第4章 転生構築綴
第15話 風で飛んだ
「……てか、これ、先週も同じミスしてませんでした? 二つの案件を同時進行でやってるとやりますよね。紅河さん、ほんっとにマルチタスク苦手なんですね。
全く同じ内容で始末書書くってことですけど、頑張って下さい」
元部下だった上司はそう言って、タブレットから始末書のテンプレートを俺のパソコンに送ってくれた。
うんざりしているのを必死で隠しているようだが、眉根が寄っていて嫌でも分かる。あるいは、分かるようにわざとやっているのか。
俺は騒がしい事務所で立ち尽くして、彼にちいさな声で謝った。
誰も俺を気にしない。似たようなミスを繰り返しては叱責される俺のことなど、取引先からもらった壁掛けカレンダーと同じとしか思われていない。
電話が鳴り、誰かが答える。キーボードの音が響く。ドアを開ける音。マウスの音。紙をめくる音。
無数の音に遮られ、俺の頭の中で響いていた声がかき消されそうになる。
『すごい……紅河さん、珍しい属性ですよ』
必死になって、その声を何度も何度も頭の中で鳴らす。
無機質な事務所の音や声で上書きされないように。
「風魔法の使い手……後方支援……自由な発想……言語化が得意……」
昨日リゼが話していたことを何度も口の中で繰り返しながら、俺は自分のデスクに戻った。隣に座っている若い男性社員が、眉を顰めながらこちらを見た気がしたが、無視した。
マルチタスクの事務仕事が向いていないのだとしても、俺にはもっと向いているものがあるんだ。
自分のミスを振り返る、というよりは機械的に入力しながら、俺は始末書を作成した。
・ ・ ・
リカバーのための残業を終えて、家の近所のコンビニに寄る。
弁当と缶ビール、ホットコーナーのチキンをレジに出すと、いつもこの時間にシフトが入っている若い大学生のバイトが、俺を見て言った。
「いつもの36番でいいっすか?」
「……ああ、お願いします」
ぺこんと頭を下げると、彼は俺が愛飲しているタバコのケースを持ってきてくれた。
一週間に一度、月曜に必ずこの銘柄を買うことを、彼に覚えられてしまっている。
家族でも友人でもない店員に顔を覚えられることは恥ずかしい。
だが、今更彼の好意を無下にすることもできず、俺は目の前で次々にバーコードを通されていく商品を見つめていた。
ビニール袋を下げてアパートに戻ると、ポストに大きな茶封筒が入っているのを見つけた。
なんだろう、と思いながらそれをずるりと引き抜くと同時に、後ろから声をかけられた。
「ちょっと、紅河さん!」
振り返ると、鼻先がぶつかりそうなほどすぐ近くに、大家さんがいた。
70を過ぎてそうなおばあさんで、会う時はいつも小言か、あるいは小言か、もしくは小言を言う人だ。
「今朝干してた洗濯物が風で飛んで、アパートの前まで落ちてましたよ! ほら、なんかテレビのキャラクターのハンカチ!」
大家さんはそう言って、土で汚れた俺のハンカチを目の前に差し出した。
車などに散々轢かれたのか、泥や砂がべったりとついている。
「あっ、す、すみません……」
「ちゃんと洗濯バサミでしっかり止めてもらわないと、もっと大きな物が飛んできたらご近所さんに迷惑だし、電線に引っかかって業者を呼ばないといけないことになるんですからね。
ましてやこんな、何かのキャラクターのハンカチって……まるで小さい子みたいじゃないですか。持ち主が紅河さんって分かったら、笑われますよ?」
夜で静まり返った住宅街に、大家さんの声が響く。笑われるようなことをしていると喧伝しているのは彼女なのに。
俺は少しずつ後ずさりしながら、胸元に茶封筒を抱えて、何度も頭を下げた。
「拾ってくださってありがとうございます。それじゃ、おやすみな……」
「このハンカチ見てすぐ紅河さんのだってわかりましたよ、うちに小さい子がいる入居者さんはいないし!」
「あ、はい、そう、ですよね……あの、それじゃ……」
内容のない話がいつまでも続きそうで、俺は適当な事を言いながら逃げるように部屋に戻った。
