第5話:Sランク級の「未来予測演算」は、スーパーの半額プリン争奪戦のためにある

17時15分。

駅前のスーパーマーケット『ライフ』。

夕飯時の買い物客でごった返す店内は、独特の熱気に包まれていた。


その片隅にある青果売り場で、天王寺アキラはキャベツの段ボール箱の影に身を潜めていた。


(……見つけた)


彼女の視線の先には、九条ミナトがいる。

彼は腕組みをし、陳列されたキャベツの山を、まるで爆発物の処理班のような鋭い眼差しで凝視していた。


(あの殺気……ただ事じゃないわ。キャベツの中に、違法な取引物でも隠されているの? それとも、敵の暗号コード?)


アキラは固唾を呑む。

一方、九条の脳内シミュレーションは極限に達していた。


『任務:良質なキャベツの確保(オーダー:お好み焼き)』

『予算:生活費財布(猫柄)より拠出』

『野望:プレミアムプリンの確保(俺とヒナの分)』

『自己資金:残り300円(小遣い残金)』

『プリン価格:半額で1個175円×2個=350円』


「……50円の赤字だな」


九条は苦渋の表情を浮かべた。

左手に握りしめた小銭入れには、100円玉が3枚しかない。

ローストビーフ丼の代償は重すぎた。

だが、今日の激務(主にダッシュ)を癒やすには、このプリンがどうしても必要なのだ。


「……背に腹は代えられない。虎の子の『来店ポイント』を吐き出すか」


彼は断腸の思いで、ポイント使用の決意を固めた。


『ピンポンパンポーン♪』


軽快なチャイムと共に、店内放送が流れる。


『お買い物中のお客様にご案内です。これより、日配品コーナーにて、高級生プリンのタイムセールを行います! 限定30個、全品半額となります!』


その瞬間、店内の空気が変わった。

カートを押した主婦(ベテラン勢)たちの目の色が、捕食者のそれに変わる。


「……行くぞ」


九条が懐からラムネを取り出し、ガリリと噛み砕く。

脳へ急速に糖分を送り込み、思考速度を加速させる。


――自己解析セルフ・スキャン

――リミッター解除:脳内麻薬エンドルフィン分泌。筋繊維の断裂警告を無視イグノア


「お邪魔しますよ」


九条が踏み込む。

その動きは、流水のごとく滑らかだった。


右から迫るカートを最小限の動きで躱し、左から伸びるおばちゃんの手を回転スピンでいなす。

物理法則を無視したかのような、完全回避機動。


「なっ……!?」


アキラは目を疑った。

九条は混沌の中心にあるワゴンへ到達すると、残像が見えるほどの速度でプリンを2つ掴み取り、再び人波をすり抜けて戻ってきたのだった。


所要時間、わずか3秒。

主婦たちは、自分たちの間を誰かが通り抜けたことにすら気づいていない。


「……ミッション・コンプリート」


九条は勝利の戦利品(半額プリン)とキャベツをカゴに入れ、満足げに頷いた。

そして、アキラが隠れている柱の陰に向かって、振り返りもせずに声をかけた。


「……で、いつまで隠れてるの? 天王寺さん」


「ひゃっ!?」


アキラは悲鳴を上げ、尻餅をつきそうになった。


「き、気づいていたんですか!?」

「入店した時からね。殺気漏れすぎだよ。……スパイ映画の見過ぎじゃない?」


九条はやっと振り返ると、呆れた顔で近づいてくる。

アキラは顔を真っ赤にして立ち上がった。


「ち、違います! 私は貴方の調査を……って、何なんですかあの動きは! たかがプリンのために、あんなスキルを使うなんて!」

「『たかが』とは失礼な」


九条は真顔で反論した。


「このプリンは定価350円だぞ? それが175円になるんだ。この経済効果インパク値が分からないほど、君は愚かじゃないだろう?」

「一緒にしないでください!全然分かりませんよ!!」

「……はぁ。まあいい、ついてきな」


九条はアキラに背を向け、レジの行列に並んだ。

その背中は、戦場に向かう兵士のように悲壮だった。


「え? 九条さん?」


アキラはおずおずと彼についていく。

レジの順番が来た。九条はカゴを置くと、店員に会員カードを差し出し、今日一番の大声で叫んだ。


「ポイント全額使用で!!」


店内に響き渡る必死な声。

アキラは思わず顔を覆った。

(恥ずかしい……! 一体何の罰ゲームなの……!?)


