第6話:静寂は恋と死を孕む
1. 届かない想いの距離
放課後のチャイムが、教室の空気をゆるく解き放った。生徒たちが去り、残された教室に、夕方特有の柔らかい光が差し込み、机の上に淡い影を落としている。
フィオナ・フローラは、自分の席からそっと立ち上がると、教室前方へ視線を向けた。
リオ・アストラル。
白い制服の袖をきちんと整え、教科書を静かにまとめている横顔。整った輪郭と、どこか物静かな雰囲気。その姿は、やっぱり少しだけ現実離れして見える。
(フィオナの心中)また……リオ君とお話ししたいな……
胸の奥が、まだあの瞬間を覚えている。鉄の塊が迫ってきたこと。世界がひっくり返るような衝撃。息が詰まるほどの恐怖。そして、その恐怖を抱きしめて塗り替えてくれた温度。リオの腕。リオの声。
「……もう大丈夫ですよ」
ニコッと笑った、あの屈託のない笑顔。思い出すたび、胸がじんと熱くなる。それが何なのか、フィオナにももう分かっている。
(フィオナの心中)あの時、優しく守ってくれて……
一歩、前に踏み出す。足が震えているのを、自分でも分かる。
フィオナ「リオ君……」
名前を呼ぼうとした、その瞬間。
「アストラル君、ちょっといいかな?」
前の扉側から、別の声が割り込んだ。
フィオナは、小さく漏れた声を飲み込み、振り向いた。眼鏡をかけた真面目そうな男子生徒と、生徒会の腕章を巻いた上級生が、リオの机の横に立っている。
生徒会長と思しき女子が、丁寧に頭を下げる。
生徒会長「リオ・アストラル君。少しだけ時間をもらってもいい?」
リオ「僕に、ですか?」
生徒会長「この前の事故の件で、先生方から話は聞いているわ。的確な判断と、とっさの行動力。それから――」
彼女は、手に持っているファイルを軽く叩いた。
生徒会長「入学直後のテスト。全教科、学年トップクラスの成績。生徒会としては、ぜひアナタの力を借りたいの」
教室内に、小さなざわめきが走る。
「やっぱり頭いいんだ……」「顔だけじゃないとか、ずるくない?」「事故の時のあれ、やっぱりただ者じゃなかったんだ」
フィオナは、知らなかった情報の多さに、胸の中がざわざわと落ち着かなくなる。
(フィオナの心中)頭がいいのは……知ってたつもりだったけど……本当に、すごい人なんだな
生徒会長「生徒会は、学校全体を動かす“頭脳”でもあるの。もしよかったら、“執行部補佐”として手伝ってみない?君の頭脳なら、きっと力になってくれると思う」
リオは、少しだけ目を丸くした。それから、いつもの、柔らかな笑みを浮かべる。
リオ「僕なんかで良ければ、ですけど……お役に立てるなら、やってみたいです」
その一言が、フィオナの胸の奥に、静かに落ちた。
(フィオナの心中)“僕なんかで”って……リオ君、あんなに凄いのに……
その鈍さが、たまらなく愛おしい。同時に、たまらなく怖い。
生徒会長「じゃあ、今日の放課後、生徒会室に来てくれる?場所は――」
生徒会長が説明を始めると、何人かの女子生徒も、わっとリオの机の周りに集まった。質問と好奇心が、一斉にぶつけられる。
フィオナは、数メートル離れた場所で立ち尽くしていた。
(フィオナの心中)いかなきゃ。今、行かないと
心は前へ出ようとする。けれど、足が動かない。(どうして……)
その時だった。
リオが、取り囲まれた輪の向こうから、ふと視線を動かし、フィオナの方を見た。その目と合った気がして、フィオナの心臓が跳ねる。
リオ「フィオナさん」
名前を呼ばれた。それだけで、視界が少し滲みそうになる。
リオ「昨日は、本当に大変でしたね。身体の方は、もう大丈夫ですか?」
(フィオナの心中)あ……せっかく話しかけてくれたんだ!何か言わなきゃ!
