数字にならない輝きを、俺たちはアイドルと呼ぶ 〜崖っぷち三人組と、左遷マネージャー〜
マスダカケル
第1話 アイドルは数字だけじゃない
「藤崎くん。君には、異動してもらう」
会議室の空気が、少しだけ重くなった気がした。
目の前のテーブル越しに座るのは、人事部長と
「異動、ですか」
かろうじて絞り出した声は、自分で聞いても頼りない。
人事部長が、手元の書類を軽くめくった。
「三人組アイドル・トライスター。知っているね?」
「名前と顔だけは」
「そこに“専属マネージャー”として入ってもらう。それから、彼女たちが暮らしている寮の管理人も兼務だ」
そこで言葉を切り、部長は苦笑いとも溜め息ともつかない息を吐く。
「ついでに言えば、ボディガードもだな。最近は物騒だから。女の子だけじゃ危ない」
「……俺、一人で、ですか」
思わず聞き返した俺に、隣の神楽坂が口を開いた。
「トライスターの数字は見たろ、藤崎くん」
低くよく通る声だ。
「再生数、動員、グッズの売上。全部、うちの中で最下位。半年で結果が出なければ、解散。そういう案件だ」
淡々と言い切る横顔は、やっぱりどこまでも冷静で。
あの日の光景が、自然と頭の中に浮かび上がる。
──数日前の定例会議。
壁一面のモニターに、いくつものグラフと数字が並んでいた。
「このユニットは好調。フォロワー前期比一三〇%。来期は露出を増やす」
神楽坂がリモコンを操作するたび、スライドが切り替わっていく。
「ここは横ばい。テレビ枠は維持、プロモーションは縮小」
誰も反論しない。数字が全てを決める、それが当たり前みたいな顔で。
あのときも、トライスターのスライドは一瞬で終わった。
「ここは半年で見切る。以上」
それだけ。彼女たちの名前も、ステージの映像も出てこない。
その瞬間、気付いたら俺は手を挙げていた。
「あの……」
会議室の視線が、一斉にこっちを向く。心臓が嫌な音を立てた。
「新人くん。何か?」
神楽坂の視線は、それでも穏やかだった。だから余計に、引けなかった。
「アイドルは……数字だけじゃないと思います」
一拍、静寂。
誰かが咳払いする音だけがやけに大きく響いた。
「名前は」
「藤崎ハヤトです」
「そう。じゃあ藤崎くん、“数字じゃないもの”を、君はどうやって証明する?」
すぐには答えられなかった。
いくつものライブハウスを「見学」させられた、新人研修。
客席の隅で、推しのステージが終わるたびに泣きながらペンライトを振る女の子を見たし、出番を終えて、足を引きずるようにしながらファン一人ひとりに頭を下げていた無名グループも見た。
あの数字とグラフの中には、そんな光景も全部まとめて押し込まれている気がして、喉が詰まる。
頭には浮かぶのに、言葉にはならない。
「好かれているなら、金と時間が動く。動いていないなら、好かれていないのと同じだよ、ビジネスでは」
神楽坂はそう言って、スライドを先に進めた。
会議は何事もなかったように続いていく。俺の一言なんて、最初から存在しなかったみたいに。
──それが、数日前。
「……あの発言の件、ですよね」
気付けば、目の前の人事部長にそう口にしていた。
部長は肩をすくめる。
「まあ、全く無関係とは言わない。だけどな、藤崎。うちみたいな事務所にだって、現場で汗をかける若いのは必要なんだよ」
神楽坂が、そこで静かに続ける。
「“アイドルは数字だけじゃない”と言ったのは君だ。だからこそ、トライスターを任せる。半年で数字が変わったなら、君の言葉を信じよう」
「……変わらなかったら?」
「そのときは、君の理想論が間違っていたというだけだ」
きっぱりとした物言いに、喉の奥が熱くなる。
「それと、もう一つ」
神楽坂が、わずかに声のトーンを落とした。
「女の子三人と同じ屋根の下だ。あくまで君は彼女たちの保護者であって、ファンでも、恋愛対象でもない。一線を越えた瞬間、君も彼女たちも、この事務所も終わる。その自覚は持っておいてくれ」
分かっている。分かっているつもりだった。
俺は、ただ頷くしかなかった。
「……異動の辞令は今日付けだ。寮の住所と鍵はここに」
テーブルの上に封筒が置かれる。中身の重さ以上に、その紙切れが意味するものの重さに、指先が少し震えた。
◇
その日の夕方、俺はキャリーバッグを引きながら、地図アプリの矢印を頼りに住宅街を歩いていた。
ビルのネオンも、駅前の喧噪も遠い。静かな路地の突き当たりに、その寮はあった。
二階建ての、少し古びた建物。表札代わりのプレートには、「三ツ星寮」と印字されている。
ここが、彼女たちの家で。
今日から、俺の左遷先でもある場所。
胸の奥で、神楽坂の言葉がまた響く。
──“数字じゃないもの”を、どうやって証明する?
「……知らねえよ、そんなの」
小さく悪態をついて、玄関の前に立つ。スーツの内ポケットには、さっき渡された鍵の感触。
でも、その前に。
俺はインターホンに手を伸ばした。
一瞬だけ、指先が宙で止まる。
女の子三人。売れないユニット。解散まで半年。
数字にならない輝きを信じるなんて、きっとバカみたいだ。それでも。
「藤崎ハヤト、着任します」
誰にともなく呟いてから、インターホンを押す。
乾いた電子音が、静かな路地に響いた。
数秒後、ドアの向こうから女の子の声がした。
『は〜い』
その一言だけで、胸の鼓動が一段階、強くなる。
俺と、トライスターの物語が、ここから始まる。
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