たった一人の君の名前を、僕は知らない
鈴宮 レイ
第1話 有希と雪
人生なんて、空っぽだ。
生まれてきたことに意味なんてない。
そう思っていた。
君に出会うまでは。
「テイクアウトで。トール、ホット、ロイヤルミルクティー、オーツミルク変更で」
「はぁ? なにそれ呪文?」
「病院の1階、カフェあるでしょ。そのまま言えば通じるから。いますぐ」
有希は今日も会った瞬間に、挨拶もなしにワガママ三昧を言う。
「……ハァ、わかったよ」
僕は松葉杖を持ち上げてトンと音を立て、来た方向と反対側に変える。
内心、わかっちゃうのかよ、と思う。
「行ってらっしゃい、湊月(みつき)」
それでも背中に浴びる、有希の優しく透明な声を聞いたら、言う通りにしたくなる。
いつからドMになったんだ俺は。
「行ってきます、有希(ゆき)」
振り返らずに軽く松葉杖を振って答える。
顔を見なくても、有希の気配を感じる。
窓の外には小雪がちらついていた。
今週には根雪になるらしい。
あぁ、夏に入院したのにもう冬になる。
ここに居ると、外の温度さえ分からない。
ずっと一定、ずっと真っ白、消毒液と退屈、死と生を否応なく突きつけられるこの世界で、俺はずっと立ち止まっていた。
「ねぇ、貴方、死ぬの?」
この同じ歳の少女ーー朝日(あさひ)有希に出会うまでは。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
春、桜の花びらが舞う頃、俺は高2になった。
公立の進学校とは名ばかりのバカ高に通っていた。
この街も少子化で、高校なんて2つしかない。
名前を書けば通る超バカ高校か、それより幾分かマシなこの自称進学校だ。
「あのっ、高田(たかだ)先輩!」
「湊月でいいよ」
「じゃあ湊月先輩。朝練付き合ってくれませんか!? 僕も先輩みたいにかっこいいダンク決められるようになりたくて」
俺はバスケ部で一応この春からは副部長で、来年には部長になる予定だった。小学校からバスケ一筋で、プロになりたいとか、全国に行きたいとかは思ってなかったけれど、もし他の誰かに誇れることがあるならバスケと答えるくらいには俺にとって大事なものだった。
「教えてやりてぇんだけど、最近足が痛くてさ。こじらせねぇように、練習量調整してんだ」
「そうなんすね。先輩めっちゃ身長高いから。成長痛っすかねぇ?」
「うん。今整体通ってっからさ。また落ち着いてきたら俺から声かけるわ」
「ありがとうございますっ」
「マジでそんなかしこまんなよ」
「でも僕、去年ここの練習試合観に来て、湊月先輩に憧れてこの高校に決めたんで!」
そんな奴いんのかよ。
この中途半端なバカ高なのに。
俺なんかのために。
なのに、嬉しいもんだな。
「故障には慣れてる。中指なんて3回は骨折してる(笑)必ずまた教えてやるからさ。ちょっとだけ待っててくれ」
「はい! 僕は指はまだ1回しか骨折したことないっす!」
「アホか、骨折なんて勝負するものじゃねぇから……そうだ名前、教えてくれよ」
「斎藤新(さいとう・あらた)です」
「新、ごめんな。またよろしく」
その後、新とはインスタで繋がった。
てか、既に勝手にフォローされてた。
本当に変わった奴だ。
だけど、新の朝練に付き合うことは今日まで出来ていない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
眠る前には足が痛くなくなっていますように、なんて適当な神様に願って眠る。
そして朝、目が覚める度に膝から下に激痛がはしる。
「ッてーな!」
クソっと、床をたたく。
あぁ、今日も練習まともに出来ねぇな。
そう思う。
そして神様なんてやっぱ居ないな、と当たり前のことを思う。
「なかなか良くならないねぇ」
整体の先生は足を揉みながら、不思議そうに首を傾げる。
「最近歩いたりバスケで動かしたりしてなくても痛くて」
そうすると先生は影のある険しい顔になる。
「一度レントゲン撮って貰ってきた方がいい」
「特に捻ったりとかしてねぇし。ただの成長痛って……」
「一応は一応だよ」
先生の言う通り、次の日には整形外科へ行った。
医者はレントゲンを見てもっと険しい顔をした。
「紹介状書くからもう少し大きな病院に行った方がいい。なるべく早く。CTとか詳しい検査をした方がいいから」
「成長痛じゃないんですか?」
「詳しく検査してみないと何とも言えない。でももしかしたらしばらく入院になるかと思う」
「はぁ?」
先生が渡してきた紹介状には、この街で1番でかい病院名と何故か宛先が整形外科ではなく、腫瘍外科宛になっていた。
変な汗が出て、嫌な予感がした。
入院なんて無理だ。
バスケができなくなる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そこから俺は家族にも全てを秘密にして、チームメイトにも成長痛だと嘘をついて、紹介状は破って捨てた。
あっという間に日々は過ぎて、夏がやってきた。
夏休み中は毎日練習があるし、無理だとしても全員が全国大会出場を夢みて動いている。
「湊月先輩、明日の試合、応援に行きますね」
「てか、新さぁ……俺が1年の時はもうレギュラー入ってたぞ?」
「煽らないでくださいよぉ。今年の1年、全国出てたり無駄に経験者多くてサブにしか入れなかったんです」
「仕方ねぇな。明日の大会終わったら、朝練すっか」
「マジっすか!!」
「マジだ。約束」
俺は腕を新とぶつけ合った。
男の約束。
翌日、試合の日。
全国の前に全道大会にでられるかどうかの分かれ目だ。
そして、その朝俺は異様に調子が良かった。
痛みがほぼゼロで、こんなことは足が痛み始めてから初めてだった。
「神様、ちゃんといるじゃんかよ」
思わずそう呟いてニヤニヤしてる自分がいた。
ピー!!
