第9話 名も無いポニーテールの女

 板張りの広い道場に、ひゅっ、ひゅっ、と日本刀が空気を切る音が続いている。ぽたりと一雫の汗を床に落とし、コウカは日本刀をぱちりと鞘に収めた。いつも通りに、初伝の十二本、中伝の十本、居業の六本、立業の五本、合計三十三本の居合の稽古を終え、コウカは棒人間型のロボットに日本刀を預けようとした。

 棒人間型のロボットが軽く俯き、うやうやしく両手を差し出している。その礼儀にかなった姿に、刀を渡しかけたコウカはふと手を止めた。薬のカプセルに似た形状のロボットの頭部をじっと見つめ、それからコウカはこれまで一度もしたことのない質問をした。

「あんたに何か頼むとさ、それを実行するのは、別のロボットだったりするよね。あれは、どうしてだい」

「現在位置を確認し、処理効率が最も高い個体へ、命令を転送するからです」

それがせっかちなコウカを怒らせないためだ、とロボットは言わなかった。だが、実質的には同じことだった。

「それって、それぞれがどこにいるのか、お互いに分かってるってことかい」

「各個体の現在位置は、常に共有しています」

「どんなに距離が離れててもそうなのかい」

「基本的に、対処方法は変わりません」

それはつまり、月の砂に落書きしろ、と地球にいるロボットに命令すれば、月にいるロボットが落書きをするということだった。

「じゃあ、あたしの写真を撮れって、どこか離れた場所で別のロボットに命令したら、あんたがあたしの写真を撮るってことかい」

「命令者は、コウカさんでしょうか」

「違うよ、あたし以外の誰かさ」

「その場合は、個人情報の保護が優先されますので、命令は実行されません」

「なるほどねぇ……」

そこまで話して、コウカはふとある事に気づき、

「お互いの位置が、分からなくなることはないのかい」

と、それまでとは異なる内容の質問をした。

「通信装置が故障した場合、その個体は所在不明となる可能性があります」

「行方が分からなくなったら、もう探せないのかい」

「その個体が、自力で修理が可能な場所に帰還するまで、所在不明扱いとなります」

それはつまり、複数体のロボットで構築される監視網に引っかからない限り、行方不明となった個体は発見できないという事だった。

「すぐ近くにいても、例えば同じ部屋の中にいても、姿が見えなければそうなるのかい」

「半径十メートル以内の近距離であれば、別の通信方法での所在確認が可能です」

それまでと変わらぬ淡々としたロボットの答に、

「それだっ」

と、コウカは鋭く喰いつくような声を出した。

「その別の通信方法ってやつを使ってさ、近くにロボットが来たらそれを知らせるような、そんな道具はないのかい」

新たに見つけた可能性に興奮し、コウカの口調は自然と速くなっていく。

「現在、そのような道具は存在しません。新たに作製することは可能ですが、それなりの時間が必要です」

「最短最速で、何時間ぐらいだい」

その質問に楯突くかのように、棒人間型のロボットは数分間も沈黙した。

「十日で、用意できます」

ようやくロボットが出した回答に、コウカは眉を顰め、それから諦めたように口を開いた。

「分かった。じゃあ、それを百個用意しておくれ。ただし、持ち運びが簡単なように、できるだけ小さく作るんだよ」

そう命令するとコウカは、さっきからずっと差し出されたままのロボットの手に、鞘に収めた日本刀を預けた。


 星月夜の舗装路で、ポニーテールにした長い髪を風になびかせ、若い女が単気筒のオフロードバイクを走らせていた。前照灯から放たれたまばゆい光に、荒れたアスファルトが照らし出され、ゆったりと後方へ流れ去っていく。この辺りは腐葉土に埋もれていなかったが、それでも道路の陥没を警戒して、それほど速度は上げていない。とことことことこ、と軽いエンジン音を闇に響かせ、若い女は人気のない道路をのんびりと進んでいる。

「どこかにロボットがいないかなぁ……」

燃料はまだ十分にあったが、今晩の寝床と食事を確保するには、棒人間型のロボットの発見が必須だった。期待を込めた視線を、若い女は周囲に巡らせてみたが、それらしい明かりはどこにも見えなかった。

