第7話 システム管理者
《金曜日・深夜(続き)》
ホワイトアウトが、ゆっくりと収束していく。
視界が戻る。
私は、ベッドの上に座ったまま、呆然としていた。
手の中には、スマホがある。
けれど、それは——普通のスマホではなかった。
画面から、無数の光の粒子が溢れ出している。
その光の粒子は、空中に集まり、一つの形を成していく。
それは、小さな球体だった。
直径10センチほど。
表面には幾何学的な模様が走り、まるでスマホのアプリアイコンが三次元に飛び出してきたかのような、無機質でデジタルな質感。
「……は?」
間抜けな声が、口から漏れた。
球体は、ふわりと宙に浮いた。
そして——明滅した。
『——システム起動』
「……え?」
『ユーザー認証、完了』
合成音声のような、けれど妙に人間味のある、少年のような声が——脳内
に直接響いた。
「ちょ、何……?」
『個体名:桜庭凪』 『裏垢ID:@midnight_venom』 『フォロワー数:
100,000人達成を確認』
球体が、私の周りをゆっくりと回り始める。
まるで、スキャンしているかのように。
「待って、何なのこれ……!」
私はベッドから飛び降り、壁際まで後退した。 けれど、球体は追ってく
る。
『おめでとうございます、凪殿!』
突然、声のトーンが変わった。
明るく、元気で、まるでゲームの案内キャラクターのような声。
『貴殿は厳正なる審査の結果、「魔法少女」の資格保持者に選定されまし
た!』
「……あ?」
思考が、追いつかない。
魔法少女? 何を言っているんだ、この光る玉は。
『私はナビゲーションAIの「ルミエ」! 貴殿のサポーターであり、パー
トナーです!』
球体——ルミエは、私の目の前まで飛んできた。
「……ドローン? 盗撮カメラ? 警察呼ぶよ」
『違います! 私はAIです。魔法少女システムの管理者です』
「魔法少女……システム……?」
意味が分からない。
ルミエは、空中にホログラムウィンドウを展開した。
半透明の画面が、宙に浮かぶ。
『まず、基本的なシステムについてご説明します』
画面には、私のデータが表示されている。
【ユーザー情報】 名前:桜庭凪 年齢:17歳 裏垢ID:
@midnight_venom フォロワー数:100,000人
【魔力レベル】 現在のランク:最適域(OPTIMAL)
【フォロワー数と魔力の相関】 10万人以上:最適域(フル変身可
能、全スキル解放) 7万〜10万人:通常域(変身可能、消耗やや
大) 5万〜7万人:警戒域(変身時間制限あり) 3万〜5万人:危険
域(緊急変身のみ) 1万〜3万人:臨界域(変身不可、暴走リスク増
大) 1万人以下:崩壊域(モンスター化開始)
「……は? モンスター化?」
『フォロワー数が1万人を下回ると、貴殿自身がメンタルモンスターへと
変異します』
ルミエは、淡々と説明を続けた。
『つまり、フォロワー数は貴殿の「命」と同義です。維持できなければ、
人間ではなくなります』
「ふざけんな! そんな話、聞いてないし、契約もしてない!」
『契約は既に成立しています。フォロワー10万人到達と同時に、自動的
に』
「そんな——」
その時だった。
部屋の外から、悲鳴が聞こえた。
「きゃああああああ!!」
母の声だ。
続いて、ドスンという重い衝撃音。
何かが、床に倒れる音。
「母さん!?」
私はルミエを無視して、部屋のドアを開けた。
廊下に飛び出し、階段を駆け下りる。
「母さん! どうしたの!?」
リビングのドアを開けた瞬間——
私の目に飛び込んできたのは、見慣れた我が家の風景ではなかった。
床に尻餅をついて、震える母。
そしてその前に立ちはだかる、不定形の黒い影。
『——サビシイ……』
『誰カ、見テ……』
『誰モ、私ヲ、見テクレナイ……』
影は蠢き、粘着質な触手のようなものを伸ばしている。
リビングの空気が、重く、冷たく澱んでいる。
