第5話 シンシアの愛

 シンシアは次の日も。その次の日も帰ってこなかった。とはいえ、それをロランは不審には思わない。事前にシンシアから数日は帰ってこない旨を聞いていたからだ。


(久しぶりにシンシアから解放されたんだ。伸び伸びと羽を伸ばさせて貰おう!)


 屋敷にはワインセラーが備え付けられていた。


「ふうん、結構そろってるな。……いや、銘柄なんてあんま分からんけど」


 ロランはワインを愛する。


 透明なグラスに真っ赤な液体を注ぎその香りを楽しみ父の姿は、子どもながら、いや子供だからこそ「かっこいいなぁ」と憧れた。


「といっても、この前はじめてたっかいワイン飲んだけど、口に合わなかっただよな。酸っぱいし渋かった」


 哀しいかな。Dランク冒険者には金がない。この数年、ロランが愛飲したのは水より安いと飲んだくれのアル中に評判の代物だった。


「多分安物に慣れ過ぎたんだなぁ」


 シンシアはあのワインも美味しく飲んでいたが。日頃から良いものを食べ、良い酒を飲んでいるのだろう。


「シンシア…。今、何してんのかね」


 シンシアがいなくなって4日目の朝。屋敷に来客が訪れた。シンシアの従者だというミハエだった。


「おはようございます」

「お、ちんちくりん……って、スカートぉ!?」

「あ、今日は非番なので」

「お前、女だったの……いや、ウソウソ、冗談だって」


 本気で傷ついて顔をされたので、ロランは咄嗟に誤魔化す。こほんと咳払いして口を開く。


「で、なに? オレ、お前に嫌われてる自覚はあるんだけど。今日はシンシアはいないぞ」

「存じて、おります」

「……ふうん。闇討ちに来た、て訳でもなさそうだな。とり合えず入りな」


 ミハエの顔を蒼白だった。


 リビングに通す。

 僅か3日で早くも散らかっていた。ミハエは何か言いたそうな顔をするが、唇を噛んでぐっとこらえたようだ。


「改めて自己紹介を。ミハエアナ・リッターシュタインと申します」


「オレはロラン。ただのロランだ。…もしかしてリッターシュタインって聖教国の大貴族の?」


「はい、ボクはリッターシュタイン侯爵家の3女です」


 ちなみに、聖教国とはいまロランがいる国の名前である。貴族よりも教会が力を持っているのが特徴だ。


 ロランが住むこの街にも長い歴史を持つ大聖堂がある。

 

 ロランも街に来たばかりの頃、一度行ったが大聖堂の中には入らなかった。大聖堂を囲む壁の周りをぐるっと回っただけだ。歴史に興味があったり、熱心な信徒であったなら話は変わるのかもしれないが、生憎ロランはそのどちらでもない。


 ぶっちゃけ、つまらなかった。以降、1度も行っていない。

 

「で、今日はどうしたんだ?」


「………おねえ様がこのままでは死んでしまいます。どうか、どうか……助けてください!」


「あ?」


 一瞬。

 思考が空白に染まる。

 死ぬ?

 あのシンシアが? 『剣聖』が?


「魔剣『終滅剣エンドソード』はご存知ですか?」

「あ、ああ、ガリアを砂の海に沈めた最強の魔剣、だろ」


 とりあえず、今は話をすべて聞くべきだとロランは考え、耳を傾ける。


「今は教会が所有しています」

「……ふうん、別に驚く事じゃねえな。教会は特に魔剣の収集に熱心だ」


「『終滅剣エンドソード』は普通の人間には扱えません。それにふさわしい魂と肉体がなければ。かつてその魂を持っていたのは、ガリア王国の姫でした。しかし、彼女は魂をもっていても肉体は持っていなかった。身体は只の少女でしかなかった。だから『終滅剣エンドソード』は暴走し、ガリアは砂の海に沈みました」


 ミハエはそこで一度息を吐く。そこから先を語れば後戻りはできない。『教会』の最重機密を彼女はしゃべろうとしている。


 しかし、迷いはなかった。


 ロランがどんな男なのか、詳しくはミハエは知らない。それでも、彼はシンシアが選んだ男だから。個人的な嫉妬はあるが、それだけで信用に足るには十分だ。


「私の地位では、ガリア王国が『終滅剣エンドソード』を使って何を為そうとしていたのかは知りません。ですが、教会はかつてガリア王国が失敗した『それ』を完璧な形で果たそうとしています。前回ガリアが滅亡したのは『終滅剣エンドソード』に相応しい肉体がなかったからです。だからこそ、同じ轍を踏まぬよう教会が用意した『肉体』。それこそが」