 どおおおぉんっと大きな音がして、一発の花火が打ち上げられた。夜空に大きな光の花が開き、白い吊り橋のシルエットが浮かび上がった。

「この近くで上げてるんだ」

夜空に流れる光の粒を見上げ、ポニーテールの女は嬉しそうに口元を緩めた。

 夜空から、花火の余韻が消え去ると、

「どうして、いつも一発だけなのかなぁ」

と、若い女はふと感じた疑問を口にした。とたんに持ち前の好奇心が膨らみ、

「聞いてみよう」

と、若い女はアクセルを大きく開けた。花火を打ち上げているのなら、そこには必ず棒人間型のロボットがいる。なぜ一発だけなのか。そうロボットに尋ねれば、答えはすぐに返ってくるはずだった

 花火が上がった方角は、ちょうど単車の進行方向と同じだった。いつしか堤防沿いになった道路を軽快に進み、暗闇に聳える白い吊り橋の下を潜ると、鉄道の高架が左側から迫り出してきた。堤防と高架に挟まれた道路を、若い女はさらに走り続けた。やがて高架と道路が左に大きくカーブし、汚れた高い堤防から離れた。

「ここかな……」

その呟きに根拠はなかったが、ここまでにロボットがいそうな建物は一つも無かった。若い女はアクセルを緩め、水族館の駐車場へと単車を乗り入れた。

 前照灯ヘッドランプの光に、白い自転車が浮かび上がった。その荷台には、棒人間型のロボットの腕が括りつけられ、七つの手が下向きにへろりと垂れている。

「なにこれ、気持ち悪い……」

その感想を反映して、若い女は自転車の横を素通りし、そこからできるだけ距離をとって階段の下に単車を停めた。

 燃料タンクに取り付けた鞄から、若い女は懐中電灯を取り出し、明るさを確かめて単車を降りた。周囲にぐるりと光を巡らせてみたが、一階部分に入り口らしきものはなかった。

「この上から中に入るのかなぁ……」

そう呟くと若い女は、建物の中ほどへと続く階段に足をかけた。

 足元に薄く積もった砂で滑らないように注意しながら、かなり長い階段を登り切ると、左手に設置された自動ドアが半開きになっていた。

「こんばんは、誰かいますかぁ」

返事がないのを気にする風もなく、若い女は水族館の中に入り込み、入り口の正面に設置された、メガロドンの顎歯の復元模型に懐中電灯の光を当てた。

「なにこれ、サメの歯みたいだけど、すっごく大きいじゃない」

感心しながら若い女は、展示の説明文に懐中電灯を向け、さらに目を輝かせた。

『メガロドンは、ネズミザメ目オトドゥス科オトドゥス属に分類される絶滅種のサメである。前期中新世から鮮新世中期(約二千三百万年前から三百六十万年前)にかけて生息した、海洋生態系における史上最大級の頂点捕食者であった。レモンザメに近い細っそりとした体型の可能性が高く、最大長は二十四メートルに達したと推定される(サメは軟骨魚類である為、化石には歯しか残されておらず、生体復元図や体長については意見が分かれる)』

およそ子供向けとは思えない長い説明文を、ポニーテールの若い女は丁寧に読み、

「他にも何か展示されてるのかなあ」

と、さらに好奇心を高まらせた。そうして、当初の目的などすっかり忘れて、水族館の奥に向かって歩を進めていく。

 夜の大水槽は真っ暗で、フロアも同じように真っ暗だった。アクリルガラスに懐中電灯を向けても、反射した光に邪魔されて、魚が泳いでいるのかどうさえ分からない。

「こんな小さな光じゃ、ちゃんと見えないよね」

大水槽の中を何とか見たくて、若い女は水槽の周囲に懐中電灯の光を走らせてみた。すると、少し離れたところに、馴染み深い特徴的な人影がちらりと浮かび上がった。

「ねぇ、君。ここの照明は点かないのかな」

その人影に懐中電灯の光を戻し、若い女は大きな声で尋ねてみた。だが人影は返事をせず、ぴくりとも動かなかった。

「なんだ、壊れてるのか」

そう呟くと、ふいにこの水族館全体が忌むべき廃墟のような、酷く寒々しい場所に感じられた。

「食事もできそうにないし…… よし、他の場所を探そう」

ポニーテールの若い女はわざと声に出し、踵を返して大水槽の前を離れると、そのまま水族館の外に停めた単車のところへと戻った。


 コウカは有人型ドローンを駆り、高度五十メートルほどの低空を、海岸線沿いに西向きに飛行していた。眼下には、東西に伸びる線路跡の高架が見えている。

「さて、この辺りかね」

そう呟くと、コウカは有人型ドローンを降下させた。

 深い草に埋もれた線路に、コウカはドローンを着陸させ、自らも線路上にひらりと飛び降りた。そのままドローンの後方に回り込み、シートの後ろに取り付けられたプラスチック製の箱から、直径が八センチほどの球体を取り出した。球体の下部には三本の突起があり、地面に置いた時に転がらないように工夫されている。