「な、何よあれ……」
足がすくむ。 本能が「逃げろ」と叫んでいる。
けれど——母が、そこにいる。
『凪殿!』
背後から、ルミエの声が聞こえた。
『あれが「メンタルモンスター」。人々の抑圧された負の感情が実体化し
た怪物です』
「どうすればいいの!?」
『戦うのです。魔法少女として』
ピロン♪
私の手の中で、スマホが振動した。
見ると、画面には——
【魔法少女システム Ver.1.0】 インストール完了 変身準備、完了
そして、画面中央に、たった一つのボタンが表示されていた。
巨大な、青白く光るボタン。
[ #真実の姿 を投稿する ]
『さあ、凪殿。選択してください』
ルミエの声が、耳元で囁く。
『お母様を見捨てるか』
『それとも、偽善者になるか』
「クソッ……!」
私は唇を噛み切りそうなほど強く噛み締めた。
正義なんて嫌いだ。
魔法少女なんて御免だ。
そんな綺麗事、私が最も軽蔑するものだ。
けれど——
目の前で、母が壊されようとしている。
あの、いつも世間体ばかり気にして、「あなたのため」と言いながら私を
縛り付けてくる母が。
うっとうしくて、息苦しくて、時には憎いとすら思った母が。
今、怯えている。
震えている。
『——誰カ……誰カ、私ヲ……』
影の触手が、母の頬に触れようとしている。
——ダメだ。
このままじゃ、本当に壊れる。
「……やってやるわよ!」
私は叫んだ。
「その代わり、後で絶対文句言うからな!」
震える指で、画面のボタンを——叩きつけた。
【承認、受理されました】
スマホから放たれた光が、私の全身を包み込む。
それは、温かくも冷たくもない。
ただ、圧倒的な情報量を持った、デジタル信号の奔流。
『ログイン確認』
『ユーザー:桜庭凪』
『アバター形成を開始します』
ルミエの声と共に、私の視界に無数のコードが走る。
01001000 01100101 01101100 01101100 01101111
二進数の羅列。
それが、私の身体を解析し、再構築していく。
「う、くっ……!」
痛みはない。 けれど、違和感がある。
自分の身体が、自分のものではなくなっていくような感覚。
制服の繊維が、分解されていく。
いや、正確には「再構成」されていく。
『身体データ、再構成中』
『髪色、変更:黒 → 銀』
『瞳色、変更:茶 →デジタルパープル』
『衣装、展開:魔法少女モード「ミッドナイト・ヴェノム」』
頭が、熱い。
いや、冷たい? よく分からない。
ただ、髪の毛の一本一本が、別の何かに変わっていく感覚。
『変身完了まで、あと3秒』
『3……2……1……』
光が、一気に収束した。
私は、リビングの床に着地していた。
数センチだけ、床から浮いて、そして降りた。
「……は?」
自分の声が、少しだけ響いて聞こえる。
私は、リビングの窓ガラスに映った自分の姿を見た。
そして——絶句した。
「……何この格好」
髪は、凍てつくような銀色。
腰まで伸びた長髪が、まるで自分の意志を持っているかのように揺れている。
瞳は、デジタルパープル。
青と紫の中間のような色で、瞳孔の周りに、まるでプログラムコードのような模様が浮かんでいる。
そして、衣装。
黒と紫を基調とした、ゴシック・パンク風のドレス。
スカートは短く、太ももまで見えている。
足元は、編み上げのブーツ。
フード付きのパーカーを羽織っていて、フードの内側には星空のような模様が描かれている。
胸元には、『@midnight_venom』のアイコンにも使っている「毒林檎」
のモチーフが、青白く発光していた。
「……厨二病全開じゃん」
羞恥心で、顔から火が出そうになる。
けれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
『凪殿、敵です!』
ルミエの声で、我に返る。
振り返ると——影が、母を飲み込もうとしていた。
