第2章 偽善者の聖戦

第5話 侵食——特定の足音

《金曜日・昼休み》


第1章の火曜日から、3日が経過していた。

たった3日。

けれど、その3日間で、私の世界は確実に変わり始めていた


——悪い方向に。


《現在のフォロワー:96,843人》


火曜日の朝、85,721人だったフォロワーは、3日間で11,000人以上増えた。

10万人まで、あと3,157人。

数字だけ見れば、順調だ。

けれど、その「順調さ」が、私の首を絞め始めている。


「凪ちゃん、お弁当一緒に食べよ!」


山田さんが声をかけてきた。

私は条件反射で笑顔を作り、彼女たちの輪に加わる。

いつもの光景。

いつもの会話。

——のはずだった。


「ねえ、これ見た?」


佐々木さんがスマホの画面を見せてきた。 そこには、私の投稿が——

いや、違う。

私の投稿を分析した投稿が、表示されていた。


「ミッドナイト・ヴェノムの投稿時間を分析してみた。深夜1時〜3

時に集中。言葉遣いの特徴から、10代後半の女性と推定。学校行事

への言及があるから、現役高校生の可能性大。都内近郊の進学校?」


心臓が、凍りついた。


「すごいよね、こういう特定班って」


佐々木さんが無邪気に言った。


「投稿時間とか文体とかで、どんどん絞り込んでいくんだって」

「へー、怖いね」


山田さんが相槌を打つ。


「でもさ、この人、うちの学校の子だったりして」


——は?


「だって、この前『文化祭準備がダルい』みたいな投稿してたじゃん。う

ちも来週文化祭でしょ? タイミング合うよね」

「あー、確かに」

「しかも『生徒会の仕事押し付けられた』とか書いてあった気がする」


私の手が、微かに震えた。

それは、私が火曜の夜に投稿した内容だ。


「生徒会かー。うちの生徒会って誰がいたっけ?」

「会長が高橋先輩でしょ、副会長が田中くん、あと書記が——」


視線が、私に向いた。


「——凪ちゃん?」


山田さんが、私を見た。

その目は、疑惑ではない。ただの連想ゲーム。

けれど、私の心臓は早鐘を打っていた。


「あはは、まさかね」


佐々木さんが笑った。


「凪ちゃんがあんな毒舌アカウントやってるわけないじゃん。凪ちゃん、

真面目だし」

「だよねー」


山田さんも笑った。

私も、笑った。


「あはは、私にはそんなセンスないよ」


口が勝手に動く。

完璧な否定。

完璧な演技。

けれど、掌にはじっとりと汗が滲んでいた。


——バレる。


このままじゃ、いつかバレる。

特定班の分析は、確実に精度を上げている。

投稿時間、文体、話題——全てが、私を指し示している。


「そういえば」


山田さんが、思い出したように言った。


「最近、凪ちゃんスマホよく見てるよね」

「え?」

「授業中も、なんかソワソワしてるっていうか。通知気にしてる感じ?」


——見られてる。


私の行動が、観察されている。


「い、いや、生徒会の連絡が多くて……」

「ふーん」


山田さんの目が、一瞬だけ——鋭くなった気がした。

気のせいだ。

きっと気のせいだ。

けれど、私の中の警報は鳴り止まない。

弁当の卵焼きを口に運ぶ。

味がしない。

それどころか、喉を通らない。


「あ、優莉ちゃーん!」


誰かが声を上げた。 振り返ると、水瀬優莉が教室に入ってきたところだっ

た。

いつも通りの完璧な笑顔——

いや。

違う。

私は、彼女の目の下を見た。

クマが、明らかに濃くなっている。

火曜日より、確実に悪化している。

ファンデーションで隠しているが、もう限界だ。

そして、彼女の視線は——私を、見ていた。

まっすぐに。

じっと。

まるで、何かを確認するように。


「……凪ちゃん、おはよ」


優莉が、私の前で足を止めた。


「おはよう、優莉ちゃん」


私は、いつも通りの笑顔を作った。

けれど、優莉は笑わなかった。


「ねえ、凪ちゃん」


彼女は、声を潜めた。


「最近、変な通知とか来てない?」

「え?」

「私のところに来てるの。変なアカウントから。フォロワー0で、私だけ

フォローしてて、投稿も0で——」


心臓が、跳ねた。

@truth_seeker。

私をフォローしている、あの不気味なアカウント。

まさか、優莉にも——?