「できるだけ小さく作れって言ったのに」

球体はロボットの接近を検出する装置だったが、製作期間を短縮するために、棒人間型ロボットの球体関節を流用していた。それを知らないコウカは、ぶつくさとぼやきながら、三本足の球体を枕木の上に置いた。

 検出装置を設置するのは、これで八十七箇所目だった。これまでコウカが設置場所に選んだのは、棒人間型のロボットがいる施設の周辺と、そこへの徒歩移動が可能だと思われる経路だった。棒人間型のロボットの居場所は、ロボットに尋ねればすぐに詳細な位置が分かったが、経路についてはコウカ自身が実地に調査するしかなかった。もちろんカタバミのアーケード商店街の周辺にも装置を仕掛けたが、マナの農場が対象外となっているのは、そこで働くロボットの通信装置が故障しているからだった。

 そうした場所への設置は完了していたが、何日経っても満足な結果は得られなかった。部屋で待つことに耐えられず、コウカは設置場所の上空を有人型ドローンで何度も飛行し、この線路跡の高架も徒歩移動が可能だと気づいた。それからコウカは、線路の東側の終点から西へ向けて、ずっと検出装置の設置作業を続けている。

「こんな物を作るのに、十日もかかったなんてね」

ロボットが製作に費やした労力を知る由もなく、コウカは装置の設置作業をしながら、悪態を吐くのが半ば習慣化していた。

「運べる数が少ないから、何回取りに戻ったと思ってるんだい」

操縦席に軽やかに乗り込み、シートベルトを装着するのももどかしく、コウカは有人型ドローンを垂直に離陸させた。

「しかも、百個じゃ足りないなんてね、まったくどうなってるんだい」

次の設置場所へ向けて水平飛行しながら、棒人間型のロボットには責任のないことまで、コウカはこき下ろし始めた。

 茜色に染まりゆく空に、たらたらたらたらと不満を垂れ流し、有人型ドローンが線路の上空を西向きに飛行していく。よろしくない言葉ばかり紡ぎ出していた口が、ふと噤まれ、その分だけ夕日の色が濃くなった。

「あれは…… 自転車かい」

そう呟いたコウカの視線の先には、水族館の駐車場が広がり、その入り口近くに一台の自転車が放置されている。その白い塗装は、夕陽に映えてオレンジ色っぽく見えた。

「なんで自転車が、こんなところに停まってるんだい」

コウカは有人型ドローンを旋回させ、水族館の駐車場へと降下していった。

 四基のローターの風が、駐車場に積もった砂を吹き払っていく。それでも、水族館を訪れたポニーテールの若い女とアガタの足跡は浮かび上がらなかった。

「ここに、ロボットはいないはずだけど……」

棒人間型のロボットが提供してくれた情報には、この水族館は含まれていなかった。ここを初めて訪れるコウカは、荒れ果てた駐車場を見渡し、それから有人型ドローンから降りた。

 白い自転車に近づくと、棒人間型のロボットの腕が七本、荷台に括りつけられていた。

「なんだい、これ」

呆れながら自転車を観察すると、チェーンはまだ錆びついていないが、白い車体のあちこちに砂が溜まっている。荷台に積まれたロボットの腕も同様で、この自転車がここに放置されたのは、昨日や今日のことではないようだった。それでも、

「ここにも仕掛けておくかね」

と呟き、コウカは有人型ドローンのところに戻ると、プラスチック製の箱から検出装置を取り出した。なんとなく下したその判断は、コウカの努力が引き寄せた幸運だった。

「アガタ、あんたどこに行っちまったんだい……」

水族館の汚れた壁を見上げ、コウカは苦しい胸の内をほろりと漏らした。その想いを吹っ切るように、コウカは検出装置の設置を手早く済ませると、再び有人型ドローンを離陸させ、進路を西向きに取った。

 夕焼け空を背景に、巨大な吊り橋が聳えていた。地上からアンカレイジの上を通り、高さ百メートルの橋上へと続く道路が、有人型ドローンの進路を横切っている。それを越えようと、コウカは有人型ドローンの高度を上げた。

