第6章 断捨離

第26話 禁酒、禁煙、カフェイン断ち

 初めて脱退者が出たサンクタム・リボーン・オーダー。

 

 マナの覚醒レベルが足りない、なかなか上昇しない者がその対象になったとリゼが話していたから、残った8人のメンバーには安堵が広がっていた。

 それは同時に、今後も覚醒の度合いが悪ければ戦力とみなされず除外されるかも知れない、という可能性を孕んでいたのだが、リゼの聖母のような微笑みの前ではその不安が霞んでしまう。


 そして、オーダーとの集会が回を重ねるにつれ、リゼが具体的な話をするようになってきた。


「ここにいるみなさんはもう、マナ覚醒瞑想がうまく体に馴染んできて、徐々にマナコアが目覚め始めてきているのだと思います。

 なので、今後の話を少しだけしなければいけないのですが……」


 リゼはいつものように魔法陣の中央に立たず、正座をして座る。

 まるで村の偉い人の前であいさつをするような姿勢で、丁寧に、ひとつずつ話す。


「まず、最もみなさんが気にしているであろうことですが、リューゲンヴェルトに『行く』というのは、具体的には『転生』なのか『転移』なのか、私も表現が難しいです」


 その話の内容は、以前俺が聞いたものと同じだった。

 

 肉体を日本に置き去りにして、魂だけ異世界にやってきた人がいる。その場合、日本に残した肉体はおそらく植物状態と診断される。いずれは死亡とみなされるだろう、という概要をもう一度聞く。


「なのではっきりとした言葉は存在しないのですが、みなさんが分かりやすいように、ここでは便宜上『転生』という言葉で表現させてもらいますね。

 決して死ではなく、移動でもない──当事者の私が言うのもなんですが、不思議な現象ですね」


 生々しい説明を聞く8人の仲間たちの表情は、一様にこわばっていた。

 フィクションの世界ではよく、トラックに轢かれた主人公が女神に導かれて異世界に転生──という展開が使われているが、現実でそれを実行するのはそう容易ではないらしい。


「もちろん、不慮の事故や病死で転生してきた人もいますが、そういった偶然の結果ではなく故意で同じことをするので、面倒なステップが必要なのです。

 色々書かせたり、瞑想をお願いしたり、ややこしくて本当にすみません」


 苦笑いをするリゼに、みんなが同時に首を振る。

 そういった静かな一体感も、この数ヶ月の間に8人の間に生まれていた。


「私はリューゲンヴェルトの占い術師とマナフィールドの預言を得て、その『魂のみを別世界に移す』やり方を教わり、今みなさんに実行してもらっています。

 魂だけの転生ではリューゲンヴェルトに肉体が用意されていないので、転生時に構築されることになります。それを事前に具体的なイメージにしてマナコアにしっかり呼びかけて、理想通りの姿でリューゲンヴェルトに降りられるよう、みなさんに転生構築綴リビルドレイヤーを書いてもらっていました」


 リゼが目の前にすっと人差し指を立てる。

 俺たちを、正しいと信じる場所に導いてくれるように。

 

「次はもっと大きな幅になり……転生のための準備を本格的に行います。

 マナレベルを高める行為のひとつなのですが、みなさんには依存性のある嗜好品を絶ってもらいます」

 

 疑問と、意味を理解した者の不安が、一瞬で部屋を満たす。俺は前者寄りだった。

 カイルとジルのふたりと顔を見合わせて、「依存性のあるって?」と小さな声で言う。


「依存性のある嗜好品とは、いわゆるお酒、煙草、カフェイン……そして嗜好品以外だとサプリメント、お薬、エナジードリンクなど。

 そういったものを、みなさんには少しずつでいいのでゼロにして欲しいのです」


 さらに広がる8人の不安の声。カイルは俺の隣で「毎日モンエナ飲んでるのに」と絶望の表情でぼやいた。

 俺も酒はよく飲むし、煙草も毎日ベランダで吸ってる。体に悪いとは分かっているが、ストレスがどうしてもやめさせてくれない。

 

「常備薬がある方もいるはずだから、難しいと思います。ですが、これは正直、絶対に実行して欲しいのです。

 なぜなら、マナは血液を媒体にして体の隅々まで循環し、魔法を皮膚から体外に放出させています。さらにマナが生み出した毒素を濾過するのは、通常の代謝と同じ肝臓です。

 これからみなさんがマナ覚醒修行をするにあたって、アルコールやニコチンは血液の流れ……つまりマナの流れを濁らせてしまいます」


 ざわめきが少し落ち着く。リゼの分かりやすい説明に、頭の中の考えが整えられてゆく。

 

 魔法が発動する処理の効率が悪くなるということか、と俺は納得した。

 リゼの説明を理解するまでのスピードが速くなったあたり、ここにいる全員にマナ覚醒瞑想の効果が出てきているのだろう。


「禁止、というよりは『準備』と思ってください。せっかくみなさんがここまで磨いてきたマナですから、人工物や薬品で純度を下げてしまうのはもったいない。

 少しずつでいいのです。お酒を飲みたくなったら覚醒瞑想をしたり、自分が書いた転生構築綴リビルドレイヤーを読んでみたりと、異世界へマナコアのベクトルが向くように意識してみてください。

 効果を高めるために、睡眠時間も必ず7時間は確保するようにして、軽い運動もぜひ行ってください。睡眠と運動は脳を活性化させる効果がありますし、そうなれば瞑想もより集中して行えるでしょう。