フィオナ「……だ、だいじょうぶ……です」
声が震えて、言葉のほとんどが飲み込まれた。本当に言いたかったことは、喉の奥で固まったまま、動いてくれない。
リオ「よかった。また何かあったら、いつでも言ってくださいね」
(フィオナの心中)あ……
“また何かあったら、いつでも”。きっと、誰にでも言う言葉だ。その優しさが、均等だからこそ。
(フィオナの心中)私だけが特別なんじゃない。分かってるのに……苦しい
後ろから、友人の声がした。
友人「フィオナ、帰ろう?」
フィオナは振り返り、笑顔を作る。笑える自分が、ほんの少しだけ嫌だった。
(フィオナの心中)私も、生徒会に入れたら……リオ君の隣に、いられるのかな
そんな考えが一瞬だけ頭に浮かんで、すぐに打ち消す。
(フィオナの心中)無理だよね。私なんて……
心の中だけで、誰にも聞こえない声で呟いた。
2. 観測対象の再定義と廃棄
帰り道。
シアは帰宅途中、人気の少ない脇道に差し掛かった。小さく呟いた瞬間、右耳の内側――インターフェースに、無機質な音声が流れ込んできた。
『COSMOS。統合感情管理機構より通達』
シア「受信中。内容を」
『任務評価:アストラル兄弟抹殺任務。結果:度重なる失敗』
『目標排除率、計画値を大幅に下回ることを確認』
淡々とした報告が続く。
『結論:COSMOSユニットの有効性は限定的と判断。後続ユニットへの任務引き継ぎを決定』
『COSMOSは“観測者”から“不要戦力”へカテゴリ変更』
シア「戦力外通告……」
声は平坦だった。驚愕も、反発もない。それは、ただのデータ処理の結果。
『補足命令:COSMOS排除プロセスを開始する』
音声が途切れる。
少し遅れて、廊下の突き当たり、角の陰から足音が聞こえてきた。黒いジャケット。インターフェースを付けた無表情の男たち。EMMA所属、現場処理用エージェントだ。
エージェントA「COSMOS。命令を伝達する」
シア「……」
エージェントB「アストラル兄弟抹殺任務。お前は三度、機会を与えられ、三度とも完全排除に失敗した」
エージェントC「世界意識の進化を乱す可能性のある特異点を放置し続けた責任は重い。統合感情管理機構は、COSMOSユニットの廃棄を決定した」
シアは、ほんの短い間だけ沈黙した。それは、感情の揺れではない。ただ、情報処理のための一時停止。
シア「つまり」
エージェントA「場所を変える。ここは目撃者が多い」
シアは周囲を一瞥し、距離と経路を計算する。(校舎外周の細い路地。監視カメラ死角、一般生徒の通行量低。処理の場として最適)
シア「行きましょう」
彼女は、ただ命令に従って歩き出した。自分を殺そうとする者たちと共に、殺される場所に。
3. ヒーローは遅れてやってくる
夕陽が校舎の影を長く伸ばし、空の色はオレンジから藍へとゆっくり変わりつつあった。
リオ・アストラルは、生徒会室へ向かう廊下を歩いていた。両手には、渡された資料のファイル。
(リオの思考)生徒会業務……時間割の調整、行事計画、教員との連携。効率化できる部分がかなりありそうだ
真面目にそんなことを考えている。すぐ後ろから、誰かの視線がついてきていることにも(フィオナ)、校門外で兄がローファーを履いたことにも、気づかないまま。
一方。
アレス・アストラルは、昇降口で上履きを脱ぎながら、大きくあくびをした。
アレス「……生徒会なんて、よくやるよな。俺なら全力で断る」
近くのクラスメイトが、「リオは生徒会室に呼ばれてたぞ」と教えてくれる。
アレス「へぇー。まあ、一人で帰るか」
上履きを靴箱に突っ込み、ローファーを雑に履く。校門を出ると、少し涼しくなった風が頬を撫でた。
(アレスの思考)帰って、風呂入って、寝る。それで今日のミッション終了
そう決めて、住宅街へと続く道を歩き出す。
角を一つ曲がったところで――空気の質が、ふっと変わった。音が少ない。家々からの生活音が、妙に遠い。
アレス「……ん?」
路地の奥に、人影がいくつか見えた。黒いジャケット。無表情の男たち。その中心に、銀色の髪。
シア・クロニカ。
複数のエージェントに取り囲まれている。足元には、すでにいくつかの影が倒れていた。短時間で制圧したのだろう。だが、シアの呼吸はわずかに乱れていた。腕の袖口から、薄く血が滲んでいる。
エージェントA「COSMOS。戦闘能力は認める。だが、任務を完遂できない兵は不要だ」
エージェントB「アストラル兄弟の排除に失敗し続けた時点で、お前の価値は下がった」
エージェントC「後続ユニットへの置き換えは決定済みだ。あとは廃棄処理だけだ」
シア「……そう」
口調はいつも通りだった。
アレスは、路地の入口で立ち止まり、軽くため息をつく。
(アレスの心中)アイツは……。
数日前、自分を殺そうとした相手だ。任務として、迷いなく刃を向けてきた女。
(アレスの心中)放っときゃ、片付く話だよな
そう思うのが、最も合理的だ。帰って、風呂に入って、寝る。そうすれば、この先にあるのは、ただの“ニュースの一項目”になる。
けれど、なぜか足が、その場から動かなかった。
(アレスの心中)……寝る前に、気分の悪いニュースは見たくないんだよな
アレスはポケットに両手を突っ込み、ほんの少しだけ首を回す。
それから、路地の中へと歩き出した。アスファルトを踏む靴音に、エージェントたちが一斉に顔を向ける。シアもまた、わずかに視線を動かした。
白銀と灰色の髪。生気の薄い瞳。だらしない立ち姿。アレス・アストラル。
アレス「なんだよ」
気だるい声が、薄暗い路地に響く。
アレス「裏切られたのか?」
エージェントたちの視線が、今度はアレスへと向けられる。敵意と警戒が、じわりと濃くなる。
アレスは、肩をすくめて笑った。
アレス「だが――」
一歩、前に出る。夕闇の中、その姿に、わずかな輪郭の光が差した。
アレス「ヒーローは遅れてやってくるもんだぜ」
その言葉と同時に、風が路地を吹き抜けた。世界が、再び静かに揺らぎ始めていた。
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