 遠目にも、橋上の道路はきちんと整備されているように見えた。

「まさか、あの橋を渡ったんじゃ……」

これまで考えもしなかった可能性に、

「行ってみるか」

と、コウカは電車の高架を離れ、巨大な白い吊り橋へと有人型ドローンの進路を向けた。

 高く汚れた堤防を越えて海上に出ると、夕凪の海峡に船影は一つもなかった。穏やかな風景の中で、補剛桁の上面に設置されたドローンタワーから、六機の運搬型ドローンが緊急発進してきた。

 運搬型ドローンは、ハンガーロープ沿いに高速で上昇し、きらりと陽光を反射させて機体を反転させた。メインケーブルを越えた六機のドローンが、上方からコウカの有人型ドローンへと殺到し、あっという間にコウカのドローンを球状に包囲してしまった。

 コウカが操縦するドローンに、六機のドローンはぴたりと機体を寄せ、隊形を保ったまま一斉に減速した。衝突防止機能が自動的に働き、補剛桁まで十五メートルほどの地点で、コウカのドローンは空中に強制停止させられてしまった。

「どうなってるんだい」

頭上のドローンが発する風に煽られ、コウカが顔を俯けていると、通信装置のスイッチがひとりでに入った。

「私は歌を聴いているのよ。邪魔をしないでちょうだい」

通信装置から聞き覚えのある声が流れ、コウカははっと顔を上げた。

 半ば反射的に橋上へ目を向けると、そこにワンピースを着た髪の長い女が立っていた。いつもとは違い、女が着るワンピースの色は、赤ではなく黒だった。その色の違いを無視して、

「なんであんたが、こんなところにいるんだい」

コウカは通信装置に向かって怒鳴った。

「どうして、ロボットは歌うのかしら」

こちらの声が聞こえていないのか、黒いワンピースの女が独り言のように言った。女はコウカの方を見ようともせず、橋上から吊り橋の主塔を見上げている。その視線の先、高さが二百九十八メートルの主塔の上に、一体の棒人間型のロボットが立っていた。

 棒人間型のロボットは残照に機体を輝かせ、潮風に吹かれて歌っている。だがその歌は、運搬型ドローンのローターが発する風音に遮られ、コウカの耳には届かなかった。

「ここに、アガタが来なかったかい」

「邪魔しないで、と言ったでしょう。もう少しで歌が終わるから、それまで待ちなさい」

黒いワンピースの女の有無を言わせぬ口調に、コウカは舌打ちし、それでも女の言葉に従うことにした。

 数分後、通信装置から黒いワンピースの女の声が聞こえてきた。

「待たせたわね。それで、あなたは何が知りたいのかしら」

「アガタは、ここに来なかったかい」

何も問題がないかのような、のんびりとした女の口調に、苛立ちながらコウカは質問を繰り返した。

「あの子なら、この橋には来なかったわね」

黒いワンピースの女は素っ気なく答え、

「戻りなさい。そのドローンには、堤防のこちら側での飛行は認められていないのよ」

と、諭すような口調でコウカに告げた。

 まるで女の言葉を合図にしたかのように、有人型ドローンの制御が自動操縦に切り替わった。コウカを包囲していた六機の運搬型ドローンが散開し、上昇して補剛桁に設置されたドローンタワーへと戻っていく。コウカを乗せた有人型ドローンは、機体を水平に転回させると、高度を上げながら東へと進路を取った。

 コウカは手動操縦に戻そうとしたが、その操作を有人型ドローンは受け付けなかった。

「また、優先順位ってやつかい」

呟きながら視線を落とすと、地上は夜の闇に包まれかけていた。その闇がさらに濃くなれば、もう周囲の状況など確認できなくなるだろう。狭い場所で視界が悪くなれば、ドローンの手動着陸の危険度は急激に跳ね上がる。それを熟知するコウカは、