『——ダレカ……ダレカ……』
「母さんから離れろ!」
私は、反射的に駆け出していた。
手の中には——さっきまでスマホだったものが、黒曜石のような質感の杖
に変わっていた。
『ソウルフォン』
長さは1メートルほど。
杖の先端には、スマホの画面が埋め込まれている。
その画面には、戦闘用のUIが表示されていた。
【バトルモード】 HP:100% MP:100% フォロワー数:
100,000人 敵:ロンリネス・シャドウ Lv.1
『凪殿、ソウルフォンの画面をスワイプしてください!』
「スワイプ?」
『貴殿のフォロワーたちの「共感」をエネルギーに変換し、放出するので
す!』
画面を見ると——無数の文字が流れている。
「わかる」「それな」「マジで」「正論」「言いたかったこと」
私が裏垢で受け取ってきた、リプライの言葉たち。
それらが、光の粒子となって渦を巻いている。
『これが、貴殿の力の源です! フォロワーたちの「本音への共感」が、
攻撃力に変換されるのです!』
「……あー、もう、なんでもいいから消えろッ!」
私は叫びと共に、ソウルフォンを影に向けた。
画面のRTアイコンを——タップした。
「『リツイート・ブラスト』!!」
ヒュンッ——
電子音と共に、杖の先端から光弾が放たれた。
それは、ただの光ではない。
「わかる」「それな」「草」—— 無数の文字データが圧縮された、情報の矢。
ドォォォォン!!
直撃。
影が、大きくのけ反る。
『ギ、ギィィィ……!』
耳障りなノイズのような悲鳴。
「効いてる……?」
私は、自分の手を見た。
本当に、効いている。
これは、現実だ。
『よくやりました、凪殿!』
ルミエが言った。
けれど、影は止まらない。
『——イタイ……イタイ……』
『ナゼ……ナゼ、攻撃スル……』
『ワタシハ、タダ……サビシカッタダケナノニ……』
影の声が、直接脳内に響く。
その声には——悲しみが、混じっていた。
怒りではない。
憎しみでもない。
ただ、深い深い、悲しみ。
「……っ」
胸が、痛んだ。
この影は——ただ、寂しかっただけだ。
誰かに見てほしかっただけだ。
それが歪んで、怪物になった。
——まるで、私みたいに。
『凪殿、油断しないでください!』
ルミエの警告。
その瞬間——影が、反撃に出た。
黒い触手が、鞭のようにしなる。
そして、私めがけて襲いかかってきた。
「っぶね!」
とっさに横へ飛ぶ。
ガッ——
触手が、床を叩く。
リビングのフローリングが、腐食したように黒ずんだ。
物理的な破壊じゃない。
あそこだけ、「存在感」が希薄になっている。
色が、薄くなっている。
まるで、写真の一部だけモノクロになったかのように。
「あれに触れたら、ヤバい……!」
本能が、警告を発する。
『その通りです! メンタルアタックです!』
ルミエが叫ぶ。
『物理的なダメージではありません! 心に直接作用する攻撃です! 触
れれば、貴殿の心も——』
「分かった、分かったから!」
私は動き続けた。
触手が、次々と襲いかかってくる。
右から、左から、上から。
「くっ……!」
避ける。
跳ぶ。
転がる。
身体が、いつもより軽い。
魔法少女の力か。
『——ニゲルナ……ニゲナイデ……』
『ダレカ……ダレカ、ワタシヲ……』
影の声が、悲痛に響く。
その声を聞くたびに、胸が痛む。
この影は——きっと、母の中にあった「孤独」が実体化したものだ。
世間体ばかり気にして、誰にも本当の自分を見せられなかった。
夫も、娘も、近所の人々も、みんな「理想の母親」「理想の妻」としての彼女しか
見ていなかった。
本当の彼女——弱くて、不安で、寂しくて、認められたくて—— そんな
「本音」は、誰も見てくれなかった。
だから、その「本音」が歪んで、怪物になった。
——私と、同じじゃないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます