戦乱の世、下ります~戦いに疲れたので、空の上で安穏生活送ります~

川崎俊介

第1話 剣聖のお出迎え

 東方の和国を飛び立ってから、二週間が経った。


 俺ことクロードは、【蔵造り】と呼ばれるクラフトスキルの使い手だ。戦乱の世に飽き飽きし、スキルで飛空艇を造って空へと旅立った。


 地上のいざこざに巻き込まれず、ひたすら安穏生活を送る。それこそが憧れた理想の生活だったのだが、二週間もすると飽きてきた。


 航路を決めてこの星を自動で周回するようにしたはいいものの、だんだんと景色も見慣れてきてしまった。


「ハァ、贅沢は言えないけど、さすがに孤独だとつまらないなぁ」


 などと呟いていると、轟音が響き渡った。


「これは……船体に何かぶつかったみたいだな」


 鳥かワイバーンにでも激突したのか?


 急いで甲板に出ると、黒焦げの女戦士が転がっていた。それにしても酷い火傷だ。魔力耐性のある鎧を着ているおかげで一命は取り留めているが、予断を許さない状態だ。


「その装束、その声……【死刻の蔵人】か。くっ、殺せ。私の運命もここまでだ」


 俺のことを知っているのか。無駄に戦場で名を上げるんじゃなかったな。


「なーんか勘違いしてるみたいだけど、俺はもう戦いからは下りたんだよね。あんたを殺しはしないよ、剣聖様」


 黒焦げとはいえ、じっくり見たら分かった。


 オレイン皇国の最終兵器と名高い、剣聖エレノア・アイレスフォード。数多の戦場で武勲を上げてきた彼女がこの有様とは、相当な集中攻撃でも受けたのだろう。


「だが……これだけの傷を負ってしまった。私はもう助からない」


「そういうのいいから」


 俺はポーションを貯めておいた小さめの【蔵】を召喚し、中身をドボドボと振りかけた。みるみるうちに傷は回復していく。自分用にたくさん備蓄しておいたのが功を奏したな。


「な、何が狙いだ……! 私を何に利用するつもりだ? これ以上の屈辱を受けるなら、私は舌を噛んで……」


「うるさいな。ほら、入ってろ」


 俺はエレノアを担いで船内に運び込んだ。次いで、俺が指を弾くと、部屋に方形の物体が現れた。分厚い布が掛かった、低い机。東方に伝わる暖房器具、『コタツ』である。


「なんだ、この怪しい祭壇は……。私を供物にする気か……?」


「いいから。炎魔法喰ったみたいだけど、今は真冬だ。寒いだろ?」


 俺に背中を押され、エレノアはおっかなびっくり、その布の中へと足を滑り込ませた。


 瞬間。


「――っ!?」


 エレノアの全身に、衝撃が走った。


 熱だ。だが、戦場で浴びた業火のような暴力的な熱ではない。母親の胎内にいるような、あるいは春の日差しに包まれているような、優しく、甘美で、抗いがたい熱源が、冷え切った爪先から脊髄を駆け上がってくる。


「あ……ぅ……」


 カラン、と手から剣が滑り落ちた。張り詰めていた武人の糸が、プツリと切れる音がした。


「どう? 東方の魔導具の威力は」


「……危険、だ。これは、人の意思を奪う……禁忌の、魔導具……」


 エレノアは抗うように呟くが、その体はスライムのように机へと吸い込まれ、肩まで布団に埋もれていく。その表情は、歴戦の剣聖のものではなく、日向ぼっこをする猫のように弛緩しきっていた。


「ここから……出られん。いや、出たくない……」


「そう。しばらく寝てなよ」


「……かたじけない」


「にしても、地上ではまだこんな規模の戦争が続いているのか」


 すぅすぅと寝息を立てるエレノアを前に、俺は呆れざるを得なかった。


 翌朝。


「お世話になりました。私は戦場に戻ります。皇帝陛下をお守りし、皇国の民草を救わねばなりません」


「いいけどさ。あんな戦場に、本当に戻る価値あるの?」


「あるに決まってます!」


 俺が疑義を挟むと、エレノアは毅然とそう返した。


「初代剣聖オルド様から受け継いだ私の剣技は、悪を滅し正義を為すためのもの! 私が戻らなければより多くの犠牲が出ます!」


「そういうのいいから。大義や御託を聞くの、うんざりなんだよね。エレノアはどうしたいの? コタツに延々と入ってのんびりしたいんじゃないの?」


「うぐっ、それはそうですが、私の使命は……」


「使命なんて他人の勝手な期待でしょ。エレノア、弱いんだからさ。あんまり気を張って無理をするもんじゃないよ?」


「私が……弱い?」


 エレノアはわなわなと震え、目に涙を浮かべた。


「七代目剣聖のこの私が、弱いと? なぜそんなことを! 命の恩人とはいえ、武人としての誇りを侮辱することは許せません!」


「だってエレノアの目、迷いしかないじゃん。俺が戦場で出会った剣豪たちは、もっと澄んだ瞳をしていたよ?」


「そんな……私はこれまでの人生、何もかも剣に捧げてきたというのに……!」


「そういうとこだよ? 全てを犠牲にしてなお、まだ平和への憧れを捨てきれていない。迷いがある証拠だ。今の君じゃ、俺すらも倒せないだろうね」


「くっ、うぐう……だって……もう嫌なんです……血の匂いも、人肉が焼ける音も! 人を斬るのも、殺し合うのも! 私はただ、剣技を極めたかっただけなのに!」


「ほら、やっぱり嫌なんじゃん。だったら俺と空に逃げよう。空にはしがらみがない。地上と違って自由だ」


 俺は頭上に広がる青空を指差した。


「もう、戦乱の世は下りよう」


 俺の誘いに、エレノアはただ首を振って頷いた。


 こうして。出航から二週間にして剣聖が同行者となった。空飛ぶ要塞に、最初の居候が増えたわけである。

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