正義の在処はどこにあるや?

白上 楓

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The Prologue in the dark #169

 冷えをまとった都会の夜景を見下ろすように、一つの商業ビルの屋上に二つの影があっる。


 その影たちはこの宵、ある人物を抹消するために存在していた。

 どちらも黒い外套を纏っている。特殊迷彩が施されたその布は、ビルの外灯と星明かりを呑み込み、二人の輪郭さえ曖昧にしていた。

「ねぇ〜D、ふと思ったんだけど、普通に考えてさ、私たちこの時間に働いちゃダメだよね?」

 塀に腰掛けて足をパタパタさせる少女――Eが、隣に立つ少年――Dを見上げる。

「残念だが、E。法的解釈だと、俺らは今だけ20歳だから、働けるんだなこれが」

 呑気なEの声音にDはやれやれと応じた。

「詐称してんじゃん⁉︎ 犯罪じゃないの?」と驚嘆するE。

「残念ながら、被害を被る人がいないからな」となだめるD。

「え、私らは?」

「人権なんて、捨てただろ?」と軽々しく言うD。

「え、穢人は人間じゃないって、コト⁉︎」と過剰反応するE。

「いや、まぁ世間的にはそういう過激思想もあるが。単純に俺らが八咫烏に入った時に、死んだことになってるんだよ。死人に人権は無いだろ?」

「あ〜そういう理屈なの。じゃ、仕事しなきゃいけないね。どう? D〜ターゲットそっち引っかかった?」と仕事モードに戻るE。

「……引っかかった、が事前情報より人数が多い」

 Dは視界内に映る監視カメラの映像を、焔式デバイス経由でEに共有した。

「あの音楽隊っぽいのだよね。数カ所に散らばってるけど、合計20人。多いっていうか、倍だよね。偽の情報を掴まされたのかな?」

 監視カメラには、同じ背格好に揃え、大きな楽器ケースを抱えた集団が四つのグループに分かれて映っている。


「どっちかというと、向こうが作戦変更したんだろう。あのケースの中身を銃火器と仮定すれば、戦闘を視野に入れてるってことだ」

「でも、最初から戦う気なら、戦場になりそうなところの近くに隠しておくよね。検問で引っかかったらアウトだし」

「そういうことだ。――どのみち、やることは変わらんが」

「それにしても、みんなターゲットに似た格好してる。……もしかしなくても、こっちの存在バレてない? 私たちのこと知ってるのって、政府上層部だけだよね?」

「真相を知っているのは、だな。警察上層部にある俺らの後処理の部署の人たちは、俺らの存在を知ってるだろ? そこら辺からの噂なり、能力者たちの無血逮捕からの憶測なり、俺らの存在を仮定することはできるはずだ」

「なるほど、じゃ、今回は反撃が激しいかもね。……ターゲットの団体は事前情報通りに車で巨大倉庫街に向かってるよ。移動?」

「だな。監視は続行。先回りするぞ」


 DはEの身体を抱え上げ、そのまま屋上の縁から躊躇なく飛び降りた。

 コンクリートを砕かぬぎりぎりで着地すると、直線距離でターゲットの向かう倉庫へと駆け出す。

 ビル風を切り裂くその疾走は、人間の限界を明らかに逸脱していた。


「あ、ターゲット分裂。一方はそのまま、もう一方が倉庫街の南東方向に行ってるね」

 ターゲットの車の合計四台のうち二台が別方向に舵を取った。

「確実にこっちの戦力分散が目的だな。元々の倉庫はEが対処。別行動のターゲットはDが対処」

「了解」

 二人のやり取りには、長年の相棒ならではの慣れが滲んでいた。


 数分後、Dはターゲットの分岐先である倉庫街の屋根に着地した。その倉庫は大学の体育館レベルの巨大倉庫。その周囲の屋根を伝いながら怪しい影を探る。

  ――武装、露骨すぎるな。逆に罠か?

