宮廷錬金術師の大罪録 〜スラム街に訪れた美少女の依頼で公爵夫人を「修理」した結果、陰謀に巻き込まれて国家反逆の大罪人になってしまう話〜

いぬがみとうま

第1話:スラム街の修理屋と銀の公爵令嬢(1/3)

 ガン、ガン、ガン、と頭蓋骨の裏側で小人がハンマーを振るっている。

 安酒の代償というのは、いつだって高利貸しの利息よりタチが悪い。


「……あー、クソ。油の匂いがしねぇと吐きそうだ」


 俺、クロノ・ギアハルトくろのぎあはるとは、煎じ薬のように苦いコーヒーを喉に流し込みながら、愛用の作業机に突っ伏していた。

 視界の端で、蒸気配管から漏れた白い煙が揺れている。

 ここは王都ネストリアの下層、スラム街の一角にある「クロノ修理工房」。

 表向きは古時計の修理屋だが、実際は金さえ払えばドブ浚いから魔導具の違法改造まで何でも請け負う、いわゆる「よろず屋」だ。もっとも、俺の本職はあくまで「修理」だがな。


 カラン、カラン、と入り口のドアベルが鳴った。

 錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、スラムの淀んだ空気とは異質の、清涼な風が吹き込んでくる。


「……ここが、『クロノ修理工房』であっていますか?」


 鈴を転がすような声。

 重いまぶたをこじ開け、片目だけで入り口を見る。

 そこに立っていたのは、場違いにも程がある「お嬢様」だった。


 豪奢な銀糸の刺繍が入ったドレス。手入れの行き届いた金髪は、左右できっちりと結い上げられたツインテール。意志の強そうな金色の瞳。

 年齢は十六、七といったところか。

 肌は陶器のように白く、顔立ちは整っている。将来はさぞかし美人になるだろうという、確約された未来図が見える。


 だが、俺の心拍数は一拍たりとも上がらなかった。


「……ガキかよ」

「なっ……!?」


 俺は露骨に溜息をつき、再び机に突っ伏した。

 やれやれ。部品《パーツ》が足りてねぇな。

 若さ? ハリ? そんなものはただの「素材」だ。


 長い年月をかけ、酸いも甘いも噛み分け、人生という名の研磨剤で磨き上げられた「熟女」という完成品に比べれば、目の前の少女など出荷前の試作品に過ぎない。

 俺はお子様ランチには興味がないんだよ。


「失礼な! 私はシルヴィア・ローゼンバーグ。公爵家の娘ですわ!」

「へいへい、そいつはご立派。で、その公爵令嬢サマが、こんな掃き溜めに何の用だ? ママのおっぱいが恋しくて道に迷ったか?」

「あ、貴方ね……ッ! ううっ、もういいです! 噂を聞いて来てみれば、こんな飲んだくれが『神の手』を持つ錬金術師だなんて……!」


 シルヴィアと名乗った少女は、悔しそうに唇を噛み締め、踵を返そうとする。

 だが、その手には固く握りしめられた封筒があった。震える指先。潤んだ瞳。

 ……チッ。これだから「修理屋」の眼ってやつは嫌になる。

 一瞬見ただけで、その震えが恐怖ではなく、切迫した焦燥から来るものだと理解《わか》っちまう。


「……おい、待てよ熟女の試作品」

「誰が熟女の試作品ですか!」

「その封筒。……何かの『診断書』か?」


 シルヴィアの肩がびくりと跳ねた。

 彼女はおずおずと振り返り、俺を睨みつける。


「……わかるのですか?」

「俺は壊れたものを見るのが仕事だ。人間だろうが機械だろうが、壊れかけのヤツは同じ音を立てる。……座りな。茶くらいは出してやる」


 俺は作業用の丸椅子を足で蹴り出した。

 シルヴィアは少し躊躇った後、意を決したように座り、封筒を机の上に置いた。


「……母を、助けていただきたいのです」

「医者に行け。ここは修理屋だ」

「王宮医師も、教会の高僧も、誰も治せなかったんです! 『原因不明の呪い』だと言われて……」


 少女の声が悲痛な響きを帯びる。

 王宮医師や教会がお手上げ? 