 そうしてクリアになった血が純度の高いマナを体中に運び──異世界に魂を引き渡すための『器』として完成されます」


 にっ、と不敵な笑みを浮かべるリゼ。


 まるで、肉体はただの器で、重要なのは中に盛られる料理なのだとでも言わんばかりに。

 そしてその料理こそが、豪華な食器で飾られていない真の魂なのだと論ずるように。


 本格的に、俺たちに次の世界へ渡る準備をさせてくれている。

 高揚感と誘導されている心地よさに震えながら、俺はジルと目を合わせた。

 彼の整った顔が俺をみとめて、同じように好奇心に満ちた笑顔をこぼした。



   ・ ・ ・



 リゼの言う「依存性のある嗜好品」は、大抵急にはやめられない。

 そのことについてリゼは「いきなり無くしてはいけません、離脱症状もありますし」と、俺でも知っている用語で庇っていた。


 コーヒーを朝から夕方までがぶ飲みし、仕事帰りには毎日酒をあおり、毎日5本から10本はベランダと喫煙室で煙草を吸う。

 いざ、と意気込んでカフェインを急にやめると、毎日のようにひどい頭痛がした。昼間でも眠気が取れなくなり、ろくな仕事ができなくなった。


 職場での俺の居場所は猫の額だが、次の居場所がもう確約されているから、どうでもよかった。

 俺は分厚くなった転生構築綴リビルドレイヤーの完全版に、理想の異世界生活を毎日食らいつくように書き込みながら、猫の額での仕事を甘んじて受け入れられた。


 カフェインの離脱症状は2週間で消えたが、それに懲りて酒は少しずつ減らしながらやめていった。3日に2日に減らすことから始め、煙草も同じように1日1本ずつ減らした。

 我ながら、こういったタイプの計画を作るのは得意だと思う。


 結局俺を動かしていたのは「ちゃんと酒を減らせた、誇らしい」「今日もコーヒーを飲まずにいた、俺は正しい」という自己評価ができるようになったことかも知れない。


 マナの流れを濁らせないため、というよりも、自分で自分に課した約束を自分で守れるというのは気分がいいのだと、ようやく気がついた。


 そしてそれは──間違いなく、正しいことなのだ。

 だから俺は続けられた。



 酒や煙草に逃げなくなったぶん、日々のストレス解消や現実逃避、ぐちゃぐちゃになった思考の整理方法はもっぱらマナ覚醒瞑想になった。


 転生構築綴リビルドレイヤーを書くこともいい気晴らしになったが、どちらかというと妄想を形にするアウトプットの作業だ。

 マナ覚醒瞑想はむしろ、自分の中で小さな火をともしはじめた風魔法のマナとの対話、インプットに近かった。

 そして、未知の存在との静かな対話は、耳を丁寧に傾けなければいけないぶん、心が無風の空間で水の上にいるように静かになった。

 

 効果はずっと効いたままで、イライラすることや落ち込むことがなくなり、誰かに舌打ちされても気にならなくなった。

 それどころか笑顔で「まあ、お前はこの国でしか生きられないんだから、仕方ないよな」と呟いて、さらりとかわせるようになった。


 俺たちオーダーの人間以外の、マナコアを持たない、特別な力を約束されていない人間が堕落するのは仕方ない。仮に異世界に転生するとしても、何もスキルを持てずにすぐやられてしまうから無理なんだ。


 駅で体の大きなおじさんにぶつかられた時、そう思いながらにたりと笑って振り返ると、相手は不気味なものでも見たような目で逃げ去った。

 その背中を見て一瞬感じた身体の重さを、俺ははっきりと感じ取ったが、それに名前をつける前に笑い声をあげていた。

 

 追い返せた。いつもやられてばかりの俺が。

 楽しくなって、俺は内心で相手を慰めながら笑い返すことに慣れた。

 慣れないことに慣れてしまったから、慣れなかったことが何だったのか、もう思い出せない。


 ネガティブでマイナス思考だった俺にとって、毎日イライラしたり死にたくなったり誰かに甘えたくなったり消えたいと願ったりしていたあの感情は、ただただ体力と精神力を消耗するだけの無駄な行為だということに気づいた。


 これは革命だ。

 穏やかな思考は人生を変える。

 今日も街を歩けば、風が強く俺の背中を押している。


 そうだ。風だ。

 俺は、風魔法の弓使いだ。

 リゼがそう言ってくれた。貴重な戦力だと。

 矢は遠くにいる相手も居抜き、風に乗って言葉を誰かに届ける。


 酒や煙草をやめたこともあってか、体調がすこぶる良く、体がふわふわと軽い。

 頭は瞑想のおかげで冴えているし、空が青く高い場所にあるということに何十年かぶりに気がつけた。

 心は以前より遥かに穏やかになり、森の中を流れる小川のように透き通って、汚い感情をそこに流してしまえる。

 そんな俺のために、異世界という幸福な未来が約束されている。


「俺は────人生で今が一番、最高だ!!」


 そう叫びながら駅の階段を二段飛ばしで駆け上がった。女子高生のグループが叫びながら飛び退いた。


 もうこんな国に用はない。元々、俺とは波動が合わない世界なんだから。


 俺はリューゲンヴェルトを目指す。

 そのためならなんだって捨てられる。

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