 事前に送られていた見取り図と、現地の配置を照合する。

 倉庫外には四人。正面ゲートに一人、裏口に二人。もう一人が倉庫の外周を巡回している。

 さらに、倉庫の窓の一つが不自然に開いていた。

 ――あからさまな誘導。だが、侵入しない選択肢はないか。


 Dはまず外套の複合迷彩を起動し、認知・光学の両面で視認性を限界まで落とす。

 巡回中の兵士が門番の死角に入った瞬間、その背後に音もなく降り立つと、麻酔薬を適量注射した。

 昏倒するまでの数秒で、無線機を確保。直近十分の音声ログを自動再生するようプログラムを書き込む。

 主機を通じて門番全員の無線を掌握しているため、この操作だけで他の無線機も穴埋めが完了した。

 ――認知無線かよ。よりによって高いの使ってんな。

 同じ要領で、正面と裏口の門番も順番に無力化していく。

 こうして、外の守りは一切の警報もなく沈黙した。

 ――それにしても、ARが標準装備なのか? 大内乱で銃刀法が緩和されて銃火器の携行が許可されたとはいえ、ここまでの武装、許可証なんて出るはずがないんだが。

 愚痴を一つだけ心の中でこぼし、Dは開いたままの窓から倉庫内を覗き込む。

 ――何も、いない? ここがターゲットって話だったが……

 目視では人気がない。だが、窓枠に触れれば、その瞬間に存在を悟られる可能性が高い。

 ――どう見ても犯罪現場だ。入らない理由にはならないな。


 そのまま開いた窓を通って内部に侵入する。

 Dがそのまま着地しようとした瞬間。倉庫の逆方向から非常に明るいマズルフラッシュが見えた。

 銃声。連射。高速の鉛弾がDを正確に狙う。

 Dはこれを着地時に匍匐体勢レベルまで重心を下げることにより、最初の30発程度を回避。右にフェイントして左に疾走する。

 その間も銃弾はDに向かって撃たれていた。

 ――機関銃じゃん! 銃刀法をご存知ない⁉︎

 背後の壁が蜂の巣になり、弾数と破壊力から、相手が使っているのがもはや兵器と呼ぶべき代物だと知れる。

 さらに、壁に燃え移る炎。塗料としてベンタブラックを使っていたのだろう。ほぼ完全な黒の世界では、たとえ迷彩を使っても、Dの外套のわずかな明度差が逆に目立つ。

 Dは機関銃だと判断した瞬間に跳躍し、天井の鉄骨に着地して射線を切った。

「すごいなぁ、単騎で来るのは驚いた。流石は世界に轟く焔式。一般兵器は対策済みってやつかぁ?」

 機関銃の射角からDが出たことによって、射撃主はガラついた声を出した。

 ――大当たり。

 酒に焼かれたであろうその声と真っ赤に光る眼。その特徴は界隈では有名な人物を指している。

「内乱戦犯、SSレート『炎獄』」

「おぉ! よくご存知で。だが、その名を口にしたやつには、お望み通りの地獄をくれてやらなきゃなぁ!」

 炎獄は愉快そうに言うと、Dがいると思しき座標を見据え、その場で拳を握りしめる。

 途端に、Dの周囲の空間から炎が噴き上がった。

 炎は瞬く間に竜巻へと姿を変え、巨大倉庫の内部を紅蓮で塗り潰す。

 吹き荒ぶ火花は、炎獄自身の頬もかすめた。

「襲撃者も所詮は焔式に頼る一般人。能力者に勝つことなどありえねぇ――」

 豪語した瞬間。世界は二分される――。

 火炎竜巻から一本の炎が一直線に伸び、炎獄の目前へと襲いかかった。炎獄は即座にバク宙で後退し、直撃を回避する。

「マジかよ、焔式の火炎耐性強すぎだろ!」

 その異常な現象が襲撃者の仕業だと悟った『炎獄』は、着地と同時に腰元から双子のハンドキャノンを抜き、空中で構えを取る。

「だが、これは無理だろ!」

 そう言ってその銃の引き金を引いた――。


 おおよそ拳銃では鳴り得ない爆裂音。それが倉庫内を支配する。それは火炎竜巻をかき消して、Dの容貌を露わにすることになった。

 一方、『炎獄』はその反動で大きく後方に吹っ飛んで、さらに距離を取った形となる。おかげで、穴の空いた天井から差す月明かりに照らされたDを視認した。


 プラグスーツのように肉体美を披露する焔式の特殊スーツを着ているのは、なるほど特殊部隊の風貌だろう。そこまでは『炎獄』も予想の範疇だった。

 しかしながら、現実は『炎獄』の想像を遥かに超える。

 脳天と喉元に向かった銃弾を掴む腕。その腕は漆黒の鱗に覆われ、異形と表すべきもの。そして燦々と蒼く輝く眼。それは能力者であることの証明だった。


「能力者、だと……⁉︎」

「おかしいか?」

「おかしいに決まっているだろ! 500万人を虐殺した東京大内乱、その一番の被害者が政府の犬なんぞやってる⁉︎ 戦死者に失礼通り越して冒涜だ――」

 ――お前も俺にその言葉を浴びせるんだな。

 『炎獄』が怒号を叩きつけた、その刹那。

 Dは一歩で懐に踏み込み、炎獄の喉を貫くように指先を差し込んだ。

 神経に触れる位置に、小型のICチップを埋め込む。

 糸の切れた人形のように、炎獄の身体が崩れ落ちる。それでも口元だけは動き続けた。


「お前も知っているはずだ! 軍部が穢人に何をしたか! 迫害の日常を忘れたとは言わせるものか! 虐殺の結果を今なお見ているだろう! なぜ邪悪な政府側についた、この裏切り者が!」

 もはや口しか出せない『炎獄』は、Dに糾弾の嵐を浴びせ続ける。

 それに対して、蒼き眼の化け物は冷徹に口を開く。

「勘違いが甚だしいな、『炎獄』。悪とは弱き者。正義とは強き者。これは人類史上、覆しようのない真実だ」


『Dより通達。ターゲット『炎獄』の無力化達成。そろそろ警察が来る時間になる』

『Eより報告。こちらは能力者不在。全員無力化して放置中』

『了解。任務完了。撤退だ』



 そうして二人の影は闇に消えていく。彼らの所属する組織は、八咫烏。それは天皇直属の暗部組織。はるか昔、神武天皇の時代から代々天皇のみに仕え、日本を支えてきた陰の組織である。


 残ったのは無力化された現行犯のみ。そして世間には逮捕された結果だけが待っている。

 荒れ狂った東京大内乱から八年。

 経済は復興が完了したものの、未だ人々はその禍根を捨てきれていなかった。


 しかし冷酷にも時は流れてゆく。風化するものもあれば増長するものもあった。ただ忘れてはならない。平和とは戦争の休止期間に過ぎないことを。

 ――俺は二人のためならば、どこまででも地獄の道を進むことができる。

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