「どっちみち今日はもう無理だね」

と検出装置の設置作業を諦め、有人型ドローンのシートに身体を預けた。


 五感が閉ざされた闇の中で、五人はほぼ同時に目覚めた。しかしそこでは、己一人がぽつねんと佇むばかりで、自分以外の存在はまったく感じられなかった。

「どうなってるんだ……」

その呟きは暗闇の中でぐるぐると渦を巻き、アガタを含めた五人分の空白の中へ、吸い込まれるように消えていった。

「誰かいるか」

切実な呼びかけは反響すらせず、はらはらとあっけなく崩れ落ち、細かくほつれて闇に溶け去っていった。

「これは…… 一人ってことか」

五人は闇に消えていく声を見送り、それからあっさりと状況を受け入れると、くつくつと笑い始めた。

「いいじゃないか。望み通りだ」

その嬉しそうな声は闇には溶けず、五人の感情を特定の方向へと昂らせた。だが、閉ざされた暗闇はねっとりと濃いままで、五人を解放する兆しすらみせなかった。

 五人は状況の変化をしばらく待ってみたが、外部からの接触は一切なく、新たな標的ターゲットの情報も提示されなかった。

「これは、好きにしろってことだよな」

情報が提示されたところで、素直に従うつもりのない五人は、自分に都合の良い解釈をした。

「それじゃあ、遊びに行くとするか」

そう宣言すると、五人の意識の輪郭が、暗闇にはっきりと浮かび上がった。

「指をぽきり。二本目をぽきり、ぱきり、ぽきり」

と、言葉を重ねるほどに、五人の輪郭が歪みながら大きく膨れ上がっていく。

「どんな顔をするのか楽しみだ」

笑いながらそう言うと、まるでそれに応えるかのように、五人の前に視界が開けた。

 正面の壁面に、見慣れた機器がぎっしりと並んでいる。その前に立っているのは、これまでとは違い、赤いワンピースの女ではなく一体の棒人間型のロボットだった。

「気分はどうかしら」

棒人間型のロボットが、赤いワンピースの女の声音で尋ねた。

「上々だね。それより、他の四人はどうなったんだ」

「他の場所で、みんな元気にしてるわよ」

別々の場所で五人が同時に発した質問に、赤いワンピースの女は、五体のロボットを通して同時に答えた。

「いつもの部屋だと、五人分の情報を処理しきれなかったわ。だから、それぞれに専用の部屋を用意したのよ」

「本当は、五人で暴れられるのが怖かったんじゃないのかい」

「あら、そんな心配は不要ね」

五人が一斉に発した挑発を、赤いワンピースの女は意に介する風もなく、

「あなた達を止めるのなんて、このロボットを動けなくするのと同じ。とても簡単ですもの」

と、重要な情報をさらりと開示してみせた。その泰然とした口調に、この女に逆らうのは得策ではない、と五人は直感的に判断した。

「それで、俺に何をやらせたいんだ」

「何も。私は、ただ観察したいだけですもの」

「それはつまり、俺の好きにしろってことかい」

赤いワンピースの女の意外な答えに、五人は思わず問い返した。

「ええ、そうよ。それであなた達は、これからどうするのかしら」

「もちろん、仕返しに行くに決まってるだろう」

カスミの再襲撃を笑いながら宣言すると、五人の背後でかちりと金具の外れる音がした。

 廃都に点在する五つのビルの中で、それぞれに用意された機器から同時に切り離され、五人はすとんっと床に落とされた。五人は床を軽く踏んで身体の様子を確かめ、

「それじゃあ、行こうか」

と、大股に踏み出した。

「ドローンが用意してある場所への行き方は、それぞれのビルで違うのよ。そのロボットに、案内してもらいなさい」

赤いワンピースの女がそう告げると、棒人間型のロボットの音声が切り替わり、ロボット本来の声音に戻った。

「ご案内いたします。どうぞこちらへ」

五体の棒人間型のロボットに先導され、それぞれの部屋を後にしようと、五人は嬉々として足を運んでいた。

 その足が、離れた場所にいるにも拘らず、まったく同じタイミングでぴたりと止まった。五人はその場で静止すると、

「花火が見たいな」

と、まったく脈絡にないことを同時に口にし、

「せっかくだから、花火を見てからにしよう」

と、巨大な白い吊り橋の方角へ一斉に視線を向けた。

 五人からかなり離れた場所に建つ六つ目のビル。その高層ビルの一室で、壁面を埋め尽くす機器の前に、赤いワンピースの女が立っていた。女は視線をまっすぐ前へ向け、

「あなたは、どうするのかしら」

と、この部屋で静かに佇む六人目に尋ねた。

「面白そうだから、見学しに行くよ」

「花火はどうするのかしら」

「それは、まあどっちでもいいかな」

六人目の淡々とした答えに、赤いワンピースの女はふわりと微笑んでみせた。

「あなたは、他の五人とはずいぶん違うのね」

「どうして、こうなるのかな。僕にもよく分からないよ」

「そうね。私にも分からない事だらけだわ。だからこそ、あなた達に興味があるのよ」

その説明にはさほど関心を示さず、部屋の出口へ向かってのんびりと歩きながら、

「僕を運んでくれるドローンは、どこにあるのかな」

