第2話 なりそこないの常夜国
***
福を求める人々は、次々と財産を棄捨してその虫を、「常世神」と祀った。
衣を捨てろ。食を捨てろ。家を捨てろ。
それらを持たぬものは自分の子どもでも捨ててしまえ。
贄を得た神はきっと福をもたらすだろう。
でも、どこに?
福を受け取る人々なんてもう残っていないのに!
「うわあああああああ!?」
真咲は飛び起きる。頭に響く絶叫が己の喉から出た声だということに気づくまで、しばし時間がかかった。
「あ、真咲!」
対照的に呑気な声が頭上から響く。それは紛れもなく、先ほど目の前で消えた友人、奏の声だった。
「奏……?」
真咲の視界に彼の顔が映る。見慣れぬ天井を背景に、奏は安堵の表情でこちらを見ていた。
「よかった、怪我ない? どこも気持ち悪くない?」
「……大丈夫だと思う。奏は?」
「俺も平気!」
ゆっくりと身体を起こして、周囲の様子を見渡す。
朱塗りの柱が目に痛い。和室のようだが、ひどく派手だ。
己の上に掛けられた薄手の布団を除ける。枕元でなんらかの香木の匂いがした。
「ここは……? 奏、何があった?」
「それがね、常夜国なんだって」
つい尋ねてはみたが奏から状況について明確な答えが返ってくるとは思わなくて、真咲の脳内にますます疑問符が浮かぶ。
「何て……?」
「えっと、何から説明したらいいんだ」
奏はたどたどしい説明で、光に包まれてから真咲が目を覚ますまでのことを話し始めた。
「まず、サナギがいたじゃん。光ってるやつ」
「うん」
「あれが神さま」
「え?」
「あー、神さまっていうか、神さまの成りかけ?」
「待って、話が全然入って来ない」
何回もやり取りを繰り返して、真咲は次のように言った。
「じゃあ……ここは神様に近い何者かによって作られている世界だけど、その神様は完全に力を得る前に退治されてしまって、中途半端に存在してるってこと?」
「そう! それで俺たちが、神さまの力を取り戻すのに協力するよう頼まれたってこと!」
「頼まれた? 誰に?」
「それは……」
奏の言葉の途中で、するすると襖が開く。
真咲の全身が総毛立った。なぜか、庭の蜜柑の木を見た時と同じ嫌悪感が襲ったからだ。
(逃げなきゃ……もしくは隠れなくては!)
本能が激しく警鐘を鳴らしていた。なぜかはわからない。
怖いものは怖い。
芋虫。それこそが真咲の最も忌み嫌うものであったが、目の前の気配から感じる恐怖はそれと全く等しかった。
「奏、ここから離れたい」
「えっ!?」
奏はなぜと言いたげに眉を下げたが、真咲の必死の形相を見て、追及をやめたようだった。
「わかった、どうすればいい?」
「反対側の襖から出ようと思う」
力を込めると、襖はあっさりと開いた。閉じ込められている可能性も考慮して強めに引いたため、真咲はバランスを崩してたたらを踏んだ。
「大丈夫!?」
「うん、行こう」
奏を引っ張って、廊下の先へ出る。
一本道の回廊が、どこまでも伸びていた。
「真咲、やっぱりまだ顔色が悪いよ。庭の木を嫌だって言ってたことと関係あるの?」
並んで回廊を駆けながら、奏が言う。
「たぶん。子どものころからずっとずっと芋虫が怖かった。芋虫がいる、あの木が怖かった。この世界にも同じ怖さを感じてる」
「芋虫の化け物が出て来るかもって心配してるの? でも、さっき会ったひとは人間の男の人みたいだったよ」
「神様に協力するよう言った人?」
「うん」
回廊の先にまた襖がある。奏が開こうとすると、真咲は強くおぞましい気配を感じた。
「奏、待っ……!」
静止の声はわずかに遅れた。放たれた扉から、黒い影が一斉に湧き出して来る。
影は崩れて溶けゆく虫のような形をしていた。
真咲の喉の奥で悲鳴が鳴る。奏が反射的に勢いよく襖を閉じるが、影にぶつかって弾き飛ばされた。
奏の苦悶の声が回廊に響く。奏、と叫んだ瞬間、周囲の空気がひやりと温度を下げた。
背後から金属が擦れる音がした。それが刀を抜く音だと知ったのは、だいぶ後になってからだった。
「動かないでね」
凛と、でも僅かに気怠さも含んだ声が響く。声音は少女のものだった。次の瞬間、銀桃色の髪が靡いた。
気づけば真咲の目の前に、何者かが背中を向けてどっしりと立っていた。小柄で、変わった和装を身に着けている。
その少女は深く腰を落とし、掛け声とともに刀を振るった。
斬撃は幾多の剣閃に派生し、虫の影を真っ二つに切り裂く。
影が跡形もなくなるまで、斬撃は続いた。
「んで、きみたちは? 斬っていい存在?」
すべての影が完全に消え去ると、少女は刀を構えたまま真咲と奏を交互に見た。
「よくないです!」
「斬ったらダメです!」
「ほんとだ。なんか変だと思ったら……人間じゃん」
気だるげに呟いて、刀を鞘に納める。真咲たちは緊張の糸が解けて大きく息を吐き出した。
「なんで生きてる人間がこんなところに? 自分の領分に帰んなさい」
「そりゃ、帰れたら帰りたいけど……」
奏が埃を払いながら立ち上がる。心配して駆け寄る真咲に、大丈夫、と笑ってみせる。
「俺は奏。こっちは真咲。光るサナギを見つけたら、なんでかこの世界にいて」
「光るサナギ……ねえ」
少女はしばらく考え込んでいる様子だった。やがて、小柄な身で真咲たちを見上げて言う。
「私は
「えんまそつ……?」
「地獄の番人、地獄の鬼。そんな言葉で伝わる?」
真咲と奏は信じられないとばかりに顔を見合わせた。
「そんなに肩に力入れなくていいよ。善行を積んだ人間にとっては、恐るるに足らない存在だし」
「善行……積めてるかな俺?」
「あは、生きているうちに精々励みなさい」
一果は長い着物の袖を揺らして、楽しそうに笑った。腰には大小二本差しの刀が存在感を放っている。
「その……一果さんはどうして地獄からここへ?」
「ん? 仕事だよ仕事。罪人が変な世界に逃げ込んで留まってるから、しょっ引いてこいって」
「罪人って、なにしたんですか、そのひと」
ちょっと待ってね、と一果は懐から紙切れを取り出して読み上げる。
「えーと? 罪状は、無垢なる民を扇動し破滅に導いた罪。きみたちに分かりやすい言葉でいうと……いわゆるカルト宗教の教祖みたいなものだね」
「やばい奴じゃないですか」
「そーだよ。それも大規模らしい」
一果の視線が再び書類に注がれる。続く言葉を聞いて、真咲の背筋が冷えた。
「祀っていた対象は、芋虫。もっとも彼らは、常夜神と呼んでいたみたいだけど」
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