぼ同学年にあたる世代の人である。しかも常木氏はまだ40代半ばで上り調子にして働き盛りの議員である。この事務所は一見建築現場の事務所のような雰囲気だが、出入りする人はいろいろあり、日々活気にあふれていることが伺える。

 

 彼らはさらに麦茶を飲みながら話を続ける。

「土田君は明石の出身か。明石には私の知り合いの議員さんもおってなぁ。大久保駅前で本屋をされとる。なんかわからんが明石原人の取組をされとる人じゃ」

「あ、その本屋さん、知っていますよ。岩根銀造さんでしょ」

「そうそう。議員になると知名度も上がるが、こうして全国に横のつながりができるわけよ。あんた今、信濃君らに言われて物の片づけをやっとるようだが、モノはともかく、人とのつながりはなぁ、むやみに切ったりするものではないぞ」

 しばらく話しているうちに、土田青年は何かなつかしい感覚を思いだしていた。

「そういえばこの数年来、人と会うことが著しく減っていました。まあこういう勉強をしているからというのもありますけど。司法試験って、世間の動きの逆を求められるような厳しさを持っていますから、どうしても・・・」

「それはわかる。私もそうだった。だからね、自分はこのままではまずいと思って、その頃の私は今の君よりもいくらか年齢も上がっていたから、このままではいかんと思って、学生時代にボランティアで行っていた野党の国会議員の先輩のところに行って、そこで秘書をすることにしたのよ。のっけから言われたわ。いつまでもうちの仕事はないからな、って。自分で議員になって世の中を変えていくくらいにならんといかん、と」

 常木氏は麦茶をすすりつつ、遠くを見るように事務所の向うを見つめる。


「世間の動きの逆を求められる、って、土田君、どういうこと?」

 少しばかり派手目の女性が尋ねる。

「4月の花見の中、最初の短答試験に向けての準備、暑苦しくなる中、夏真っ盛りの中で冷房もない試験会場で論文を3日に分けて12通も書くわけですよ。制限時間付で。夏はある程度休めるとしても、最後は10月に東京で10日にもわたって出向いて面接がてらに法律の対話をさせられて。どこで落ちても、クリスマスや正月なんかあったものではないですよ。一番つらいのは、世の中が花見だ何だで浮かれた時期に、あの5つの選択肢との格闘技。やっていられませんよ」

「でも、そのくらいのことができないと、法律家として人の紛争を解決する能力も根性も養われないよ、ってことじゃない?」

 ソファで囲まれでいる応接の場に、しばしの沈黙が走る。冷房が効いているから暑いことはないが、いささか息苦しささえ漂ってきた。


「私がね、法律家と政治家の一番の違いを痛感したのは、前回選挙に出て感じたこのことに尽きるだろう。法律家になるべく司法試験なんか目指すときは、ひたすら自分の中に向けての戦いだった。さて政治家になるためには、選挙に出ることになる。勢い、自分が発信者となって外に向かって戦っていくことになる。向かう方向がまったく逆方向というわけじゃ。わかるかなぁ」

 常木氏が、その場の重い雰囲気を何とかかき混ぜて緩和しようと試みるかのような話をした。その話にほどなく、信濃氏が加わった。

「わかりますよ。ぼくは仕事柄彼に限らず片付けのコンサルタントというか、手伝いを求められることが本業の経営コンサルタント以外にもありますが、人の片づけを見ていて思うに、まさにその片づけというのは、彼のやってきた司法試験の勉強とよく似ているわけですよ。ならば、とっかかりとしては土田君にとって良かったのかなとも思ったところですよ」


 ここでふと、佐敷さんが隣にいる青年の頭を見た。出会った時のボサボサだった髪は丸刈りになって少し伸びている。無精ひげはさっぱりと剃られている。

「そういえば土田君、あのぼさぼさの髪はいつ切ったの?」

「実は1週間ほど前、米河さんに紹介された電車通りの散髪屋に行って丸刈りにしてもらいました。あの人の形の髪形にしていただきましてね。丸刈りというか坊主刈りではありますが、型が付いていますから、中途半端に伸びて汚らしくなるのを防げるというわけで」

 少し間をおいて、信濃社長が尋ねる。

「なるほど、よくそんな短髪にする気になれたね。まさか君、言わないよな」

「何をですか?」

「自分から丸刈りにする分には、憲法違反の問題は発生しない、とか何とか」

「いやまさにそれですよ。不要な髪もバッサリ切って身体の後片付けですね」

「しかし、髪は伸びてくるぞ。鼻毛ばかりじゃないぜ、伸びてくるのは」

「その時はまた散髪すればいいだけです。何より、毎日髪を整えるようなくだらない時間がすべてコストカットされるって、気分上々です」

「そうかな、それはよかった」

 先ほどまでの重苦しい空気は幾分緩和されたようである。

「メガネも、今日は今までのものですけど、新しいのを1本作りました」

「そういうのも、悪くないだろうな」

 そう答えたのは、元司法試験受験生の市議会議員だった。

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