試合開始のホイッスルが鳴る。
「湊月先輩ー!! ファイトー!!」
新の声が聴こえる。
観客席では、家族も見てる。
密かに気になってる他クラスの女子も見つけた。
やってやる!
「湊月ーー!!!」
仲間からパスされたボールを受け取り、俺は思いっきりジャンプしてダンクでゴールを決めた。
ーーそして、それが最後だった。
「ーーいってぇ……」
足が痛い。もう痛いとかじゃない。
まるでネジ切れて、触っても感覚がないくらいに激しく痛い。
冷や汗が出てきて、俺はその場に崩れ落ちた。
焦るチームメイト。
新も近付いて、心配そうに手を握っている。
「おい、手を握るとか恋人じゃねぇんだから」
「先輩……そんなのどうでもいいんです。無理しないでください」
「大丈夫。すぐ帰ってくるよ」
こうやって必要としてくれる後輩がいる。チームメイトがいる。家族がいる。ちょっと気になってる女子だっている。
だから、俺は大丈夫だ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
救急車で運ばれて、あの医者が言った通りそのまま腫瘍外科に入院になった。
「湊月君の病名は骨肉腫です。骨のガン。ステージはーー」
ステージとか抗がん剤とか余命とか生存率とか。
生まれて初めて聞く言葉を毎日のように浴びて、信じられないくらいの痛みとか、トイレにすらまともにいけない恥ずかしさとか。
日々、自分が当たり前にいた世界から遠ざかっていく。
入院ベッドの脇に飾られた、メッセージの書かれたバスケットボールには、新から『約束ずっと待ってます』と書いてあった。
「ックショー!」
俺は泣きながら、そのボールを殴り飛ばした。
バインバイーンと馬鹿みたいな音を立てて、ボールは跳ねる。
そうだ、バスケなんて、大したことない全国なんていけなくていい。そう思っていたのに。
「何でだよ! 何で俺の大事なものだけ奪ってくんだ!!」
大声で叫ぶとハァハァと、胸が上下する。
悔しい、悔しい、悔しい。
余命ってなんだよ。
俺はちょっとバスケが好きで、新にバスケを教えて、ついでに気になるあの子が自分に声をかけてくれないか、それだけ期待してる、ちっぽけな人間でありたいだけだったのに。
するとざぁっとカーテンが開いて、とても細くて小柄な女の子がバスケットボールを大事そうに抱えながら俺の前に現れた。
「ーーどうしたの?」
「何でも、ねぇよ」
「ねぇ、貴方、死ぬの?」
ハァ? 初対面でそれ言う?って、やっとその子の瞳をまともに見つめ返すとびっくりした。
何だこの子、とんでもなくかわいい。
サラッと伸びた黒髪に、両サイドは三つ編みになっている。
まるで、ガラスのビー玉みたいに曇りの無い瞳で俺を見ている。
だから素直に言い返した。
「多分、死ぬ」
「そう。これ、置いとくわね」
バスケットボールをそっと脇に戻してくれた。
「ねぇ、君。名前は」
「名前、名前かぁ……? 有希、かな」
「ぷっ。名前言うの迷うとか認知症かよ」
「そう?」
「有希、ボール、拾ってくれてありがとう」
「貴方の名前は?」
「湊月、高田湊月」
「湊月ね、宜しく。私ここに入院してる家族がいるの。これからはあなたのお見舞いにも来ていい?」
「なんで? 俺が死ぬから? 可哀想だから? そう言うのなら要らない」
「違うわ。この病院だいたい老人しかいなくて。ただ暇してたから」
うわ、そんなの普通言うか。
でもその真っ直ぐさが、逆に心地よかった。
「うん。俺も暇は暇だ」
「でしょう? お互いちょうどいいわね」
だから、俺達は軽く笑って、友達になった。
窓からは夏の夕日が差し込んで、有希のことをオレンジに照らしていた。
1話・[完]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます