二十五本目:無窮の空

「分かるか達桐……これが部を背負って戦ってきた俺の剣だ」


 すれ違いざまに、部長が言葉を突き付けてくる。ぐうの音も出ない。まだ腹に衝撃が残ってる。まるで五代部長がこの剣道部で積み重ねてきたモノを叩きつけられたような。


「……強い、なぁ」


 悔しさとか、そんな感情は湧いてこなかった。これは純粋な敬意だ。総勢三十名を超えるこの剣道部をまとめ、背中を見せ、導き、戦ってきた男の剣だ。重くないはずがない。


 それに比べて、僕は、僕たちは、なんて幼稚なんだろうか。


 自分たちの都合で部員に迷惑をかけて、ワガママを言って。そもそも八咲は、どうして部長に勝負を挑んでまで、僕の復帰を望んだのか。一緒に稽古をするという『夢』のためなのは分かってる。でも、違和感はあった。


 焦っているようだったから。

 

 八咲を見る。当たり前だけど僕の違和感を解消してくれるワケがない。

 ただ、信じていると言わんばかりに、僕をまっすぐ見つめていた。


「……変なヤツ」


 普通、取られたら何か声を掛けるだろ。武道の応援となったらマナー的にはよくないらしいけど、部活動となったらそんなマナーなんてあってないようなものだし。


 なんであんな、透き通った目ができるんだろう。自分を貫こうとすることができるんだろう。誰が敵に回ろうとも、自分を決して曲げないというその信念が、どうしても眩しくて。手を伸ばしてみたいと思ったから、僕は八咲の言葉に乗って戦っているのか。


「そう、か」


 僕は濁っていたんだ。自分のためと、八咲の夢のため。二つを原動力にしていたから、どっちつかずでブレているのかもしれない。部長の背負ってきたものに負けてしまうんだ。


 ならば。今僕がどっちに魂を捧げるべきかは、迷う余地なんかなかった。

 八咲。君は本当に不思議な女の子だ。不思議というより、おかしいというべきか。


 正気の沙汰じゃない。ハッキリ言ってやることなすこと、考え方とか思考の方向性とかがイカれているとしか言えない。


 君が本当に分からない。

 それでも、僕は君ほどまっすぐに進もうとする人を知らない。


 だから、そうだ。僕は知りたい。君のことを。

 君の夢をもっと聞きたい。君を知りたい。君のために、僕は剣を振ろう。


 今ここで振るう剣を。この世界で君に捧げよう。

 なぁ、どうか頼むよ。その透き通った瞳で、見ていてくれ。

 

 息を吸う。息を吐く。竹刀を振りかぶり、ゆっくりと頭上から降ろしていく。

 もう一度息を吸って、止めた。瞬間、世界が雲に包まれたように白く染まった。


「二本目ッ」


 白い世界の中には僕と竹刀と部長だけ。他には何もいらない。

 八咲はきっと、僕が描く剣閃を見ていてくれるだろうから。


 それだけあればいい。他は捨てろ。僕を捨てろ。剣になれ。純粋に、無垢に、研ぎ澄まして、研ぎ澄まして、一振りで良い。それで折れていいから。




 僕よ、剣になれ。

 八咲のための、剣になれ。




 この時、僕は気付いていなかった。息が止まっていた。瞬きも。

 ひょっとしたら心臓も。


 人としての機能を捨て、剣として生まれ変わる。

 唯一捨てられなかった機能は、汗を流すことだけだった。


 部長 が、 前、  に       出           。


「メェェエエエエンッッ!」


 白の世界が、蒼に包まれた。僕が飛び出した先は──雲一つない、無窮の空だった。


 全細胞が反応──いや、反射した。飛び出そうとした部長のさらに先を取る。振り抜いた。渾身の打突。確かな手応え。


 瞬間、僕の体に稲妻が走った。

 全身が歓喜している。

 眼前に広がる無窮の空を自由に飛び回れる──至高の喜びに打ち震えていた。


 なんだ、今の感覚は。自分でも何をしたか分からない。ただ、自分が自分じゃなくなったような、新しく生まれ変わったような。


 迸った未知の快感。その余韻を味わいながら残心を取り切る。


「メ、面アリッ!」


 上がる赤旗。三本。八咲と刀哉が惜しみない拍手を送ってくれているのが見えた。

 同時だった。試合終了のブザーが鳴った。


 一本同士。引き分け。次鋒と副将は二本負けだから、取得本数も、勝利数も同じだ。

 ふらついた足取りの部長と開始線で竹刀を合わせ、蹲踞して納刀。立ち上がり、三歩下がって試合場を出る。未だに呼吸が荒い。思い出したように、足から力が抜けた。


 倒れそうになったところを、誰かが腕を回してくれた。


「見事だったよ、達桐。最後の一本は本当に素晴らしかった。思わず見惚れてしまった」


 完全装備の八咲が、僕の体を支えていた。


「後は任せ給え」

「え、でも、引き分けじゃ」

「おいおい、完全にスコアが同じなら──代表者一名による代表戦だろう」


 あ、そうか。だから八咲が……って、あれ、刀哉は?

 と思ったら、首に衝撃。


「やるじゃねぇか剣誠ぇ! シビれる相面だったぜオイ!」


 誰だと思ったけど、こんなことをするヤツは世界に一人だけだ。面と小手を外した状態の刀哉が僕にヘッドロックをかましていた。やっぱりか。


「ゲホ……ぼ、僕も無我夢中で、何が何だか……」

「いや、マジで良かった。今までおまえの剣は散々見て来たけど、一番気持ちが乗ってて、一番かっけぇ打突だった。そうだよ、アレが、俺の倒したい相手の達桐 剣誠だ」

「──」


 胸が疼く。言葉を失う。何を言えばいいか、分からない。

 ただ、止め処なく、瞳から勝手に感情がせり上がってきて──。


「ん? おい、何泣いてんだ剣誠おまえ」

「う、うるさい。なんか、もう、泣けてきて……」


 もう分かんない。感情ぐちゃぐちゃだ。分かんないのに涙と鼻水が止まらない。拭うために面を外そうとしたら、


「仲良しなことは結構だが、代表戦は私が出るぞ、文句ないな」


 八咲が首を鳴らしながら、振り返らずに告げた。


「ああ、いいぜ。でも……やれんのか?」

「心配無用だよ刀哉。達桐の祝いをせねばならんからな──瞬殺を約束しよう」


 待ちきれないとばかりに白線のすぐ後ろで立つ八咲。睨むは先ほどまで試合をしていた五代部長。試合直後で疲弊しているかもしれないが、一ノ瀬先輩が負けている以上、実力から言っても五代部長が出るしかない。それがレギュラー陣にとって現状で最も勝率が高いから。


 しかし、五代部長でも八咲には敵わないと既に証明されてしまっている。

 つまり、もう、この試合は決着しているのだ。


「クソ……クソ、おまえら」


 それが分かっているから、五代部長は面越しにこちらを睨みつけてくる。


「抜き給えよ、五代部長。せっかくの逢引きで乙女を待たせるとは、紳士失格だぞ」

「八咲ィィィ……」


 結果は、火を見るよりも明らかだった。



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