と、六人目は赤いワンピースの女に尋ねた。

「屋上よ。そこでドローンが待機しているわ」

赤いワンピースの女の言葉に、六人目はぴたりと足を止め、その場でしばらく考え込んだ。それから顔を天井に向け、

「そうだね。屋上のドローンが、僕を運んでくれるんだね。でも、急降下はさせないでね」

と、これまで受けてきた扱いからすれば、しごく真っ当な要求をした。

「良いわよ。約束してあげる」

冷静を装って答えながら、赤いワンピースの女は内心ひどく困惑していた。

 部屋から出ていく六人目の背中を見送り、一人きりになると赤いワンピースの女は、

「どういう事かしら。そんな記憶が、複製元オリジナルにあるはずがないのに」

と呟き、その場でじっと考え込んだ。

 五人の思考に、アガタが共振するのは説明ができる。それは、その思考を形成する物質の特性を反映しているに過ぎない。けれど、複製元オリジナルから作製された複製コピーが、複製元オリジナルが経験していないことを記憶している。六人目に発現したこの不可解な現象は、赤いワンピースの女にはどうにも説明がつかなかった。

 −ひょっとしたら……

共振現象によって、一時の感情だけではなく、記憶までもが共有されるのだろうか。

 −だとしたら……

この現象を利用すれば、肉体の複製に、記憶を複製コピーすることができるかも知れない。新たに発見した可能性に、赤いワンピースの女は口元を大きく綻ばせた。


 それは思考というよりは、イクリの朧げな記憶だった。そのうねりに呑み込まれ、記憶の中を揺蕩たゆたうアガタの意識を引き戻し、覚醒させたのは五人が発した強烈な悪意だった。

「こ、ここは……」

現実に戻ったアガタは、いま自分がどこにいるのか、すぐには分からなかった。

 昼間だからなのだろうか。それとも光線の加減なのか、大水槽の上から射し込んだ光に、水族館の床がほのかに照らし出されている。いつの間にそこに運び込まれたのか、アガタの足元には充電装置が設置されていた。そこから伸びた電線がうねうねと床を這い、大水槽の横に設けられた扉からバックヤードへと続いている。

 大水槽の中も、かなり明るくなっていた。水槽の底に再現された海底の砂に、半ば埋もれた白い物が、前よりもはっきりと見えている。イクリの記憶を追体験したアガタには、それが何かもう分かっていた。それは、この大水槽で溺れたイクリの骨だった。

「彼には、感謝しなさい」

背後からふいに声をかけられ、アガタは慌てて周囲を見回した。すると、その動きを検知して充電装置が作動を止めた。

「君がこうしていられるのは、彼のおかげなのよ」

水族館の薄暗いフロアに、こつこつと硬質なハイヒールの靴音を響かせ、黒いワンピースの女が大水槽の前に姿を現した。

「あ、あなたは……」

「初めまして。情報データでは知っていたけど、直接会うのはこれが初めてね」

そう言うと、黒いワンピースの女はふわりと微笑んでみせた。

 −こ、この人は……

黒いワンピースの女の挨拶に、アガタは動揺するしかなかった。なぜならその女の顔も、身体つきも、歩き方も、何もかもが赤いワンピースの女とそっくり同じだった。これまで何度も会ったことのある女が、初対面の挨拶をする。その意味が、アガタには分からなかった。

「君が知っている女の人は、赤いワンピースを着ていなかったかしら。だとしたらそれは、私とは別人よ」

アガタの混乱を読み取り、黒いワンピースの女がそう告げた。だがその言葉も、アガタを混乱させるばかりで、どういう事かさっぱり分からなかった。

「見た目では見分けがつかないくらい、私たちはそっくり同じなの。だから、見分けがつくように、こうして色分けしているのよ」

そう説明する女の口調に、

 −この人は、喋り方が違う……

と、アガタはふと思った。

 赤いワンピースの女の声音には、アガタの思考を狭め、アガタに行動を強制する冷徹な響きがあった。だが、この黒いワンピースの女の声には、そうした威圧感はなく、どこか愛嬌すら感じられた。

「赤と黒なんて、ずいぶん古典的。でも、これはこれで素敵じゃないかしら」

それでもアガタは、まったく同じ顔をした女が二人いるとは、とうてい信じられなかった。目的は分からないが、ただ喋り方を変え、そういう演技をしているだけではないのか。

 逡巡するアガタに、

「どうして、私が一人だって思うのかしら。君達は、君も含めて七人もいるのに」

と、黒いワンピースの女は軽く首を傾げてみせた。その一言に、

 −七人……

と衝撃を受け、アガタは思わずよろめいた。

 アーケード商店街で、アガタが襲撃を退けた時、相手は五人だった。その人数に自分を足せば六人になるはずだ。それなのに、どうして七人なのか。

「まさか……」

これは、いったいどこまで続くのか。自分を発端とする悪意が無限に増殖するのなら、それに抗う術などあるはずがない。けれど、燃え盛る草原でカハラに向けられた凶悪さを、アーケード商店街でマナに向けられた暴力を、どんな狂気を孕んでいるか分からない六人目を、このまま放置して良いとは決して思えなかった。

