尋常エッセイ集
北のいわし
宇宙意志(Ver.1.3:2025.12.10)
(注:これは、哲学者デカルトの命題「我思う、ゆえに我あり」に始まり、心理学者ユングの「集団的無意識」、哲学者西田幾多郎の「純粋経験」を組み合わせて独自に発展させた理論として立証されている。なお、これらの思想を読む前から、すでに自ら以下のように独自展開している)
地球上に存在する「生物」のみならず「無機物」にも「意志」があり、その寿命をまっとうしたとき(幸いに人間にも他の動植物と同様に”死”が”与え”られている)に肉体から”解放”されて天に昇り、大いなる「宇宙意志」に取り込まれる。
これは「終わりの始まり」とも言える。
そこには「個」という存在おろか「個」の存在理由もない。
その「宇宙意志」こそが、多くの宗教に共通している”神的存在”と言えるであろう。
そしてその「宇宙意志」から「素粒子」という形(天使=天からの使い)によって「直感」や「啓示」が降り注がれ続けている。
その「素粒子」を掴み取るために「ファーストミット」のようなグローブが必要になる。
さらに多くの「素粒子」から、その瞬間限定やその瞬間にこそ必要なものだけを選び取るには、言葉遊びではないが「ファストミット」が必要なのであろう。
例えば「生まれ変わり」そして「輪廻転生」というものがあるのならば、それは「素粒子の再集合体」なのかもしれない。
見えるものとして地球上に現存している「生物」や「無機物」と同じように。
これを「宇宙」に置き換えたなら、「ブラックホールの入り口=前の宇宙の終わり」ならば「ブラックホールの出口=次の宇宙の始まり」であり、それが「新たなビッグバン」になるのかもしれない。
それらすべては「仮の姿」ではなく、「宇宙意志」からの「借りの姿」と言えるであろう。
そのため「実存」とは「意志」を示し、「存在」とは「借りの姿」を示す。
しかしながらその「宇宙意志」を持った「宇宙そのもの」も、さらなる大いなる存在の中の「肥満し続ける細胞のひとつ」なのである。
運命とは多くの同時並行的に存在する偶然的な宿命の中から、自らが選んだ必然なのである。
それゆえに「哲学的」にも「宗教学」的にも「物理学」的にも「天文学」的にも「無限」と「絶対無」の存在が証明される。
『そして「意志」とは「愛」なのである』
By 北のいわし
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