ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き
中島 茂留
第1話 数合わせの男
1月15日
午後3時
冬の陽は傾き、町役場の窓から差し込む光が、机の端を細長く照らしていた。
外の風は乾いて冷たく、街路樹の枝が軋む音が遠くまで響く。
町役場の第4会議室の蛍光灯が白く唸り、コの字に並べられた長机の上で、紙が静電気を帯びてかすかに震えていた。
この会議は、毎年恒例の「若手職員による企画会議」。
だが誰もが知っている…実態は、昭和の豪腕を気取る 町長・大迫が若手を「鍛える」という名目で貶め、己の威光を誇示するための場だ。
提案を出せば切り捨てられ、沈黙が支配する。もはや季節行事のような、寒風の儀式であった。
開始5分前。まだ誰も発言していないのに、室内には張りつめた緊張が漂っていた。
そこへ、廊下から「がははは」という腹の底からの笑い声が響く。
町長・大迫が厚手のコートを部下に放り投げながら入ってきた。
頬を紅潮させ、顔じゅうで「俺が主役だ」と言わんばかりの笑顔。
「がははは! おう、寒いな! 暖房もっと上げとけ!」
その声だけで、会議室の空気が一段重くなる。
椅子にどっかと腰を下ろし、腕を組み、にやりと笑う。
「じゃあ、始めようか」
静寂。時計の針が3時を指していた。
「町民人口を増やす。簡単じゃないが、何かあるだろう。はい、誰からでも」
農業担当の若手が、おずおずと手を挙げる。
「農業の担い手を全国から……」
「もう聞き飽きた」
町長の声が、途中で切った。
「10年前にもやった。結果はどうだ? 耕作放棄地が増えただけだ。」
若手の声が止まり、空気が萎む。
観光担当が続いて立つ。
「町の魅力をSNSなどで発信して……」
「発信? そんなものは発信する側の自己満足だ。人は来ない。」
資料の紙が一枚、風に押されて机から落ちた。誰も拾わない。
子育て支援の担当が勇気を振り絞って声を出す。
「出産費用の助成を拡充し、移住世帯へ……」
「金を配れば子が増えるなら苦労はせん。隣の市がどうなってるか見てこい。」
笑い声が広がる。だがそれは、笑うしかないという諦めの音。
提案するたびに切り捨てられ、発言の火は次々に消えていく。
議事録担当のペンが止まり、室内に時計の音だけが響いた。
沈黙……。
若手たちは目を伏せ、ページをめくるふりをして視線を逸らす。
そんな中、ひとりだけ顔を上げていた。
田嶋広海。38歳。若手というにはギリギリ?というところ。
環境衛生課、ごみ収集担当。普段は会議など縁がない現場の人間。
昨日の夕方、「定員が足りないのでどうしても」と頼まれたのだが、広海は「良いですよ」とあっさり引き受けた。
頼んだ本人が、思わず電話口で言葉を失うほど軽い返事だった。
作業服のまま入室したときの、あの視線の痛さは忘れられない。
「作業服で?」「若手って…」「場違いだろ」……そんな囁きが背中に突き刺さった。
だが今、広海の眼差しだけは違っていた。
冷え切った会議室の空気の奥、町長・大迫を真っ直ぐに見据えている。
そこにあるのは反発でも反抗でもない。
……ただ、胸の奥に秘めた決意の光。
その視線に気づいた大迫が、ゆっくりと顎を上げた。
「ん? なんだお前……」
腕を組み直し、薄く笑う。
「何か『良い提案』でもあるのか?」
くすり、と会議室の隅から笑いが漏れる。
広海は胸ポケットに手を当てた。
お守りの布の感触。中にある写真の存在を思い出す……あの日からずっと、形を変えずに胸の近くにある小さな重み。
その温もりを指先で確かめるようにして、呼吸を整えた。
ゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げる。
「この会議にお呼びくださってありがとうございます。」
大迫の眉がわずかに上がる。
その瞬間、会議室のあちこちで目が動いた。
誰もが、予想していた反応……弁解か、沈黙か……とは違う「礼の言葉」に、一瞬息を呑んだ。
「え?」と小さく漏らす者もいる。
空気が、ひたりと止まった。。
広海は、蛍光灯の光と冬の風の音を胸に集め、静かに口を開く。
「私からの提案は、『高額寄付型・生涯共生信託モデル』の提案です。通称……『ひきこもりの町構想』です。」
静寂。
ペンが転がり落ちる音が、やけに大きく響く。
町長の腕がゆっくりほどける。
誰も、笑わない。誰も、咳をしない。
外の風が窓を叩いた。
止まっていた空気が、ほんの少しだけ動いた気がした。
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