「シンシア、か」


「はい。お姉さまは……お姉さまは、『終滅剣』を扱うために生み出されたホムンクルスです」


(ホムンクルス……)

 ロランはその単語を口の中で転がす。


「都市伝説の類かと思ってたけどな。ほんとにいたんだな、それも身近に」


「驚かない、のですね。お姉さまがアナタを選んだ理由。少しわかった気がします」


「続けな」


「あっ、はい。……ですが、お姉さまだけでは『終滅剣エンドソード』を振るう事はできません。当たり前です、お姉さまの魂はお姉さまのもの。ガリアの姫ではありません。だからこそ、教会はシンシア・ラグナロクという器に姫の魂を移し替えようと目論んでいます。当然、お姉さまは……亡くなります。肉体は無事でも……魂は死にます」


「………その、儀式?的なのはいつどこであるんだ?」


「今日の正午に大聖堂で」


「ふうん」


 あまり時間はないらしい。


「お願いですっ! ボクと一緒にお姉さまを助けてくださいっ!監視役と知りながら、お姉さまはボクに優しくしてくれました」


 頭を下げたミハエを前にして、ロランは。


「いや、断る」


 それをにべもなく斬り捨てた。


「っ……!? そ、んな、お姉さまは貴方の恋人だったんですよね!? なのに何故! この鬼畜――――」


 トン、と。

 ミハエの首筋から音がする。


「え?」


「ああ、確かに。気絶させやすい首筋してるよ、ミハエちゃんは。シンシアの気持ちがすこしわか……らんな別に」


 ロランが、目にもとまらぬスピードで手刀を放ったためだった。


「お前は必要ない。オレ一人でいいよ」


 気絶した彼女を来客室のベットに寝かせる。

 そして、一人きりになったリビングでロランは瞼を閉じる。


「すうううううう、はあああああああああ………」


 息を大きく吸って吐き出した。瞼を開ける。


「―――――――いや言えよ」


 魂から、零れ落ちたような言葉だった。


「オレのことが好きだったんだろ? 愛してたんだろ? だったら言えよ」


 たった一言。

 

すくって、て」


 それだけでいい。


「お前……そんな素振りみせなかったじゃねえか。死ぬなんて」


 彼女は言った。


 自分と付き合うには、ロランには実績が足りていない。だから、シンシアはロランを強くして、多くの高難度クエストを達成させた。家を買ったのも、そこでロランと2人で暮らしていくためではなかったのか。


「本当は違うのか? ……自分はもう死ぬから、だからオレに何かを残そうとしたのか?」


 力を。

 地位を。

 家を。

 

 ロランに残そうとした。


 己が世界から消え去った、その後も、ロランが人生を謳歌できるように。『幸せ』になれるように。


「ふっっっざけんなっっ!! 糞がッッ!!」


 吠えた。

 シンシアに対して怒号をあげたことは数限りない。


 だが、これほど感情を込めたことはない。


「オレは一言もそんなこと頼んじゃいねえ! そうだ! お前はいつも勝手だった! オレの都合なんて構いやしなかった! いつだって! お前の愛は一方的だったっっ!」


 というか、冷静に考えてもおかしいだろう。


 いくらロランのことを思っていたとしても、だからといってドラゴンの住む谷に放り込んだり、オーガの目の前に突き出したり。


 絶対にまともな感性を持つ人間のやる事ではない。


 シンシアという少女は間違いなく人格破綻者だ。産まれ故か、育ち故か、そこまでは定かではないが。


「てめえはっ、アレだな……! 愛って免罪符があればすべてが許されるって考えるタイプの人間だな……! はっ! いいぜ、シンシア。オレはお前を助けるぞ!」



 或いは。


 シンシアは実は救ってほしくなど、ないのかもしれない。己の産まれた役割に殉ずることこそが、自身の真の幸福だとと考えているのかもしれない。しかし、彼女の都合なんて知ったことではない。


 だって。


「お前はオレを愛していた」


 それは『魅了剣』によるものだろうけど。

 あの愛は偽物なんだろうけど。

 

 それでも、少女は青年を確かに愛した。


 愛してるから。愛してるから。


 きっと自分の振舞いも許してくれるだろう。自分が死ぬことも許してくれるだろう。そんな甘い考えを持っていたのだろう。まるで他人の愛を疑わない子供の如く。だから、ロランのことなんて考えずにこんな無茶苦茶な振舞いをしたのだ。

 

 ロランはそんなシンシアの甘い思惑を肯定しよう。少女の一方的な愛を笑って受け入れよう。


「オレもお前を愛している」


 だから。


 自分がこれからする『全て』を。

 きっと少女も許してくれるだろう。

 

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