 やれやれ、典型的な「タライ回し案件」ってわけだ。権威ある連中は、自分たちの教科書に載っていない故障を見るとすぐに「呪い」だの「祟り」だのと言い訳をして匙を投げる。


「母は……エレオノーラは、今はもう言葉も話せず、ただ眠り続けています。身体が少しずつ、冷たい石のように硬くなって……」


 石化、か。あるいは金属化現象か。

 錬金術的な干渉による構造変異の可能性が高いな。

 だが、俺は首を振った。


「悪いが断る。俺は今、猛烈に二日酔いなんだ。それに、貴族の揉め事に関わるとロクなことがねぇ。帰りな」

「お金なら払います! いくらでも!」

「金の問題じゃねぇ。俺のポリシーの問題だ。俺が直すのは『愛せるもの』だけだ。ガキの依頼で、見ず知らずの貴族を直す義理はねぇ」


 冷たく言い放つ。

 実際、公爵家なんて面倒の塊だ。関われば命がいくつあっても足りない。

 シルヴィアは絶望に顔を歪めた。ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「お父様が亡くなり……お母様は、私にとってたった一人の家族なんです。お願いです、クロノさん……一度だけでいいから、母を見てください……!」


 彼女は懐から一枚の写真を取り出し、俺の目の前に突き出した。

 俺は面倒くさそうに、片目を開けてその写真を見る。


 ――その瞬間。


 俺の脳内で、ビッグバンが起きた。


「…………ッ!!!」


 ガタッ、と椅子を蹴倒して立ち上がる。

 俺はひったくるように写真を手に取り、モノクル片眼鏡を装着して凝視した。


 そこに写っていたのは、この世の奇跡だった。

 シルヴィアによく似た面立ちだが、その深みは段違いだ。

 憂いを帯びた垂れ気味の瞳。人生の悲哀と慈愛を同時に湛えた微笑み。

 豊かな胸元は母性の象徴であり、歳月が生み出した柔らかな曲線は、黄金比すら凌駕する神の造形。

 未亡人特有の、どこか儚げで、芯の強さを感じさせる佇まい。


 完成されている。

 どこも直す必要がないほどに、その存在自体が芸術品だ。


「……美しい」


 俺の口から、溜息のような言葉が漏れた。

 二日酔いの頭痛が消え去り、代わりに血液が沸騰するような熱が全身を駆け巡る。IQが急激に低下していくのがわかる。だが、それでいい。この感動の前では知性など邪魔なだけだ。


「え……?」

 シルヴィアが呆気にとられている。


 俺は写真の中の女神――エレオノーラを見つめ、震える声で告げた。


「この瞳……まるで深海に沈んだ宝石のようだ。過去の悲しみをすべて飲み込み、それでもなお光を失わない高潔さ。そしてこのデコルテのライン……素晴らしい。これはただの肉体じゃない、歴史だ。一人の女性が歩んできた、尊い時間の結晶だ」


「あ、あの、クロノさん?」


「決めた」


 俺はバッと顔を上げ、シルヴィアの肩をガシッと掴んだ。

 酒臭い息がかからないよう、紳士的な距離を保ちつつ、真剣な眼差しで宣言する。


「お嬢ちゃん。いや、義理の娘よ」

「は?」

「お母上の病、このクロノ・ギアハルトが引き受けた」

「えっ、本当ですか!? でも、さっきポリシーがどうとか……」


「ポリシー? ああ、言ったな。俺は『愛せるもの』しか直さない」


 俺は写真を胸ポケット――心臓に一番近い場所――に丁寧にしまい込み、ニヒルな笑みを浮かべた。


「あの人は、俺の義妻ぎさいになる人だ」


「……ギサイ?」

「法的には他人の妻かもしれない。だが、魂のレベルでは俺の妻であるという、宇宙の真理だ」

「……警察隊を呼んでいいですか?」


 シルヴィアがドン引きしている。だが、そんなことは些細な問題だ。

 俺の女神が苦しんでいる。ならば、世界を敵に回してでも修理に行く。それが職人の流儀だ。


 その時。


 ドォォォォンッ!!


