第20話 仲間がいる

 涙を服の裾で拭きながら室内に戻ると、ジルの前に二人の男がいた。


「おー、なんの話だったんだ?」


 俺の目の端はきっと赤くなっているだろうに、ジルはそれに気づかないふりをしてくれている。

 それを分かっていた俺は、曖昧に笑いながら「今後の話についてな」と言った。


「そっか。で、いきなりあれなんだけど……この人たちも『龍まほ』好きなんだって」


 ジルの前に座っている男二人が、人見知りらしくおずおずと頭を下げた。


「カイルです、よろしく……」


 一人はここにいる大勢と同じ、清潔感のない髪と服、ボサボサの眉毛、伸びた爪が目立つ四十近い男だった。

 俺も人のことが全く言えないから、何も指摘できない。せめて爪は切っておこうと自分に言い聞かせた。


「俺はレンです。『龍まほ』はアニメ見てただけなんですけど、あれ面白かったですよね」


 もう一人はどちらかというとジルに雰囲気が近い、最低限服装はちゃんとしている青年だ。レンなんていう中二病な名前を自分につけるあたり、明るいオタクといった印象がある。


 俺、ジル、彼を通じて知り合ったカイルとレン。

 不思議な出会い方をした4人が魔法陣の隅に集まって、同じアニメが好きという共通点の元、雑談をしていた。


「なんでこのオーダーのことを知ったんだ?」

「俺はDMが来て……」

「講演会に行ったらリゼさんがやばすぎてここまで来た」

「すごいよな、リゼさんって。かっこいいし、リーダーって感じだし、銀髪も綺麗だし」

「あんな胸でかい人いるんだな、嘘乳かと思った」

「さすがにないだろ。どこのグラドルかって……」


 段々と話が下衆な方向へ走り出しそうになった時、背後から俺とジルの頭をぎゅむっと押さえつけた人物がいた。


「こらこらこらこら、リゼ様のお胸について言及するとは下品すぎる」

「ご、ごめんなさ……」


 ライナだった。彼はけらけらと笑いながら、俺たち4人の輪に加わって座る。

 いつの間にか敬語が取れた彼に、俺たちも自然とタメ口で話すようになる。


「気持ちはわかるけどなー。俺だってあのビジュと胸で近所の町娘とかだったら、絶対求婚してたね」

「ライナさん、上司の見るポイントがそこかよ……」俺は呆れて肩を落とす。

「俺は逆に、今まで恋愛なんてしたことなかったから、あっ、あんな人が近くにいたら気後れして近づけないって……」


 カイルがどもりながらそうぼやくと、ライナがにっと笑った。


「ああ、でもカイル、好きな人はいたんだろ? 高校の時に」

「えっ……」


 顔を上げたカイルの太くて剛毛な眉毛が最大限吊り上がって、いっぱいまで目が見開かれる。

 状況が分からない俺たちを差し置いて、二人で話が続けられる。


「一年先輩だったんだろ。そうやってちゃんと人を好きになれる気持ちはあるんだから、そこは否定しなくてよくね?」

「な、なんで……俺が先輩のこと好きだったって……」

「そりゃもちろん」


 ライナはスポーツジムのCMに出てそうな笑顔でウインクをする。


「俺は『神眼』の能力者なんだ。ただの鑑定士ってだけじゃなく、この世にある全ての情報を把握して真実を暴く。

 会ったことがある人の過去を見ることも、未来予知もできる。戦いを有利にするし、常に嘘を見抜く」


 俺の隣でジルが「すっげえ……」と呟いた。

 

 俺も「神眼」という言葉自体はファンタジー作品で何度も見たことがあるが、目の前で初めて会う人の過去を暴かれる一部始終を見ると、信じざるを得ない。

 先刻、リゼが咲優輝の情報を事細かに把握していることを知らされたばかりだ。

 

 おそらく、単純な能力値だけで言えばライナの方が上なのだろうと、リゼが彼より鑑定に時間がかかったことからうかがい知れる。


「えっ、じゃあ、俺のことは?」レンが楽しそうに言った。

「レンは彼女いただろー。そんなん見なくても分かる。かっこいいもん」

「雑! 確かにいたけど! てか今は彼女いなくてもどうにかなってるし!」


 爆笑するレンの言葉に、気づかないほど一瞬、ライナの口元が揺れた。

 だが、俺がそれに違和感を持つより早く、彼は「結局いたんじゃん!」と笑った。

 

