「敵は本能寺!」で転生したイージス艦長の明智光秀。現代防衛論と遅滞戦術で「中国大返し」を迎撃し、三日天下を回避する
月神世一
第1話
本能寺のイージス
「いいですか、代議士。技術開発は『未来への投資』などという甘っちょろいものではない。『生存への保険』だと言っているんです!」
東京、市ヶ谷。防衛省、統合幕僚監部の一室。
蛍光灯の寒々しい光の下、海将補・坂上真一(さかがみ しんいち)の怒号が響いた。
50歳。白髪交じりの短髪。制服の胸には防衛記念章が並ぶ。
かつてイージス艦の艦長として海を守り、今は装備庁との折衝役として、現場の自衛官が使う装備の開発指揮を執っている。
目の前の政治家は、面倒くさそうに安物のコーヒーを啜りながら手を振った。
「坂上くん、君の熱意はわかるよ。だがね、予算のパイは決まってるんだ。現場の安全? 精神論でカバーするのが自衛隊の伝統だろう?」
プツン、と。
坂上の脳内で、何かが切れる音がした。
祖父は特攻で死んだ。
「お国のため」という美名の下、リターン・チケットのない機体に乗せられて。
二度と、あんな真似はさせない。そのために俺は、最新のレーダーを、迎撃ミサイルを、鉄の盾(イージス)を求めてきたんじゃないのか。
現場を知らない背広組。
票のことしか頭にない政治屋。
そして、事なかれ主義の上層部。
――ああ、そうだ。
外敵よりも厄介なのは、いつだって内部の無理解だ。
坂上は机をバン! と叩き、立ち上がった。血圧が急上昇し、視界が明滅する。
「ふざけるな! 現場の人間を何だと思っている!」
「な、なんだ君は! 誰か!」
「最大の障害はここにある……! 我々の足を引っ張る獅子身中の虫どもめ!」
薄れゆく意識の中で、坂上は、歴史上の有名なセリフを皮肉として叫んでいた。
「――敵は、本能寺にありッ!!」
激しい胸の痛み。
崩れ落ちる体。
床に広がるコーヒーの香り。
(ああ……俺もここで、沈むのか……)
それが、坂上真一としての最後の記憶だった。
***
熱い。
異常な熱気だ。
ダメコン(ダメージ・コントロール)班、何をしている。火災警報が鳴っていないぞ。
坂上はガバッとはね起きた。
CIC(戦闘指揮所)の空調が故障したのか? いや、違う。
鼻を突くのは、電子機器が焦げる化学的な臭いではない。
木材と、畳と、そして……鉄錆と血の臭いだ。
「殿! 殿、お気を確かに!」
誰かが肩を揺さぶっている。
坂上は目を見開いた。
そこは会議室ではなかった。
燃え盛る木造建築の中だった。
爆ぜる火の粉。崩れ落ちる梁。
そして目の前には、具足をつけた武骨な男が、鬼の形相で自分を覗き込んでいる。
「……状況報告(シチュエーション・レポート)」
坂上の口から出たのは、長年染みついた自衛隊用語だった。
男は一瞬きょとんとしたが、すぐに興奮した様子で叫んだ。
「は、はっ! 上様……織田信長の首、討ち取ったりにございます! これで天下は我ら明智のものですぞ!」
オダノブナガ。
アケチ。
坂上は自身の腕を見た。
使い込まれた籠手(こて)。指の間にある、見慣れた剣ダコ。しかし、肌の質感が違う。
近くにあった手桶の水面に、自分の顔を映す。
そこに映っていたのは、ロマンスグレーの海上自衛官ではない。
髷(まげ)を結い、額に汗と煤をつけた、知的だが神経質そうな初老の武将――。
明智日向守光秀。54歳。
「……なるほど」
坂上は、イージス艦の艦長席で数々の修羅場をくぐり抜けてきた男だ。
パニックは起きなかった。代わりに、冷徹な理性が高速で回転を始める。
(俺は死に、この男になった。あるいは、記憶が混濁したか。だが、現実はここにある)
周囲を見渡す。
燃えているのは本能寺。
自分は謀反の首謀者。
時刻は……空の明るさからして、早朝か。6月2日。
坂上は立ち上がった。
腰に差した刀の重みが、妙にしっくりくる。北辰一刀流の心得があるせいか、体の重心操作に違和感がない。むしろ、50歳の現代人の肉体より、戦国武将の体の方が強靭ですらある。
「殿? いかがなされました、涙など流されて」
家臣――おそらく明智秀満か――が心配そうに声をかける。
坂上は無意識に目元を拭った。
泣いているのではない。
絶望しているのだ。
(信長を殺した。……ということは、詰んでいるじゃないか)
歴史オタクでなくとも知っている。
この後、備中高松城から羽柴秀吉が驚異的なスピードで戻ってくる。「中国大返し」だ。
そして11日後の6月13日、山崎の戦いで明智軍は敗北。
光秀は落ち武者狩りに遭って死ぬ。
在任期間、わずか十数日。
世に言う「三日天下」。
(俺に、また「負け戦」を指揮しろというのか。祖父のように、無意味に散れというのか)
ふざけるな。
坂上の奥底で、ドス黒い炎が燃え上がった。
現代で散々味わった、理不尽への怒り。それが、戦国の世の理不尽とリンクする。
死んでたまるか。
俺は生きる。
この部下たちも、一人だって無駄死にはさせない。
秀吉がなんだ。天才軍師がなんだ。
こちとら、数百年分の「戦術ドクトリン」と「科学的合理性」を頭に叩き込んだ、技術開発官だ。
坂上は、血の付いた刀を強く握りしめ、燃える本能寺を背に振り返った。
その眼光の鋭さに、歓喜に沸いていた家臣たちが一斉に静まり返る。
海将補・坂上真一としての魂が、明智光秀の喉を震わせた。
「総員、傾注!」
ビリリ、と空気が震えるような号令だった。
「これより、本作戦は『強襲フェーズ』から『防衛フェーズ』へと移行する! 我が軍の目的は、天下統一にあらず。――生存圏の確保である!」
家臣たちがポカンとしている。
構うものか。
「秀満! 直ちに安土へ向かい、金銀および『鉄砲火薬』の全在庫を押さえろ。兵への分配は後だ、まずは兵站(ロジ)を確保する!」
「へ、兵站……?」
「補給だ! 急げ、猿(秀吉)が戻ってくるぞ。マラソン大会を開いてる場合じゃないんだ」
坂上は、懐を探った。
現代の記憶の残滓か、それとも奇跡か。
着物の袂(たもと)から、金色の包み紙が出てきた。
ライオネスコーヒーキャンディ。最後の一粒。
それを口に放り込み、ガリリと噛み砕く。
広がる苦味と甘味。カフェインの気配が、脳のシナプスを強制的に接続していく。
「状況開始(スタート)。……歴史(シナリオ)を、書き換えるぞ」
燃え落ちる本能寺の炎が、坂上の瞳の中で、紅蓮の決意となって揺らめいていた。
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