玄関のドアを閉めると、そこは俺のためにある優しい部屋だ。
ここは安全だ。誰も入ってこない。誰も俺を傷つけない。
入ってすぐ横の壁にある鏡を見た。
……疲れきって、夕方の髭が目立つ、髪も風で乱れた、着古したスーツを着た、どこにでもいるサラリーマンだ。
俺は手に握ったままだったハンカチを見た。
大好きな『龍まほ』の一番くじの景品で、同じ柄が出たからと片方は普段使いにしている。
「風で飛んだ……」
大家さんの言葉を思い出して、ぽつりと呟く。
俺がリューゲンヴェルトで風魔法の使い手になるという予告が、モザイクが少しずつ取れるように鮮明になってゆく。
ここでは強い風が人の迷惑でも──その風で人を救う方法があると、リゼが教えてくれた。
何かに導かれるように、俺は部屋に入って上着を脱ぐと、万年床の上にあぐらをかいて座り、届いた茶封筒を見た。
送り主の欄に「サンクタム・リボーン・オーダー」と書かれてあるのを見て、慌てて封を開ける。
中から出てきたのは、ノートサイズの薄い冊子だった。
数日前、サンクタム・リボーン・オーダーの集会で床に敷かれた魔法陣と同じ……に見えるものが、紺色の表紙に白字で印刷されている。
「あの時の……」
はやる気持ちを押さえ、冊子と一緒に入っていた手書きの手紙を読む。
『紅河雪人様
リゼです。お元気でいらっしゃいますでしょうか。
お仕事で大変だとは思いますが、同封した『
紅河さんのリューゲンヴェルトでの具体的な人物像を、脳内で具現化させるためのプロセスです。
イメージや言葉で作られた紅河さんの予想図が、より強く貴方のマナコアと共鳴し、実現しやすくなります。
本来はもっと分厚い冊子なのですが、こちらは慣れるための簡易版ですので、気軽にやってみてくださいね
リゼ』
「
これも耳馴染みのある語感だ。
手紙に書かれてあるとおり、薄っぺらいパンフレットのような簡易版だった。
少年心をくすぐる文字列に子供のような高揚感が止められなかったが、同時にわずかな不安も足の指先から這い上がってくる。
リゼが、リューゲンヴェルトに来て欲しい、と言っていた。
それは──異世界転移する、ということなのだろうか?
リゼが、俺たちを、あの部屋にいた男たち全員を、戦力として異世界に連れていってくれるのか?
そんなこと、本当に可能なのか?
いや、そもそも、俺みたいな半分天蓋孤独の人間ならまだしも……まともな人間だったらそんなの嫌じゃないのか?
友達がいたり、家族がいたり、やりがいのある仕事があったり、先の予定や未来の夢があったり────
──ああ、でも、そんな人はそもそも講演会の最後にさっさと帰ってたってことか……
あの日、あの部屋で儀式を受けた人は、俺も含めて、そもそもこの世界にもう興味を失っている人たちだ────
ひとりであれこれと考えていたが、何気なく表紙をめくってすぐに目に入った言葉に、ぞくりと背筋が冷えた。
黒いページに白文字で、細い筆文字のような書体で導入文が書かれてあった。
『我を開いた汝、境界に火を灯した徒よ
汝の名は既に彼方が異界の湖に刻まれたり
真の魂の元へ還るため、我が綴を記せ
綴は汝の影となり、次元を跨ぐ鍵となる
境界に触れし者に祝福あれ』
絶妙に心が震える字の羅列に、俺は冷や汗をかきながらも、笑いがこみあげてきそうになるのを耐えた。
「ガチじゃねえか……」
さらにページをめくると、まさに──中学生の頃の俺が教室でひとりでノートに向かって書いていた、自分の理想のファンタジー設定の書き込み項目が並んでいた。
◼️転生後の基本設定
・名前
・年齢
・職業
・性格
・特技
・初期能力値
◼️能力、ステータス
・スキル、ステータス(チート可)
・支配属性
・会得技一覧
・必殺技
・従属種族
◼️仲間一覧
◼️出身地設定
◼️日常、生活
◼️性格、メンタル……
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