秋 淡黄 3

ある日、散策を終え、ガーデンハウスに到着すると、ベランダのロッキングチェアに学生服の少年が座って、一心にスケッチブックに何かを書いていた。

「君…。」

と紫苑が声をかけると、少年は

「あぁ、こんにちは。」

と言って立ち上がった。

手にしたスケッチブックには、植物が写生されている。

「俺は、からもも京也きょうやです。今日は、庭園を見せてもらいに来ました。」

「杏ってことは、伯父さんのところの?」

「そうです。俺の父は、紫苑さんのお母さんの兄です。俺たちは従兄弟ってことになりますね。」

母の実家を継いでいる伯父一家は、伯父の仕事の都合で海外を転々としており、伯父とも紫苑がまだ小さい頃に会ったきりだった。

そういえば、伯父の子供だけがこの春に日本に帰国し、紫苑と同じ学校の中等部に編入したと母が話していた。

紫苑が高等部にあがったのとすれ違いだったため、これまで顔を会わせることもなかったのだ。

「こんなところで何してるの?」

紫苑が尋ねると、

「俺は、植物学者になりたいんです。そのことを父に話したら、水生家の庭園は、治水の技術も含めて、見ておくべきだって言われて。父は、俺にあとを継いで欲しがってるので、植物よりも治水関係を見てほしいみたいでしたけどね。」

水生家は、昔から、この地域で水に関する仕事をしてきた家だ。

井戸を作ったり、田に水を引いたり、川に堤防を作ったり。

その名残で、現在も水道局で働いている者が多い。

また、この地方で取れる天然水を加工してミネラルウォーターを販売する事業や、ダムの建設にも携わっている。

河川の汚染について研究したり、造園業を営む者もいる。

本家はこれらを束ねており、父はいつも忙しそうだ。時には作業着を着て出かけて行き、何日も帰ってこなかったりする。

分家の伯父は、海外の様々な国で、上水道・下水道といったライフラインの整備や、農地や畑を開墾する際の指導といった仕事をしている。

「まあ、官僚でもいいって言うけど。どっちにしても俺の夢は叶わないですよね。俳優にもなってみたいんだけどなあ。」

妙にひょうひょうとした子だ。中学生にしては大人びている。

「紫苑さんは、今日は水泳部に行かないんですか?

中等部でも、高等部の水泳部の快進撃は話題ですよ。一年生二人が、二、三年生を抑えて上位入賞を果たしたって。」

「ああ…。」

説明するのが面倒くさかった。

本当のことを言っても仕方ないし、澪に話したような嘘をつくのにも疲れてきていた。

「まあ、いいですけどね。」

紫苑が黙っていると、京也は紫苑の気持ちを察したのかすぐに引き下がった。

「それより、もしよければ明日もここに来てもいいですか?まだ書いてない植物があるので。」

「うちのお母さんに許可もらってるんでしょ?」

「庭はそうですけど、このガーデンハウスは紫苑さんのものでしょう?ここで書きたいから。」

「別に好きにしていいよ。」

紫苑は、素っ気なく答えた。

平時ならともかく、今は考えなくてはいけないことが多すぎて、突然現れた従兄弟には興味が持てなかった。

「良かった。ここは金木犀の香りもするし、ずっといたくなります。」

(これって金木犀の香りだったんだ。)

確かにガーデンハウスのそばに金木犀の木がある。

紫苑もずっといい香りがするとは思っていたが、それが金木犀だとは気づいていなかった。

本当に変な子。

それが紫苑の京也に対する第一印象だった。

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