プロローグ
時は、西暦七十九年。
当時の吾輩は、西洋のイタリア半島中部エリアの西側にあるカンパニア地方、その地中海ナポリ湾岸沿いにある都市ポンペイを拠点に住みついていた。
ポンペイは、ぐるりと城壁に囲まれた要塞構造をしていて、城門を通らないと外部には出られない。この城門は、全部で七カ所設置されている。また、南西側は地中海に面し、他の三方は山に囲まれている。特に、北へ十キロメートル行った所にヴェスヴィオ山がそびえ立ち、肥沃な土壌と美しい風景を持つ魅力的な地でもあった。
それ故、陸と海の両方の交通網が集約しており、周辺国との交流も盛んで、中継地でもあった。いつの時代も、貿易に富んだ商業都市として栄えていた。
この時の人口は、約一万人。歴史を振り返ると、繁栄と衰退、栄光と挫折を繰り返した都市でもあった。
少し時を遡(さかのぼ)り、太古の時代から説明しよう。
紀元前八世紀。このイタリア半島にギリシャ人が侵攻を開始し、南部を植民市とした。更に、ヴェスヴィオ山の西方向、ナポリ湾にある小島のイスキア島も植民市とした。その三十年後には、ヴェスヴィオ山の北西側、フレグレイ平野に都市クマイを建造し、入植者となる。この時代は、ギリシャ人が強大な勢力を誇っていた。
紀元前七世紀に入ると、カンパニア地方の先住民であるエトルリア人が、ギリシャ人と交流を持つようになる。
紀元前六世紀。この頃、ポンペイに都市開発が計画され、近隣では最も大きい城壁に囲まれた要塞都市が建設される。以降、この構造が受け継がれ、維持されていく。ちなみに、アポロ神殿はエトルリア人、ドリス式神殿はギリシャ人が建築した建物となる。なお、城壁や建築物は火山岩を使用し、多くはギリシャ人の技法が取り入れられた。この時代のギリシャ人は、かなり高度な技術や芸術を持っていたとされる。
紀元前五二四年。エトルリア人が都市クマイの土壌欲しさに侵攻する。しかし、ギリシャ人の猛攻を受け敗北する。
紀元前四七四年。再びエトルリア人がクマイに侵攻する。またもや、ギリシャ本国よりヒエロン一世率いる援軍の到来で敗北する。以降、エトルリア人は衰退の一途を辿り、ポンペイもギリシャ人に支配されていく。
紀元前五世紀末。中部の山岳民族サムニウム人が勢力を拡大し、クマイやポンペイなどのカンパニア地方を掌握し、支配する。これより、建築物に石灰岩を用いるようになる。
紀元前四世紀に入ると、今度は北のローマが拡大してくる。エトルリア人は完全に消滅し、サムニウム人はローマと交流を持つことで生き残る。この時代のイタリア半島は、主に三つの民族、北のローマ、中部のサムニウム人、南のギリシャ人が支配していた。しかし、ローマが徐々に勢力を増し、中部に向けて侵攻を開始する。やがて、クマイもローマの領土となる。
紀元前二九〇年。ローマの侵略は止まらず、遂にポンペイに住むサムニウム人も敗北する。彼らは厳しい和平条約を結ばされ、ローマ化していく。
紀元前九十一年。厳しい条約に不満を持つサムニウム人が、再びローマに牙を剥く。三年後、ローマのスッラ将軍の前に敗北し、更に厳しい和平条約を結ばされる。これ以降、ポンペイは人口の半分がローマ人となる。また、サムニウム人の痕跡を消すかのようにローマ化が加速する。城壁や建築物もローマ式石灰岩に置き換わり、強化される。
一方、四十万年前から幾度となく噴火を繰り返していたヴェスヴィオ山だが、この期間は静かに佇んでいるだけだった。
ちなみに、紀元前二千年頃、標高千八百メートルあったヴェスヴィオ山が大噴火を起こし、周辺を火山灰で埋め尽くしたことがある。ノーラ村には、その痕跡が残っていた。これ以降も何度か噴火を繰り返した。そのせいで、標高が五百メートルほど下がっていた。
そして、西暦七十九年。
過去の噴火を知りつつもポンペイを含む近隣の住民は、豊かな暮らしに慣れ親しみ、誰も再噴火を想像していなかった。いや、予想はしていたが、触れようとしなかったのだ。
だが、虚しくもそれは起こった。
突如、ヴェスヴィオ山が大噴火したのだ。
黒煙を吐き、光が閉ざされ、火山灰や溶岩石が宙を舞った。更に、火砕流や土石流も発生した。建物は崩壊し、人々はパニックを起こして逃げ惑い、多くの死者を出した。
幸せな日々は一瞬で消え去り、この世とは思えぬ、黒と赤に染まった暗黒世界に変貌してしまった。まさに、地獄と言えよう。
こうして、約八百年栄えた都市ポンペイは、一夜にして廃墟と化して消えた。
本書は、近年まで土壌の下で眠り続けた古代都市ポンペイの歴史を体験した吾輩の記憶の中から、当時の様子をできるだけ克明に記した物語になる。
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