「それが、私の投稿を全部いいねしてくるの。気持ち悪くて」


優莉の声には、恐怖が混じっていた。

彼女の「完璧なインフルエンサー」の仮面の下から、怯えた少女の顔が覗

いている。


「……私のところには、来てないかな」


嘘をついた。

優莉に本当のことを言えるわけがない。


「そっか……」


優莉は、少しだけ肩を落とした。


「私だけなのかな。なんか、監視されてる気がして……」


彼女は、自分の席へと向かった。

その背中は、いつもより小さく見えた。

——優莉にも、@truth_seekerが?

あのアカウントは、私だけをフォローしているはずだ。

なのに、優莉にも同じような存在が?

何かが、起きている。

私の知らないところで、何かが動いている。

私は、ポケットの中のスマホを握りしめた。

確認したい。

今すぐ、裏垢を確認したい。

けれど、ここで確認したら—— 私が「裏垢の主」だと、自ら証明すること

になる。

私は、衝動を必死に抑え込んだ。



《金曜日・放課後》


生徒会室。

私は一人、パソコンに向かっていた。

文化祭のレイアウト案を作成している——はずだった。

けれど、私の意識は、ポケットの中のスマホに釘付けになっていた。


《ブブッ》


振動。

通知だ。

見たい。

確認したい。

今すぐ、あの数字を見たい。

指が、ポケットに伸びる。


——ダメだ。


私は、手を引っ込めた。

今は、生徒会の仕事中だ。

ここでスマホを見たら、誰かに見られるかもしれない。


《ブブッ》


また振動。

心臓が、早くなる。

誰かが私の投稿に反応している。

誰かが私を肯定している。

誰かが私を承認している。

その「誰か」を、確認したい。

その数字を、見たい。

見なければ、気が狂いそうだ。


《ブブッ》 《ブブッ》 《ブブッ》


連続で振動する。


——もう、限界だ。


私は、周囲を確認した。

生徒会室には、誰もいない。 高橋先輩も、田中も、既に帰っていた。

私だけだ。

今なら、見ても——

気づいた時には、スマホを手に取っていた。

画面を点灯させる。


《現在のフォロワー:97,128人》


昼休みから300人近く増えている。

安堵が、全身を駆け巡る。

増えている。

認められている。

私は、必要とされている。

通知欄を開く。


「わかる」

「それな」

「言いたいこと言ってくれた」


承認の言葉が、並んでいる。

もっと見たい。

もっと欲しい。

もっと、もっと——


「桜庭さん?」


——っ!


声に驚いて、スマホを取り落としそうになった。

振り返ると、高橋先輩が立っていた。


「あ、先輩……。戻って来られたんですか」

「忘れ物を取りに。……何してたの?」

「い、いえ、生徒会の連絡を確認してて……」

「ふーん」


高橋先輩の目が、私のスマホに向けられた。

画面は、既にロックされている。

裏垢アプリは見えない。

けれど、高橋先輩の目は——何かを疑っているように見えた。


「最近、桜庭さん、スマホよく見てるよね」

「え?」

「授業中も、廊下でも。なんか、依存してるみたいに見えるけど」


——依存。


その言葉が、胸に刺さった。


「そんなことないです。ちょっと連絡が多いだけで……」

「そう? ならいいけど」


高橋先輩は、忘れ物を取って出て行った。

私は、一人残された。

手の中のスマホが、重く感じる。


——依存してるみたいに見える。


高橋先輩の言葉が、頭の中で反響する。

依存。

中毒。

私は、承認欲求の中毒者だ。

分かっている。

自分でも分かっている。

裏垢を始めた時は、ただのストレス発散だった。

本音を吐き出す場所。

仮面を外せる空間。

それが、いつの間にか——

フォロワー数に支配されるようになった。 通知音に支配されるようになっ

た。

承認の快楽に支配されるようになった。

やめたい。

やめられない。

これをやめたら、私は「桜庭凪」という仮面を維持できない。

裏での毒吐きが、表での聖女を支えている。

けれど、このままでは——

私は、いつか壊れる。

スマホの画面を見つめる。


《現在のフォロワー:97,134人》


さっきより、6人増えている。

その数字を見て——

私は、また少しだけ安心してしまった。


——最悪だ。


自己嫌悪が、胃の奥から込み上げてくる。

私は、パソコンに向き直った。

レイアウト案を、作らなければ。

けれど、指が動かない。

頭の中は、フォロワー数のことでいっぱいだ。

10万人まで、あと2,866人。

あと少し。

あと少しで、大台に乗る。

その時、何が起きるのか——

私は、まだ知らなかった。

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