 気のせいか、と思った時、ライナが俺の方を指さして言った。


「ユキ……あ、さん付けるの忘れてた。ユキ先生の方がいいかな?」

「い、いや、いいよ、呼び捨てで……」

「そっか! じゃあユキな! で、俺が『視えた』ことだけど……」


 彼は少し表情を緩めて、古い友人に話しかけるような声になった。


「ユキは子供の頃、親父さんが出ていったんだよな?」

「え……」


 脳裏に浮かぶ、優しい笑顔。

 泣き出す母親。

 知らない人と電話で話す背中。

 夜に居間で小さな声で話す声。


「辛かったんだろうな。ユキが一度、秋に家出したっていうところも視えたよ。

 今でも、その親父さんが元気にしてるか、気にしてるんだろ?」


 相手を慮る優しい眼差しを向けられて、鼻の奥が痛んで。

 俺はつい、目線をそらしてしまった。


 身の上をライナが神眼で見ていた、ということよりも、自分がこんなにもはっきりと父親の背中を覚えていることの方に驚いた。

 リゼに咲優輝のことを暴かれた時とは、また別種の感情だった。


「……別に、あの、気にしてとかじゃなくて……」

「ああ、そっか。おれと同じなんだな、ユキ」


 俺の隣に座っていたジルが、ぽんと俺の肩に手を置いた。


「おれも両親が離婚してんだ。父子家庭だったから逆だけど、苦労するってことは分かる。

 親のことで子供の頃に色々あると、大人になってもずっと引きずるよな、分かるよ、ユキ」


 小さく肩を揺さぶられて、心臓の奥底で眠らせていた感情が寝返りをうつ。


 ──分かるよ、なんて。

 人生で一度も言われたことがなかったのに。


 ジルの慈しむような笑顔を見返すと、目の前のカイルも「お、俺も」と追随した。


「ちょっと違うけど、親が鉄拳制裁肯定派だったから、な、殴られてばかりで……。

 だから、親にされてきたことを他人にはやりたくないって、ずっと思ってて……」

「ああ……視えてるよ。テストで95点以下だったら蹴られてたんだろ?」

「そ、そう……! ライナさんすごいです、そんな細かいとこまで……」


 俺は先刻、リゼの前で流した涙がまたこみ上げるのを感じた。

 ライナの能力はすごい。だがそれ以上に、ライナの言葉で海のように深い安心感を知って、それに驚いてる自分の心に一番、驚いた。


 ライナも、カイルもジルも、俺の痛みを分かってくれている。

 家出とか中二病すぎ、と馬鹿にしない。

 親のことなんかほっとけよ、と軽く見ない。

 いつまでも引きずってる、と笑わない。


 理解して、共感して、受け止めてくれる。


 そのことに対する充足感が、儀式の日、リゼたちが手に持っていたランプに似ている。

 暗い部屋で、自分たちのためだけに照らしてくれる、穏やかな灯り。


「……え、すごいな、そんな毒親ってガチでいるんだ。俺の親も、俺の周りもそういうのなかったから、ちょっと衝撃なんだけど」


 レンが口元に手を添えて、本気で信じられないといった表情で言った。


 毒親、と言われた事に対して多少、違和感があったのは俺だけじゃないらしい。

 誰もが何も言えずにいると、ライナが明るく笑って場を緩めた。


「まあまあ、やばい親ってのはいつの時代にもいるもんだって。レンはあんまり親のことで悩んでたりしてなさそうだもんな」

「まあ、そりゃ人並みに反抗期はあったけどなー。正月にしか会わないから、もう他人みたいなもんだよな」


 へらりと笑って見せたレンに、ライナが笑って話を続ける。

 だが、俺は胡座を組んだ足を整え、少しだけ角が折れた消しゴムのような違和感をいつまでも弄っていた。


 俺なんか、正月どころか、何年も会ってないけどな……。


 もちろん、あえて口には出さないが、黒い墨で薄く覆われたようなその感情を自分が持っていることに気づき、自分をひたすらに嫌悪した。


 嫉妬、とか、嫌味、とか、疎ましい、とか。


 そういった薄い墨に本当は気づきたくなかったから、俺は服の裾を握る手に意識を集中させて耐えた。



 レンは集会の終盤、早めに荷物をまとめて「このあと友達と飲みに行くんで」と言って帰っていった。


 ライナはその背中を、いつもと1ミリも変わらない笑顔のまま、手を振って見送っていた。

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