「ぼ、僕……行かなくちゃ……」

 アガタがふらりと歩き出そうとすると、

「お待ちなさい」

と、黒いワンピースの女がアガタに優しく声をかけた。

「君は、どうやって彼らを止めるつもりなのかな」

「そ、それは……」

質問に答えられず、アガタは口ごもった。すると黒いワンピースの女は、大水槽の砂に半ば埋もれる白い骨に、憂いをおびた視線を向けた。

「彼は、不幸な事故だった。別の実験の準備をしている時に、彼がここに迷い込み、あそこに落ちてしまったの」

まるで黙祷するかのように、黒いワンピースの女はしばらく目を閉じていた。それから静かに目を開けると、大水槽の底に視線を向けたまま説明を再開した。

「彼を助けることはできなかった。けれど彼の記憶はここに残っている。それがなぜだか分かるかしら」

黒いワンピースの女は、いったい何を話そうとしているのか。話の方向性すら理解できず、アガタはただ首を横に振るしかなかった。

「この大水槽の水は、普通の水ではないのよ。濃度は低いけれど、私たちの意識を構成する物質が注入されているわ。その物質が、彼の記憶をこの水槽に留めているのよ」

そう言うと女は白い手を上げ、大水槽のアクリルガラスに指先でそっと触れた。

「けれど彼の意識は消え、記憶の一部しか残らなかった。それは、この水槽の圧力が低かったからだわ。それなら、圧力が高ければどうなっていたのかしら。この水槽の中で、彼の記憶だけではなく、彼の意識も保存されていたのかも知れない。その疑問に対する答が……」

そこで言葉を切ると、黒いワンピースの女は視線をアガタに向け、かなり長い間じっとアガタを見つめていた。

「君は、君の分身を止めたいんでしょう」

ふいに投げかけられた簡潔な問いに、アガタは無言で頷いた。

「彼らを説得なんてできないし、彼らが考えを変えることもない。だとしたら、彼らを止めるには、彼らの意識を消滅させるしかないわね。それにはどうすれば良いか、分かるかしら」

その方法を知っていれば、マナを危険に晒すこともなかった。だがそれは誰かを救うのと同時に、自分で自分の一部を抹殺するということだった。複雑な想いを胸に、アガタはぎこちなく首を横に振った。

「彼らの意識は、圧力がかけられた特殊な容器に封入されているのよ。その容器の圧力を下げれば、それだけで彼らの意識は消滅するわ」

アガタが追体験したイクリの記憶は、不幸な事故だったという女の言葉を裏付けている。だとしたら、その意図は分からないが、この説明も真実なのだろう。だが、その情報を信じるにしても、それを実行する具体的な方法は、アガタには想像もつかなかった。

「圧力を下げるなんて、どうやったら……」

「それは教えられない」

アガタが質問しようとするのを遮り、黒いワンピースの女は厳しい口調で断言した。

「お互いの研究には干渉せず、相手の支配地域には立ち入らない。私達は、そういう約定を交わしているのよ」

と、黒いワンピースの女は口調を元に戻し、アガタに諭すように説明した。

「これ以上の説明は、その約定に抵触してしまうわ。どうやって圧力を下げるのか、それは自分で考えもらうしかないわね」

「そう、なんですか…… 分かりました」

アガタは女の言葉を渋々受け入れ、そこでふと感じた疑問を口にしてみた。

「どうして、いろいろ教えてくれるんですか」

「それはね、君に協力してほしいからよ」

赤いワンピースの女も、最初はアガタに協力を依頼してきた。何も知らずに、それに従った結果、これまで散々な目に遭わされてきた。その苦い経験が、協力という一言に対して、アガタを身構えさせた。

「ぼ、僕に、何をさせたいんですか」

「私たちの願いを叶えるためには、肉体の複製クローンが不可欠な技術だった。それを開発するために、彼女達は生み出されたのよ」

黒いワンピースの女がそう言うと、アガタの頭の中に映像が直接送り込まれてきた。それは、長く艶やかな黒髪を、ポニーテールにした若い女の立体写真だった。若い女を様々な角度から捉えた複数枚の写真は、色違いのワンピースを着た二人の女と同じように、どれも瓜二つの顔をしていた。