 工房のドアが、爆発音と共に吹き飛んだ。

 土煙が舞い上がり、複数の男たちが土足で踏み込んでくる。

 手には鉄パイプや魔導銃。スラムを根城にする高利貸しの用心棒たちだ。


「おいコラァ、クロノォ! 利息の支払日が過ぎてんだよオラァ!」

「逃げられると思ってんじゃねぇぞ、このポンコツ修理屋が!」


 男たちが怒号を上げ、店内にあるガラクタを蹴散らす。

 シルヴィアが「ひっ」と短く悲鳴を上げ、俺の背中に隠れた。


「……あーあ。せっかくの商談中だってのに、無粋な連中だ」


 俺は溜息をつき、足元に転がっていた真鍮製の歯車を拾い上げた。

 男の一人、リーダー格の大男が、俺の胸ぐらを掴み上げようと手を伸ばしてくる。


「聞いてんのかコラ! 金がねぇなら、そこの上玉のお嬢ちゃんを置いていけ! 高く売れそうだなぁ!?」


 ――ピクリ、と俺の眉が動く。

 その汚い手が、俺の胸ポケットに触れそうになったからだ。

 そこには、俺の義妻(の写真)が入っている。


「……おい」

「あぁ!?」

「俺の義妻に指一本でも触れてみろ。テメェの腕、関節の順番を逆にして組み直してやるぞ」


「はぁ? ギサイ? 何言ってやが……」


 俺は指先でコインを弾くように、手にした歯車を弾いた。


 キィィィィィィィンッ!


 空気を切り裂く高周波音。

 指先から放たれた歯車は、銃弾をも凌ぐ速度で大男のベルトのバックルに直撃した。

 パァンッ! バックルの留め具が「分解」され、大男のズボンがズルリとずり落ちる。


「うおっ!?」

「隙だらけだ。構造的欠陥だな」


 俺は流れるような動作で懐に飛び込んだ。

 殴るのではない。

 俺の指先が、男の持っていた魔導銃のスライド部分を撫でる。

 スキル【因果修復クロック・バック】――限定発動。


 カシャ、バララララッ!


 男が引き金を引こうとした瞬間、魔導銃が数百のパーツに分解され、その場に散らばった。

 ネジ一本、バネ一つに至るまで、完全にバラバラだ。


「な、何だ!? 銃が勝手に……!」

「整備不良だ。グリスが切れてたぞ」


 狼狽える男たちの間を、俺はすり抜ける。

 振るわれる鉄パイプ。

 その軌道を見切り、パイプの継ぎ目を指で弾く。

 パキンッ、と音がして、鉄パイプが真っ二つに折れる。


「重心がズレてる。そんな棒切れじゃ、釘一本打てやしねぇよ」


 次々と武器を「修理(分解)」され、パンツ一丁で立ち尽くすゴロツキたち。

 俺は最後に、リーダー格の男のデコピンを一発かました。


「次に来る時は、予約を入れてからにしな。……行くぞ、娘」

「えっ、あ、はい!」


 俺は呆然とするシルヴィアの手を引き、工房の裏口へと走った。

 本来ならじっくり説教(物理的な矯正)をしてやるところだが、今は一刻を争う。


「ちょ、ちょっとクロノさん! 今の、魔法ですか!?」

「いいや、ただのメンテナンスだ」

「メンテナンスであんなことになりますか!?」


 背後で男たちの罵声が聞こえるが、俺たちは路地裏の雑踏へと消えていく。

 目指すは上層区画、ローゼンバーグ公爵邸。


「急ぐぞ。熟女の危機は、世界の危機より重いんだ」

「……お母様、変な人を連れて行ってごめんなさい……」


 シルヴィアの呟きは、スラムの喧騒にかき消された。

 待っていてくれ、義妻、エレオノーラさん。

 あんたの壊れた運命、この俺が新品同様に直してやるからな。



――

長編です。是非フォローを!

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