第3話 善悪の終わりを願った沈下
闇は叩きつけなかった。
闇は――受け入れた。
まるで落ちたのではなく、
底の見えない、濃い水の中へ
静かに沈み込んだかのように。
水しぶきもなく。
痛みもなく。
ただ、鈍く粘つく音だけが――
ぼとり。
身体は消えた。
音も消えた。
恐怖でさえ、溶けていった。
残ったのは、
ただゆっくりとした沈下。
そして、その闇の中に
映像が浮かび始めた。
順序もなく。
破れたフィルムのように。
孤児院。
冷たいシーツ。
稲妻のような天井のひび割れ。
見知らぬ手――
最初は撫で、
やがて突き放す。
「君は強い、アルス。きっとやれる」
初めての仕事。
初めての疲労。
「善意」で差し出した最初の金。
――そして、受け取った者たちは
さらに奪っていった。
善を隠れ蓑にして
私腹を肥やす人間たち。
悪を行うのは
ただ、できるからという理由だけの人間たち。
そのたびに――
彼はいつも、その狭間にいた。
壊すには優しすぎ、
守るには壊れすぎていた。
「……どこも同じだ」
「善も、悪も――
結局は、人を壊す」
「やり方が違うだけで……」
闇は、黒い水のように
ゆらゆらと揺れ始める。
そして浮かび上がった最後の想いは、
痛みでも、怒りでもなかった。
それは――願いだった。
「もし、生まれ変われるなら……」
「もう誰にも、
善も悪も、押し付けられませんように」
「どうか――
この世界から、
その二つが消えますように」
その瞬間、
完全な闇の中に
たった一滴の光が現れた。
透明で。
遅く。
まるでスローモーションのように。
カメラは、その雫を追う。
下の闇は、水面のように
静かに、滑らかに広がっている。
雫が触れた。
細い波紋がひとつ。
ふたつ。
みっつ。
波は無限へと広がっていく。
闇が――
ひび割れた。
その亀裂から光が溢れ出す。
最初は糸のように。
やがて帯のように。
そして――洪水のように。
次の刹那、
すべては
眩い白に飲み込まれた。
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