「彼女達はとても脆弱で、赤が支配するこの地域では、きっと生き残れない」

黒いワンピースの女が、残酷な現実をふいに突きつけてきた。

 −そんな……

写真に映った女達の顔は明るく、その瞳は好奇心にきらきらと輝いている。その表情に、アガタはほだされそうになった。その様子を見てとり、

「本当は、私自身の手で、彼女達を守ってあげたい」

と、黒いワンピースの女はさらに言葉を重ねた。

「だけど、さっき話した約定に縛られて、私が立ち入れるのはこの水族館までなの。だから、あなたに頼みたいのよ。彼女達を保護して、ここに連れてきて欲しいの」

「それなら、ロボットに頼めば……」

「ロボットやドローンへの命令には、優先順位が設定されているのよ。赤の支配地域で活動するロボットは、よほど特殊な場合でなければ、私の指示には従わないわ」

そう言うと、なおも渋るアガタに、黒いワンピースの女がすっと頭を下げてみせた。

「そ、そんな…… 顔を上げてください」

アガタが慌てて頼んだが、黒いワンピースの女は頭を下げ続けている。その真剣な姿に、アガタはもう彼女の依頼を断れなくなっていた。

「その女の人達は、いま何処にいるんですか」

アガタがおずおずと質問すると、黒いワンピースの女はようやく顔を上げ、ほっとしたように口元を緩めた。

「一人はオートバイに乗って、ここから西北西にある遊園地へ向かって移動しているわ」

黒いワンピースの女が発した、遊園地という言葉をきっかけに、ふいにアガタの中に強烈な破壊衝動が湧き上がった。マナの農場で経験した時とまったく同じ感覚に、

 −カスミさんを襲うつもりだ。

と、アガタは確信した。

 保護の対象となる女の行き先と、六人の標的となるカスミの居場所が、図らずも一致している。それなら、今すぐにでも行動すべきだった。そうしなければ、ポニーテールの若い女にも、どんな被害が及ぶか分からない。だが、黒いワンピースの女の説明は、まだ終わってはいなかった。

「一人目の現在位置はここよ」

アガタの頭の中に、今度はこの地域の地図が表示された。その上を、緑色の光点が明滅しながら、ゆっくりと西向きに移動している。

「彼女を追いかけるなら、最短ルートはこれね」

緑色の光点に続いて、頭の中の地図に青い線が現れた。その経路ルートを頭の中でなぞりながら、

「この地図は、いつでも見られるんですか」

と、アガタは尋ねた。

「君が望めば、いつでも見られるようにしておくわ」

それなら、ポニーテールの若い女が気まぐれに行き先を変えても、この地図を使って追跡ができる。そう考えたアガタは、

「分かりました。彼女をきっとここに連れてきます」

そう宣言すると、さっと身体の向きを変え、水族館の出口へ向かって歩き出した。

「彼女はオートバイで移動しているのよ。君は、どうやって追いかけるつもりなの」

「大丈夫です。自転車がありますから」

背後からの問いかけに、アガタは振り向かずに答え、薄暗いフロアを足早に横切った。

 水族館の外へ出て、長い階段の上に立つと、まだ早朝の陸風が吹いていた。堤防に遮られて海は見えなかったが、その向こうに聳える巨大な吊り橋が、朝陽に白く輝いている。

 −花火が上がったら、あの吊り橋はどんな風に見えるんだろう……

その美しさを想像し、階段を下りながらアガタは、

「花火を見たかったな」

と、しみじみと呟いた。それに呼応するかのように、廃都に点在する五つのビルで、

「せっかくだから、花火を見てからにしよう」

と五人が同時に宣言し、遊園地に蟠踞ばんきょするカスミへの再襲撃を、彼らの思考から一時的に遠ざけた。

 こうして、この近くの海岸で、毎夜一発だけ打ち上げられる花火。それがアガタにとっての制限時間タイムリミットとなった。それを知らぬアガタは白い自転車に歩み寄り、

「砂まみれだ……」

と、サドルに積もった砂を手で払い落とした。それからスタンドを蹴り上げ、アガタはひらりと自転車に跨った。その動きに反応して、自転車のそばに仕掛けられた検出装置が起動し、朗報を待ち侘びるコウカに、専用回線で検知情報を送信した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る