「――お会計、ポイント充当で0円になります」

「っし……!」


九条は小さくガッツポーズをした。

だがその瞳は、虎の子のポイントを吐き出した悲しみで潤んでいた。


***


会計を終え、サッカー台(袋詰めエリア)。

九条はレジ袋にキャベツを詰めると、プリンのパックを一つ取り出し、アキラの方へ無造作に放り投げた。


「えっ?」


アキラは慌ててキャッチする。

ひんやりとした感触。さっき九条が、ポイントを犠牲にして買った戦利品だ。


「……書類仕事の駄賃だよ。取っとけ」

「い、いいんですか? これ欲しかったんじゃ……」

「いいから。さっきの姿は課長には内緒にしてくれよ? 『そんな元気があるなら残業しろ』って言われるから」


九条は残りの荷物を持ち、出口へと歩き出す。

その背中は、なけなしの財産ポイントと自分用のデザートを犠牲にして部下を労った、哀愁漂う上司のそれだった。


「九条さん……」


アキラは手の中のプリンを見つめた。

ただの半額シール付きのプリン。

けれど、それは確かに、彼なりの不器用な「感謝」の形だった。


「……貴方は、何のために戦っているんですか?」


アキラは思わず、去りゆく背中に問いかけていた。

「世界平和」でも「正義」でもないなら、この男を突き動かすものは何なのか。


九条は自動ドアの手前で足を止め、少し考え、そして恥ずかしそうに頭をかいた。


「別に、大層な理由じゃないよ」


彼はポツリと言った。


「娘がさ、好きなんだよ。このプリン。……あいつと二人で『美味しいね』って言いながら食う。その時間を守るためなら、まあ、世界の一つくらい救ってもいいかなって」


「……」


アキラは言葉を失った。

その横顔があまりに穏やかで、さっき見た「冷酷な処刑人」と同一人物とは信じられなかったからだ。


「さ、帰ろ。ヒナが待ってる」


九条は店を出ていく。

アキラは焦げたような夕焼けの中、いつまでもその背中を見送っていた。


***


18時30分。

都内某所、築30年の公務員宿舎。


「ただいまー」

「おかえりパパ! 遅いよー」


玄関を開けると、エプロン姿の少女が出迎えた。

九条ヒナ(16歳)。

父親似の黒髪に、母親譲りの愛嬌を持った、九条の最愛の娘だ。


「ごめんごめん。ほら、頼まれたキャベツ。今日はお好み焼きだろ?」

「うん! ありがと。……あれ? パパの分のプリンは?」

「あー……売り切れててさ。ヒナの分だけ確保した」

「えー、パパどんくさーい」


ヒナはケラケラと笑いながら、プリンを受け取る。

九条はその笑顔を見て、今日一日の疲れ(主に脚の痛み)が吹き飛ぶのを感じた。


「さ、ご飯にしよ」

「おう」


平和だ。

これこそが、俺が守りたかった日常だ。

A5ランクのローストビーフ代(自腹)で小遣いが消滅したことなど、この幸福の前では些細な問題だ。


俺はリビングのソファに座り、ネクタイを緩めながらテレビをつけた。


『――続いてのニュースです』


キャスターが深刻な顔で原稿を読んでいる。


『ダンジョン資源の枯渇に伴うエネルギー不足の影響で、政府は来月からの電気料金の大幅値上げを決定しました。標準家庭で月額およそ5,000円から1万円の負担増となる見込みで……』


「……うげっ」


俺は嫌な汗をかいた。

値上げ? 1万円?

ただでさえローストビーフ丼のダメージが残っているのに、家計への打撃は必至だ。


「……なぁヒナ。うちの家計、大丈夫か? 冬場は暖房費もかかるし……」


俺は恐る恐る、我が家の財務大臣(娘)の顔色を伺った。

ヒナはさっとスマホを取り出すと、電卓を高速で叩き、憐れむような瞳で俺を見た。


「うん、試算出たよパパ」

「お、おう。どうだ? 食費を切り詰めるか?」

「ううん。食費は削れないから……パパのお小遣いで調整するね」


「……は?」


俺の思考が停止した。

調整? 俺の小遣いは月3万円だ。そこから負担増の1万円を引く?


「ちょ、ちょっと待ってくれヒナさん? つまりパパの手取りは……」

「2万円だね。ドンマイ」


「ふ……ふざけるな……ッ!!」


俺は絶叫した。

2万円? 高校生のバイト代以下だぞ!?


「俺の聖域こづかいを脅かす奴は……魔王だろうが許さん!!」


俺の殺気に、リビングの電球がチカチカと明滅する。

ヒナは「またパパが大げさなこと言ってる」と呆れてキッチンへ戻っていったが、俺はソファの上で、まだ見ぬ「値上げの原因」を呪い続けた。


平和な日常は、唐突に終わりを告げた。

次に戦うべき敵は、俺の「財布」を狙う、見えざる強敵だった。



――――――――――――――――――――

【あとがき】 プリンのために時空を超える男。 ヒナちゃんとのほっこり回でしたが、ラストで絶望的なニュースが……。

電気代2倍。これは戦争です。 次回、九条が「国家規模の敵」に対して、本気の殺意を向けます。 (ブクマ・評価、励みになります!ぜひお願いします!)

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